食堂かたつむり/小川糸
料理が好きな人ならきっと思い描く夢、「こんなお店を開けたらな」の話。
それで商売になるの? なんてつっこみは野暮だと思う。
だからつっこみません。
同棲していた恋人に貯金までも持ち逃げされたら、さすがにそこは突然主人公をおそった困難! とかではなく法的手段を、と思うけど主題はそこではないらしいので置いておくとして。
料理と向き合い、母親と向き合い、さらに生死と向き合っているのに比べて、去った恋人や、恋人に去られた自分自身と向き合わなさすぎでは、と思うけど主題はそこではないらしいので置いておくとして。
「声が出せない」という現象が物語の最後まで続いていくのに、その原因となった出来事の扱い軽くない? さっさと流しすぎじゃない? と思うけど主題はそこではないらしいので置いておくとして。
声が出せなくなるほどのショックのわりに、途方に暮れる間もなく予め決めていたみたいに決断早くない? とも思ったけど決断と行動の早い子なんだろうということでやはり置いておくとして。
無一文になって、家と仕事(バイトとはいえ好きな仕事)はあって、実家は確執あり、という状況なら自分に残されていると思えるのは家と仕事の方ではと思うけど(声が出せないと仕事もできない、家賃も払えない、と思ったのかもしれないが、大家さんに鍵を返す前に声が出せないことに気がついたようには読めない)、大切な人も物も失った家にはもう留まれない、ということかなとも思うのでもうこの際一切合切置いておくとしまして。
あと声が出せなくなったきっかけと出せるようになったきっかけは、何かリンクさせたら良かったのではとも思ったけどそれも置いておくとして。
というか恋人の件は省略して、祖母を亡くしたショックから実家への方が一貫性があったのではなんてことも思ったけどそんなことは置いておくとして。
料理のシーンがずっと全力で生き生きしていて良かった。
「自分がすべての料理を作っているような気持ちになっていたけれど、私は、単に素材と素材を組み合わせているにすぎないのだ。」(P111)
素材へのリスペクトにあふれている。
そういうリスペクトも感じられたからこそ、何も食べないウサギを素人が拒食症と判断するのはどうかと思う。
ご飯を食べない様子をそう言い表しているのかと思ったら、最後まで精神的な原因で結論付けていてびっくりした。ウサギにはウサギの拒食症という症状があるのだとしても、素人がその場で決定はできない。
たとえ「料理で起きる奇跡」というフィクションだとしても、それならウサギにはウサギのフィクションがあるべき。人間と動物の心理と身体的な現象を同じように扱うのは、現実でもフィクションの論理でも少し慎重になるべきことだと思う。
もちろんフィクションだから動物を擬人化したっていいのだけど、この話は動物の命を料理している。
終盤の展開はなんというかダイナミックで、そこまで全部解決させていくのねと思った。最初から最後までいろいろな要素が盛りだくさんで、満腹フルコースのよう。予想外な要素もあり、あと比喩表現が結構独特で、最初に出てきたザクロカレーのように味の予想のつかない料理のような話でした。
あ、これは余計なおせっかいですが、まだ付き合ってない高校生男女のディナーにハート形の赤いお鍋はちょっとどうなのかね…
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