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 久しぶりに、あの時の夢を見た。


 十歳の夏の終りに海で出会った、初恋の、あの子。「マナ」っていう名前しか知らない。金沢から、おばあちゃんの家を訪ねてきたらしい。砂浜で一緒にお城を作って遊んだ。かわいくて、だけど、どことなく儚げで……僕はいっぺんに恋に落ちた。


 それ以来、毎年僕は9月23日になると、彼女と出会った見附海岸みつけかいがんに足を向けていた。 


 だけど……


 その後、彼女と交わした約束が果たされることは、一度もなかった。


 金沢の大学に進学した僕は、去年から金沢にアパートを借りて一人暮らししている。それでも去年はその日、珠洲すずの実家に戻って見附海岸に出向いた。もちろん彼女とは出会えなかったが。


 そして、あれから十回目の9月23日がやってくる。いい区切りだと思う。


 見附海岸に行くのは今年で終わりにしよう。なぜなら……


 コンコン、というノックの音が僕の思考を中断させる。


「はい」


「織田くん、十分休んだか?」


 休憩室のドアを開け、笑顔で入ってきたのは、バイト仲間の鈴木さんだった。僕と同い年の大学生女子だが、大学は僕とは別で、彼女は市内の美術系の大学に通っている。サバサバ系女子、って言うのかな? ちょっと男っぽい言葉遣いだが、ショートボブがよく似合っていて、スタイルもいい。


「ああ、鈴木さん。そっか、もう交代の時間か」


「そうだよ。君の休憩時間は終わり。ほれほれ、さっさと働いてきな」


 手に持っていたお菓子とお茶のペットボトルをテーブルに置き、彼女はニヤニヤしながら右手で「シッシッ」の仕草をしてみせる。


「分かったよ。それじゃ、ごゆっくり」僕はパイプ椅子から立ち上がった。


「おう」


 鈴木さんの声を背に、後ろ手で休憩室のドアを閉める。


 そう。


 今年で見附海岸詣でをやめようと思った大きな理由は、この人の存在だ。たまたま同じオンゲをやってることが分かって意気投合してしまった。一緒にプレイしたことも少なくない。

 ぶっちゃけ、僕は彼女が気になっている。そして……彼女も僕のことを意識しているような素振りを見せていた。


 それまで僕は、ずっと好きな女の子はいなかった。初恋の「マナ」のことがずっと忘れられなかったのだ。十年も引きずってるなんてキモいよな、と自分でも呆れる。でも……


 ここにきて、ようやく僕の心を動かす女性が登場したのだ。だから、見附海岸に行くのは今年で最後にしようと思う。そして心に区切りをつけたら、鈴木さんに告白することにしよう……


---


 青い空を背景に、容赦なく照りつける日差しが見附島みつけじまを浮かび上がらせていた。海岸の目の間にある、周囲を切り立った崖に囲まれたこの島は船に似た形をしていて、軍艦島と呼ばれることもある。


 暑い。9月も下旬だと言うのに、海水浴してもいいくらいだ。こんなに暑いと冬になるのが待ち遠しくなってしまう。だけど冬になったらなったで、今度は夏の暑さが恋しくなるのだろう。つくづく人間なんて勝手なものだ。


 それでもこの頃はさすがに朝晩かなり涼しくなってきた。あれだけうるさかった蝉の声も、もうほとんど聞こえない。やはり夏の終りは着実にやってきているのだ。


 連休ということもあり、毎年ここは人通りがそこそこある、の、だが……


 今年も、僕の待ち人は来ない……


 と思った、その時。


「!」


「NOTOえんむすびーちの鐘」の前に、麦わら帽子を手に持った女性が一人。しかも……僕のよく知った顔の……


「鈴木さん!」


 思わず僕は声をかけた。


「……織田くん!?」


 間違いない。鈴木さんだった。目が真ん丸になっている。


「鈴木さん、ここで何してるの?」


「いや、人を待っててさ」


「……!」


 いきなりハンマーでぶん殴られた気分だった。


 ここは「えんむすびーち」と名付けられている通り、恋人たちの聖地でもある。


 この場所で待ち合わせ、ということは……その相手は……彼氏である可能性が高い。


 そっか……彼氏、いたんだ……


「織田くんこそ、なんでここに?」


 鈴木さんの声に、一瞬放心状態だった僕は我に返る。


「僕は実家が珠洲だからさ。ここには歩いてこれる距離だし。ちょうど帰省してたもので」


「……君の地元、ここなのか?」なぜか鈴木さんは眉をしかめた。「なあ、織田くん。君……もしかして、下の名前……コースケだったりしないか?」


「!!!」


 な、なんだってー!?


 もしかして……彼女の待ち合わせの相手は……「コースケ」なのか?


 しかも、彼女が手に持っている麦わら帽子……マナがかぶっていたそれに、そっくりじゃないか……


 ってことは……鈴木さんが、マナだったのか……


 なんてことだ……


 こんな運命的な出会いが、あるだろうか。


 僕は初恋の彼女に、もう一度恋した、ってことなのか……


 それにしても、変われば変わるものだ。今の鈴木さんには、あの時の儚げな「マナ」の面影はまったくない。


「そ……そうだよ……」自分でも声が上ずっているのがわかる。「親孝行の孝に、介護職の介で、孝介。もしかして、鈴木さんの下の名前……マナ?」


「……最悪」


 苦虫を噛み潰したような顔で、吐き捨てるように鈴木さんが言った。

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