七通目 慰安旅行
拝啓 親愛なる魔王城のみなさま
みなさま、お気遣いいただきありがとうございます。
前回出したお手紙が破損して届いた件ですが、失われた部分には取るに足らないような愚痴を書いてしまい、とても後悔していましたので、むしろ運が良かったのではないかと思っております。定期報告のほうは無事に受理されているようですし、もう一度書けというのはご容赦くださいませ。
調査班の連絡係の方から、兄を魔王城で保護していただいているとお聞きしました。兄がお世話になっております。今は気力を失ってしまわれているということですが、普段の兄をご存知の方には意外に思われるかもしれませんけれど、兄はもともとあまり自分を持たない方です。あの方の行動は常に父を指標とされていたので、父を亡くしたのが堪えているのでしょう。もしかしたら回復を見るより、早々に任務を与えてしまったほうがしゃっきりするかもしれません。
こちらでは、私も少々調子を崩してしまっておりました。というのも今の季節、ニホンは湿度が高く、近年は気温も魔界の南部端よりも上がるほどで、常に飲み物を持ち歩いていないと、すぐにふらふらになってしまいます。私以外の店の関係者も早退や欠席せざるを得ない時がありました。
そうしたら、不調を見かねた魔女たちが、5日ほどの観光を兼ねた療養に、と旅行を手配してくだだいました。とある別荘を一軒まるごと使用人ごと貸し切るという、人界ではかなり高度な贅沢です。
最初の日は、明るく曇った日でした。電車で最寄りの町に着いた時はじめじめしていましたが、坂を登り緑の中を歩くうち、段々と涼しい風が吹くようになりました。
別荘は、森に埋もれるような佇まいでした。三人の魔女と私と他二人のお手伝いの者で行ったのですが、一人一部屋でもあまるほどの大きさでした。造りは魔王城の使用人寮に似ていて、少し懐かしくなりました。
私達は滞在中、夜のバルコニーでお茶会をしたり、みんなで思い思いのサンドイッチを作って遠くに見える海を眺めながら交換したり、庭で焚き火をしてなんでも焼いて食べたり、思い付いたことをいっぱいしました。あまり休んだとは言えないかもしれませんが、別荘にいる間、魔女たちはずっとみんなの体調に気を配ってくださいましたし、生活にはほどよい緩急があって、そのお陰か夜もぐっすりと眠れたと思います。
ずっとそんな調子でしたが、一日だけ町に出て、色々な観光地を巡った日がありました。お土産屋の並ぶ通りでお菓子を買って大きな鳥に奪われたり、海岸で綺麗な貝がらを拾ったりしましたが、特に心に残ったのはあるテラという宗教施設の、お庭でした。
そこは山に沿って建てられた施設で、斜面に紫陽花の花が積み上がるように咲いていました。人界では紫陽花は雨季の花として知られています。魔界での薔薇と同じくらい品種改良が進んでいるので、色も形も様々です。紫陽花の間を歩ける小道も整備されていて、人類たちに挟まれて列になって歩きました。
その時に気づいたのですが、紫陽花の苗と苗の間、猫が一匹通れるくらいの隙間に、ひっそりと小さな転送門がありました。以前の龍族のそれのように、わかりにくくはされていましたが、あまり熟達した技術によるものではなさそうではありました。数もひとつではないようで、大きさもまちまちで。見やすいところのひとつをこっそり観察してみると、簡単にですが封がされているようで、おそらく人の集まる花の季節の間は門を閉じているのではないでしょうか。
大きさから言って、住んでいるのはおそらく妖精の類でしょうね。ニホンでは、妖怪、という呼び名のほうが一般的なようです。こちらから姿を見ることはできませんでしたが、時々視線と申しますか、弱い魔力を向けられているような気がしました。向こうからは、きっと私が人類でないことが見て取れたのでしょう。魔類の移住が進めば、いずれ交流を持つ機会も生まれるかもしれません。楽しみです。
龍界には、時々訪ねていっています。いただいた植物が育って来ましたので、その栽培方法についての相談と、親しくなった女中の方たちと、お互いにアクセサリーなどを贈りあうなどして交流しています。龍族の工芸美術は人界・魔界・龍界の三界のうちで群を抜いています。他の世界と交流して扱える素材が増えればもっと可能性が広がると思うのですが、龍族の方たちはあまり興味がないらしく、残念です。
人界は美術と工学のバランスがいいと思います。今回の旅行のお土産としていくつかオルゴールをお贈りしましたが、どれも非常に美しく、かつ正確な音がします。魔法もなしにこれだけのものが造れるというのが、私は未だに信じられません。
曲はどれも流行り歌ですが、一つだけ、伝統的な曲のものを入れました。
『魔王』という曲です。
人類からしてみれば想像上の魔王の恐ろしさを表現した曲なのだと思いますが、私にとっては魔王陛下の強さ、美しさ、優しさが思い出される曲です。きっとみなさまにとってもそうだと思いますので、ぜひ聴いてみてください。
今回お話したかったことはこのぐらいなのですが、友人達にどうしても言いたいことがありますので、ここから先は、私信とさせていただきます。
デーェへ。あなたの好奇心を止めるすべがないことは、重々承知していましたが、友人を巻き込むのはやめなさいと、私は再三忠告してきたはずです。
あの海を直に見た以上、二度と同じことはしないと思いますが、私は本当に怒っていますからね。くれぐれもマフィを泣かせたりしないように。
クロン。あなたが海の淵で兄を見つけてくれたのだと聞きました。心からお礼を申し上げます。けれど、そんなに危険なことまでデーェに付き合う必要はないんですよ。まず自分を大事にする、という約束、私はきちんと守っています。あなたも、忘れないで下さい。
みなさま、どうかお気をつけてお過ごしください。いつかまた会える時、ひとりも欠けずに、またお会いしたいのです。
かしこ
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