3

「……!」


 一瞬で鈴木さんの表情が驚愕に変わった。そのまま僕は畳みかける。


「マナは、左のほっぺにホクロがあった。でも、君にはない。化粧で隠しているのか、と思ってたけど、今の君はすっぴんだよね? それでもやっぱり、ない。それに……ここの入口の名札に書かれてる名前は、マナじゃなくてどう見てもマイだった。どういうことなのか……教えてくれないか?」


「……」


 僕から顔を背け、鈴木さんは押し黙っていた。固く結ばれた彼女の口元がほころぶ気配は全く見えない。それでも僕は辛抱強く待ち続けた。


 やがて。


 ふーっ、と大きくため息をついて、鈴木さんは自嘲めいた笑みを顔に浮かべる。


「バレたんならしょうがないね。その通りだよ、あたしはマナじゃない。マナは一つ上の姉だよ。九年前に亡くなった……な」


「……!」


 なん……だって……?


「マナが九年前に、亡くなった……?」


「ああ。小児ガンだった。君に会った時にはな、既に余命宣告されてたんだ。麦わら帽子をかぶってたのは、抗ガン剤治療で抜けた髪の毛を隠すためだ。お姉ちゃんは見附海岸が好きだった。だから彼女は一時帰宅の時に珠洲に行って……君に出会った。よっぽど君が好きだったんだろうな。来年も君に会うんだ、って……彼女は頑張ったよ。半年って言われてた余命を、その倍近く伸ばしたんだからな。だけど……八月、お姉ちゃんは力尽きた。最後まで彼女は言ってたよ。コースケくんに会いたい、ってな……」


「そんな……」


 こみ上げてくる嗚咽を、僕は必死にこらえる。彼女は続けた。


「本当はね、彼女が死ぬ前に君を探して連れてきて会わせてあげよう、って話もあったんだ。だけど彼女がそれを止めた。こんな弱っている姿をコースケくんに見せたくないし、コースケくんを悲しませたくもないから、ってね。だからあたしら家族は君を探すことはしなかったんだ」


「だったら……なんで今年、君は見附海岸にやってきたんだ?」


「今年の命日にたまたまお姉ちゃんの日記を読んだんだよ。久々にね。そしたら……毎年9月23日に見附海岸でコースケくんと会うって約束をした、って書いてあってさ……あたし、てっきり『来年』だとばかり思ってたけど、よく読んだら『毎年』だった……ってことは、ひょっとしたら毎年コースケは見附海岸に来てたんじゃないか、って思って、行ってみたんだ。そしたら……君に出くわした、ってことさ」


「あの時、どうして自分はマナだなんて嘘をついたの?」


「君の中から『マナ』を追い出すためさ」鈴木さんは淡々と応える。「マナが亡くなった、って本当のことを言えば、毎年彼女に会いにわざわざ見附海岸まで行くような君なら、きっとまたすごく引きずることになるだろう? それよりも、マナが実はあんなひどいことを平気で言う女なんだ、ってことになれば、君はさっさと彼女のことを忘れて生きていけるじゃないか。だから、あたしが『マナ』になって君をこっぴどく振る必要があったんだ」


「……え? それじゃ、君は……僕のことが嫌いで、あんなことを言ったんじゃ……ないの?」


「……」


 鈴木さんの顔には、しまった、口を滑らせた、と明らかに書いてあるようだった。


 しばらくしてから、彼女はポツリと言う。


「その質問に答える前にさ、君……あたしのこと、どう思ってる?」


「ええっ?」


 ちょっと待て、どういうこと?


「あたしのカンが間違ってたら、悪いけど……もしかして君、あたしのこと……その……憎からず思っていたんじゃないのか?」


 僕から顔を背けたままで、鈴木さんが言った。


「……!」


 うわ、バレてた……にしても「憎からず思う」なんて、鈴木さん、ずいぶん古風な物言いをするんだな……


「ああ、そうだよ」意を決して、僕はうなずく。「僕は鈴木さんのこと、ずっと気になってた。だから、君がマナかもしれないって思った時、すごく嬉しかったんだ。これはもう運命のめぐり合わせだ、って」


「あたしもね、君のことが気になってた。いずれ告白して、お付き合いできたらな、なんて……思ってた……」


 え、ええっ?


 やっぱ僕、嫌われてたんじゃなかったのか? むしろ両想いだったのか?


「だ、だったら、付き合おうよ! 僕だってずっとそうしたいって思ってたんだ。だから……」


「バカ! 付き合えるわけないだろうが!」


 いきなり鈴木さんが僕の言葉を強く遮る。


「どうして!?」


「まだわかんないのかよ!」いつの間にか彼女は涙ぐんでいた。「あたしと君が付き合ったら、お姉ちゃんの思い人をあたしが横取りしたことになるんだよ!? あんなにお姉ちゃんが好きだったコースケを、あたしが横取りするなんて……そんなことできると思ってんのか!?」


「!」


 そういうこと……か……


「だから……だから、最悪だって……言ったんだよ……」


 そう言って、鈴木さんはグスンと鼻を鳴らした。


「……」


 何も言えなかった。僕は彼女の気持ちを、何も分かっていなかった。


「どうしても……付き合えない、ってこと……?」


「ああ。そりゃあたしだって、君と付き合えたら嬉しいよ。でも……それは絶対に無理なんだ。あたしらには縁がなかった……ってことだよ……」


「……」


 こんな時によく言われるのは、天国のマナはそれを望んでいるのか? とか、彼女は妹を悲しませたいと思っているだろうか? ってこと。


 それに、僕とマナは付き合ってたわけじゃない。だから、僕と鈴木さんが付き合ったとしても、彼女を裏切ることになるとは、僕には思えない。


 でも……


 こういうのは理屈じゃないんだ。鈴木さんには、マナと過ごした大切な時間がある。それを知らない僕が何を言っても、たぶん空回りするだけで彼女の心には届かない。


 僕にできるのは、自分の気持ちをちゃんと伝えて、待つこと。それだけだ。


「鈴木さん」


「……」彼女の反応は、ない。


「君に言われなくても、僕は見附海岸でマナを待つのは今年でやめるつもりだった。けど……やっぱ続けるよ。ただし、これからは僕が待つのはマナじゃなくて……マイの方だ」


「……!」


 鈴木さんが僕に顔を向けた。涙が彼女の頬を伝う。


「僕はもう、待つのは慣れっこだからさ、それで……一年後、もし君が僕と会いたいと思ってたら……あの場所に来てほしい。僕はそこで待ってる」


「織田……くん……」


「それじゃ、鈴木さん。僕、必ず待ってるからね」


 むりやり笑顔を作り、僕は彼女に背を向けた。


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