フェルマーの最終定理/サイモン・シン

「フェルマーの最終定理は数学のセイレーンなのだ。天才たちを魅惑の声で誘っては、その希望を打ち砕く。」(P239)


 かの有名な、フェルマーの最終定理。

 わくわくドキドキでおもしろかった。この定理が生まれてから証明されるまでの、三世紀に及ぶ数学界のドラマ。ピタゴラスから始まる数学史だった。日本人数学者が重要なキーになっていて、勝手に誇らしかったです。証明、というはっきりとしたゴールがあるから飽きなかった。


 心理学とか法律のような、事実を積み上げて体系立てていく学問よりも、理論上、計算上はこうなるはずである、という学問の方が私は好きだ。成績がよろしかったとは言っていませんが。

 宇宙の話もそういう理由でそそられる。

 実際には観測できていないけれど、理論上は存在していないとおかしいダークマターとか。


 純粋数学なんて何の役にも立たないじゃないか、と言いたい人がいるのもわかる。そして数学者本人たちもそれをなかば自虐している。この学問のしがないファンとしてそういう意見へ申し上げたいことは、うるせえ、それがロマンだろうが。ならお前という存在は純粋数学以上に世界の役に立っているんですか? といったところでしょうか。


「πが無理関数だと知ったところで何の役にも立たないだろうが、知ることができるのに知らないでいるなんて耐えられないではないか」(P241-242)


 純粋数学。究極の概念の学問だなと思う。

 何の外的要因も物理的障害もなく、時間の制約すら受けず、地球が消滅しても同じ式を解けば同じ解になる。けれども、もし「数を数える」という活動が失われたら、跡形もないのかもしれない。

 物理学が通用しない世界、くらいならSFにあると思うけど、数という概念の無い世界、のようなSFってあるのだろうか。あったとして理解できる気はしないが。


 欧米ならではのユーモアも多く、証明というゴールのおかげで飽きず、とても読みやすくておもしろかった。それでもやっぱり何言ってんのかわからん部分もあります。結構あります。こういう本を読むと、「何を言っているのか全然わからないけどとりあえず読み進める」という訓練になる気がする。そのような訓練がどこで役立つかというと、「銀河ヒッチハイクガイド」みたいなわけのわからんハチャメチャSFコメディを読むときなどに役立ちます。


 役に立たない純粋数学のロマンの話だったのに役立つ話をしてしまった(役立ちはしません)。

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