私、もう疲れたんだ ~参~
「私はね、その"前世の記憶"が無くならなかったんですよ。少なくともこの年齢まではね」
まっすぐ律を見つめる少年を前に、律は目を丸くしていた。
「え―――それってどういう―――」
「そのままの意味ですよ。私は今前世の記憶を持っています。そしてそれは意識に関しても同じことです」
少年はそう言うと手元の水を少し口に入れた。
「ごめん、ちょっと順番に聞かせて、何から聞けば良いか今から考えるから」
律はとりあえずハンバーグを口いっぱいに放り込み、頬を膨らませながら思考を巡らせる。
この時点で彼の言っていることに不信感を持つべきなのは自分でも分かっていたけれど、今までの彼の言動や態度から手放しに嘘とは思えなくなっていた。
「実際さ、どれくらい覚えてるの? 前世のこと。例えば死因はなんだったのかーとかまで覚えてる感じ?」
「初っ端死因聞くんですね、貴方」少年は明らかに引いたような素振りを見せる。
「だって、気になるじゃないー」律はむすっとして次はステーキを口に入れた。
「まあ、覚えてますよ、大体は。とはいっても単なる病死でしたからね、深い眠りに入るようなもので面白みはないですよ。闘病期間は長かったですけどね」
「病死―――」律は言葉を失った。
「享年六十七歳、とかだったんじゃないかな。西暦でいうところの2000年前後にお天道様の元に行ったのは覚えてますね。うちの若い子らが寝たきりの私に向かって『おじいちゃん! 2000超えたんだって!』って教えてくれてましたから」
律は病死と聞いて心が締め付けられる思いをしていたが、彼の話すその光景を思い浮かべて、少し心が温かくなっていた。彼の生前はきっと大勢に囲まれる、愛される亭主だったのだろう。
「そっか、いいおじいちゃんだったんだね」
「さあ、そうであってくれたらこれ以上嬉しいことはないですね」
律の表情を見て、少年も頬を緩めた。そして「さ、ごはんごはん」とようやく箸に手を付けてお味噌汁を啜り始めた。
律は目の前の少年が黙々と食事を進めるのを見て、不思議な気持ちになっていた。
食べているもの、所々でみえる所作などは確かに言われてみればおじいちゃんっぽい気もする。しかし全体像を見れば彼は正真正銘若人であり、そんな彼に対して"寄りかかりたい"と思うことなどおかしなことだということも律には分かっている。
それでも、律の中にはどうしても昔よく面倒を見てくれた祖父母の姿が彼に重なってしまうのだった。
「あの、さ」律が食事を終え、まだちまちま箸動かす少年に話しかける。
「はい、まだ、なにか」少年は食事の途中だったのでまだもごもごしていた。
「私の話、聞いてくれないかな。聞いてくれるだけでいいんだ、もしかしたらごはんが美味しくなくなっちゃうような話かもしれないけどさ、あなたになら話せる気がして」
少年は律の方をじっと見ながら瞬きを繰り返していた。そして食べていたものを飲み込んで、箸を置いた。
「ここだけの話私はね、元々教師だったんですよ。担当は中学や高校でしたけどね、人と接するという点においては、回数を重ねてきた自負もあります。色々な子を見てきましたからね、人はこうあるべき、みたいな固定観念もあまりない方だと思います。
なので『こんな少年に真面目に相談するなんて馬鹿らしい』などと思わずに、ぜひそこら辺のおっちゃんに人生相談するつもりで話してください」
そう話す少年は、柔らかい表情を浮かべていた。
「―――なるほど、それは辛かったですね。"申し訳なさ"と"悲しさ"ですか」
「うん―――全部のことが他の人達よりできないなって感じてて」
下を向いてぼそぼそと話す律を、少年はどこか申し訳なさそうに見つめていた。
「いわゆる"劣等感"というやつですね」
「そう、だと思う。だってホントに私何にもできないのよ。簡単な事務作業だって周りに人達より遅いし、人と話したりするのも苦手だし、勉強とかも昔からできたわけじゃないし、スポーツだって自信ないし―――誇れるものなんてなんにもないの」
言い切った後に少年を見上げた律は、彼の浮かべるその表情に驚いた。彼はまるで私の問題を自分のせいであるかのような顔をしていたのだ。
「それはきっと、積み重ねですよね。小さな自信の喪失が積み重なって今の貴方を作っている。私ね、昔から思うところがあったんです。幼稚園から高校までの教育課程に対してです」
