四通目 人界は花の季節です

拝啓 親愛なる魔王城のみなさま


北部の件、とても驚いています。前回のお手紙で、お気をつけてと申し上げましたが、実際にこんなに早く崩落が始まるとは思っていませんでした。まだ一地域に限った話のようですが、本当に、皆様気をつけてくださいませ。わずかでも異変を感じたらすぐにでも逃げてくださいね。



こちらは先だっての受注会の後処理で忙しくしていて、職場と家の往復ばかりしております。元々の任務は終えているとはいえ、魔界から急な要請があった時に対応できなくては困るので、どうにか一刻も早くこの状態を脱したいところです。魔女たちも、定期的に窓の外を眺めてはため息を吐いたり、遠い目をして強く呼び戻さないと帰って来なかったり、時折、「花見に行きたい、酒が飲みたい」とぼやいていて、限界を感じます。好きな仕事でなければ、とっくに逃げ出しているでしょうね。


花見、というのはニホンの春の行楽です。魔界でも薔薇茶会や菊茶会などありますが、こちらの花見というものは、桜という木の下に敷物を敷いて酒を酌み交わすことを言います。

桜は広葉樹で、それなりに立派に育つ木です。ニホンは桜に取りつかれたような国で、どこに行っても桜があります。春になると桜は一斉に大量の小花を咲かせ、それが散ったあとに葉が出ます。この春はちょうどこの手紙がそちらに届くころがその時期でしょう。

近所の公園は大きな池があるのですが、それを囲むように桜が植えられています。池には蓮の葉が浮かび、その向こうに小島があり、小さな宗教建築があります。仕事に行く時にそこを通るのですが、建物が金色に照らされて、とても神秘的です。さらにこの時期は桜も照らされ宵闇に浮かびあがり、毎日帰り道が楽しみです。


先日も、仕事帰りに少々寄り道をして、池の端を歩いておりました。池の反対岸から建物(ベンテンドウ、といいます)の裏手に伸びる道は、さほど広くないにもかからず多くの人がいて、賑やかというより騒がしい様子でした。ベンテンドウの裏には一際大きな桜があり、落ちた花びらが水面をびっしりと埋めていて美しいです。白い砂利の道を歩いて正面側に回り込むと、屋台が立っています。串料理や簡単につまめる揚げ物、チョコレートや飴がけの果物などが並んでいます。私はそこで塩焼きのお魚と、飴がけの苺を買いました。(人界の苺は魔界の苺と違い魔性を持たない植物で、実も二口三口で食べられるくらいの大きさです)

屋台の通りを抜けると、普段は無いテントが並んでいました。大きいお祭りごとのある時だけ開かれる、骨董市だということでした。古いニホンの民族衣装や、雑に並べられた陶器、アクセサリーなどをぼうっと眺めていたら、ひとつ妙な気配のあるものが混じっているのをみつけました。

それは簪でした。軸は木で出来ていて、枝の形をしています。枝には細い銀の蛇が絡み付いていて、枝の先には見る角度で青だったり紫だったりに見える石で蓮の花が咲いています。最初、私はそれを魔界のものかと思いました。けれどよく探ると魔法の気配とは少し違うようですし、石は魔界でも人界でも見たことがない種類のものでした。店の番をしてらした方も、由来をご存知ないということでした。

詳しく調べたいと思い、簪を買って帰路につきました。行きと別の、池沿いの道を歩いていると、ふと簪と同じ気配があることに気付きました。大きな柳の木の下の、枝で隠れた場所からそれはしました。近づくと、そこだけ落ちた花びらが避けているように見えました。どうやら転送門のようなものがあるようでした。(人界の柳は大人しくて安全です)魔族の私でも簪というきっかけがなければ気づけないのだから、人類には当然わからないでしょうね。

人通りが多かったので、転送門の発動は見送りました。行楽の時期が終わって落ち着いたら、もう一度試しに来ようと思います。



魔女たちは花見に行けそうもないので、次の季節に代わりに別の花を見に行く約束をしました。私が見たことのない花を選んでくださるらしいので楽しみです。その様子も、また報告いたしますね。

魔界の春薔薇も恋しいです。



かしこ

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