水中の哲学者たち/永井玲衣

 表紙とタイトルで手に取って、文章が好みで読めてしまった。哲学書、というものを読むのが初めてだった。


 哲学とは、世界の見方、というよりも世界の関わり方そのものなのかもしれない。周りのあらゆるものに対して、どのような解像度で、どのような深さで、どのような近さで関わっていくか。「そういうもんでしょ」で何でも納得できてしまう自分のような人間こそ、哲学を知るべきだと思う。そう思ってはいたけど、なくても済んでしまっていたから後回しになっていた。読めて良かった。


 そういうもんでしょ、が自分を助けてくれることもあるが、なんで、と問わずにはいられない時もある。そういう時に哲学が助けの一つになるのかもしれない。必ずなるとも限らない。

 わかりやすく役に立つことばかりがもてはやされる世界にも、哲学があって良かったのだと思う。


 哲学対話について、言葉にして初めて自分の考えに気がつける、というようなことが書かれている。これを自分は文章でやっていると思った。もちろん、話す書くのどちらがいいかは人によるけれども。

 何にしても、言語化は自分の考えを、ひいては自分を客観視できる。


 わからなさすぎて考えてもどうしようもないと今まで思っていたことにも、向き合う勇気がわいてきた気がする。正解が見つかることだけが正解じゃない。わからない、答えが見つからない、なら考えてもしょうがない、となるのはとても損なことだ。いや、哲学の話に損だとか得だとか言うのは野暮な気もするな。


 世界のすべてに真面目で感受性豊かな文章だけど、結構ユーモア効いてて良かった。

「哲学書は、テクノみたいに一定のフレーズを反復しなければならない決まりでもあるのか。」(P211)

「昔、笑いをこらえることに必死になりすぎて、どっかのマンションに飾られているでかい門松に刺さったことがあった。」(P201)

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