太陽暦を思い出す

 太陽系を離れ、何世代にも渡り宇宙空間を旅する人類の話。

 太陽が消滅したのか、見えないほど離れたところまで来たのかは語られていないが、重要なのは太陽に頼らない時の刻み方をしている世界ということ。

 太陽に頼らない宇宙歴を取り入れた社会で、

「現存しないとされていた太陽暦の時を刻む機械式時計」

 が発見されたところから話が始まる。


 その時計というのがとてもいいのだ。

 焦げ茶色の六角形の本体に、白い丸い盤面、くっきりとシャープなローマ数字、凛々しく尖った針。おじいちゃんの家にあった壁掛け時計的な。


 計算の結果、(「読者のために太陽暦に換算すると」)数百年の時を経てもなお、その時計の時刻は(太陽暦で存在していたうるう秒を加味しても)10のマイナス15乗程度の誤差で動き続けていることがわかった。


 懐かしのおじいちゃんちの壁掛け時計的なその時計の発見が発端となり、物語が巻き起こる。

 太陽派と呼ばれる過激派組織は太陽暦の復活を目指し地球歴史家に取引を持ちかける。

 ロストテクノロジーとなっていたはずの太陽暦時計の職人技術が、辺境部族の文書から見つかるが果たして正確なのか?


 宇宙船は人口太陽だから世界に時差はない。うるう年はない。冬至も夏至もない。日付変更線もない。人口季節と人口気候はあるらしい。年号はある。ニューイヤーもある。文化と宗教もある。歴史もある。太陽はないが星はある。青空はないが夜空がある。

 舞台は「かつてヨーロッパ(europa)州とアジア(asia)州を合わた名前で呼ばれていた大陸」(=eurasia)ほどの大きさの宇宙船。宇宙船は他にもあるらしく、行き来も可能。さながら地球での大陸間のように。

 その中で政治と経済があり、人間社会があり、思惑としがらみと利害がある。


 そんな壮大なスケールの中心にあるのが、一つの壁掛け時計という対比が良かった。


 結末は人によって好みが分かれそうな終わり方だった。

 けれども時の刻み方なんて、計算上の正しさはあるが人道的な正しさなんてないし、結局時間の正しさって人の間での合意があることなんだと思う。

 正しい時間をこの世界で唯一自分だけが知っているとしたら、それが何の役に立つというのだろう。

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