鳥がぼくらは祈り、/島口大樹
書き方がかなり独特で、文章から直接セリフに移って、セリフの途中から改行して括弧で括られたり、誰のセリフなのかあえてワンテンポ置いてあったり、接続詞の使い方、というか接続の仕方も独特。
そして何より「ぼく」の一人称で語られながら三人称の視点もある。
「山吉が振り向いて遣った視線の先にいたのはぼくだった」
とか、おもしろい。独特だけどちゃんとわかる。
そう書くと、めちゃくちゃ読みにくそうに思えるけれども、読み終えてみると王道の純文学だと思った。「ぼく」の思考と鳥の目線が両立している。一人称の視点によって出来事は直接感じられ、三人称の視点によって不幸を通り越して見られる。
中学からつるむ四人の男子高校生が、互いの不幸を慰めあって生きる青春とも言えない人生の一端。
恥ずかしいと思いながらも、「俺らの前でそういうのはなしな」と言ったこと。他の人との会話の中で庇いあうように無意識に予防線を張ること。父親が自殺していない人間がここにいるべきか、と気遣い、「遺書トークやめろよ」と笑えない中で笑いあう。
そういう四人が四人で分け合うすべてが良すぎて泣きたい気持ちになった。
池井が「仕方ねえもん」と言ったけど、この小説が全体的にそういう感じに思えた。
現状を現状のままにやりすごして、希望でも絶望でも諦めでもない、反抗にもならない、ただ冷めながら、それでももがくような。
徹底的に絶望に突き落とされるわけでもなく、確かな希望が見えるわけでもなく、四人の絆がすごいパワーを生み出すわけでもない。誰も何も解決していないし悟ってもいないし、むしろ四人の人生はまだ始まっていないと言えるかもしれないけど、個人的にはこのはっきり見えない空気感も独特な文体もすごく良かった。
おそらくそのへんは賛否分かれるだろう。
だからこそ賛否の賛を表明したくてこうして書いてる。
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