弐  【流るるか、積み重なるか】

光陰矢の如しこういんやのごとし……という言葉がある。


時間の流れは早く、気が付けばあっという間に歳を取ってしまう。

また、時間は戻って来ないので日々を大切に過ごしなさい、という意味で使われる事が普通になっている。

光陰は昼夜、矢は戻って来ない早いモノ、の様な感じの比喩表現か?

私としては『時は金なり』と言われた方がリアル感あって親しみやすい?なんて…。



「あ、きみ!スマンが、この書類を100部コピーして冊子にしておいて貰えんかね?出来たら私の机の上に置いておいてくれたら良いから!」

「はい。分かりました」


凄く大事な要件の様に、小太りの上司はコピーする書類を私に押し付けて足早に去って行く。

あの課長は喫煙室に入って煙草と称し、競馬の投票をしに行くんだろう。

稼ぐために会社へわざわざ来ているのに、お金を減らすような事をしたがるのは何故なんだろう?

ギャンブルが駄目だと言う気なんて毛頭無いけれど、こうやって日々生きているだけでもギャンブルみたいなモノだと誰も気づかないのかな?

人間が生き物であるならば『生』は一つで、『死』に至る要因は無限である。

その無限の確率を潜り抜け、寿命を全うする人がどれほどの割合居るのだろうか?

まあ、正直他人事なのでどうでも良いけど…。


「ゴメンね!これだけ、先にコピーさせてくれない?」

「…どうぞ、私のは急がないので」

「ありがとう!助かる~」


ペーパーレスが叫ばれている世の中だが、感覚的にそれ程進んではいないんじゃないだろうか?

PDFかパワーポイントにしてタブレットなんかで見た方が早くてキレイだし、落としたり無くしたりするリスクは減るはず。

ひとえに価値観の変化を受け入れられない人は一定数いて、それは高齢になればなる程に割合が高くなるという事。

キャッシュレス化も同じだろうか?

目の前には無い物が信じられるか?と言われれば、私も凡人なのでそれは即答出来ないだろう。

でもそれを言い出してしまうと、デジタルコンテンツの何と薄っぺらい事か。

元々厚みは無いのだけど…。


「資料作ってんの?良かったら手伝うよ?」

「ありがとうございます。でも、今回は少ないのですぐに終わりますから」

「そう。何かあったら言って?手伝うから!」


嘘でも愛想でも、言葉の重みは変わらない。

結局のところ本心なんて、自分以外には絶対に分からないのだから。

判断基準はどこでも同じ。

私にとって『必要』か『不必要』か。

軽い言葉は簡単に流れていくけれど、重みのある言葉って?

コピーした紙に書いてある文字の様に目の前にあれば、自分にも少しは理解出来るようになるかな。


「冊子、ここに置いておきますね?」

「ん、ああ、スマンな!ご苦労様!」

「いえ、仕事ですから…」


これが仕事?本当にそう思っているのだろうか?

他人ひとの言葉よりも、自分の言葉の方が重く圧し掛かってくる。

そんな事が多くなるのが、大人になるという事なのだろうか?

周りに流される毎日は御免被ごめんこうむりたいし、重い言葉と辛い経験だけが積み重なって潰されるくらいなら、私は叫んでさっさと逃げる。

課長の机に積まれてい冊子の束を見ながら、叫びたくなる衝動をこらえている自分が滑稽こっけいで少し気がやわらいだ。


「お疲れ様でした。お先に失礼します…」



***



逢魔時……今日は曇っているので、残念だけど昨日見た幻想的な色合いの空は現れなかった。

いつもの様に吊革に体を預けて、暫しの休息を摂っている。

一見すると普通に立っている様にしか見えないけど。

私の一日いちにちは終わってない。いや、終わったのか?


「一日だから、日が沈めば終わり?」


昔の人は皆、が昇れば起床してが落ちれば家へ帰る。

『陽』が『日』になり、現代に近付くにつれ時間の概念が強くなり、一日が夜にも食い込んできたのだろうか。

まだ夜の闇に支配されていた時代には、逢魔時を境にしてやはり魔がせっせと悪さをしていたのだろう。

『魔』とは『間』であり、人の心の隙間に潜むのだとか。

余談になるが、既婚女性に手を出す男の人を「間男」と呼ぶらしい。

その言葉は古く、江戸時代からあるらしいから面白い。


「流されるだけじゃ、何も残らないのよね……」


人間とは我が儘な生き物だとつくづく思う。

自分がそうだから。

楽に生きていきたいが故に、自分の『隙間』に色んなモノを重ねて押し込んでしまう。ジレンマと共に。

何故大事なモノを入れておける場所は、そんなに小さいのか?

人間としての弱さと限界を感じずにはいられない。



流れゆく車窓の景色を眺めながら、私の心の中は夜が重なり合い、やがて真っ暗な闇に塗り潰されていくのだった。

無限の漆黒くろに愉悦を感じながら…。



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