そう言われて律は頭の中で思い出す。幼稚園、小学校、中学校、高校の記憶を頭に巡らせた。
「例えばテストの結果、これは中学を超えると順位で評価されたりしますよね。小学校だってテストの点数が高い子が凄い、という風潮だったはずです。
勉学以外の運動や副教科も成績で評価されますね。これも点数などで評価されて、学校によっては順位などが付けられることがあるそうです。
律さん。分かりますか? 我々は幼いときから常に比較の渦中にいます。常に誰かと比較したり、逆に比較されたりしているんです。そうやって育てられてきたんですよ、我々は。
確かに"比較"は最も単純なやる気の種のようなものだと思います。周りより上でありたい、下に行きたくない、下だと思われたくない、とかね。これは一番手っ取り早く目の前のことにやる気を出せる感情であり、それで頑張れる子にとってはとても甘美なものでしょう」
「でもその褒められてる子たちは凄いじゃんか、凄いから、褒められてるんでしょう。私はその子たちに比べて色々が劣ってたの、だから自己肯定感だって低い。これは私のせい」
テストの順位で友達に笑われた思い出、先生にたしなめられた思い出、親に怒られた思い出。成績表のせいで三者面談が怖くなった思い出や運動会が嫌いだった思い出。律の頭は"敗北"の記憶で埋め尽くされていた。
「律さん。一回生まれた時点で決まっていることを嘆くのはやめませんか」
「なにそれ」律は少年を睨んでしまっていた。そしてそんな自分にも嫌悪感を感じていることにも気付いていた。
それでも目の前の少年はただまっすぐ、律を見つめている。
「例えば容姿や身長などですね、これも遺伝子の問題です。あの子と違って私は顔がどう、とか身長が低いから、とかを考えるのはやめましょう。これに関しては特別な処置をしなくては変化することはない。努力でなんとかなるのはせいぜい痩せた、太ったくらいのもんです。後はメイクとかかな」
「私、そんなことを気にしてるなんて言ってないわよ」律は眉をしかめた。
「そうですか? この遺伝子の問題には記憶力や思考力、発想力やある程度の運動神経なども含まれると私は考えていますよ」
律は口をつぐんだ。
―――あの子は記憶力がいいんだわ、羨ましい。
―――いいなあ、親が頭がいいから理解力もいいのね、きっと彼らはこんな問題も一回で理解できちゃうんだろうな。
学生時代に嫌になるほど考えたことだった。そしてそれは、きっと今もだ。
―――計算速いと仕事も早く片付くんだな。
―――なんであんなこと思いつくのよ、きっとこれは"才能"ね。
「でも、そういうのは努力で勝ち取った人だっているはずじゃない。全部が生まれながらのものだなんて―――私はその努力ができなかった、怠惰だったから能力が低いのよ」律は自分の言葉が自分の心を刺したのを感じた。それでもこんなことを言ったのは、きっとこれを少年に否定して欲しいからだろう。
「そうですね、勿論これらは努力で大きく伸びると思います。それこそ身体的特徴に比べたらね。ですが生まれつきの差がない、とは言えないでしょう? どうしても勉学が得意な両親の子どもは勉学が得意な傾向にありますし、それは運動においてもそうですよね」
「ま、まあそれはそうだけど―――」
険しい顔をしている律に、少年は微笑んだ。
「まあまあ、私が今言いたいのは"そういう生まれながらのものは見ないようにしよう"という話ですよ。これに関してはとりあえず頷いてくれますかね」
どこまでも優しく問いかける少年に、律は「それは―――まあいいけど」としか言えなかった。実際彼の言っていることは正しい気がする。
少年は「ありがとうございます」と言うと、またもや顎に手を当てて口を尖らせた。
「後は律さんの抱える"私は人より努力していない、できない"問題ですね」
「そうよ、それは―――一生私につきまとう、覆らない事実なのよ―――」
さっき自分が少年に否定してほしかった理由が鮮明に分かった気がした。きっと私は"努力できなかった"ことを自覚してはいるものの、過去の自分は無意識に自分より上の人間に"生まれながら持ち得ているもの"のせいで負けていると言い聞かせていたからだろう。それだけ改めて自分の怠惰と向き合いたくなかったのだろう、と思うと、どこまでも自分は救えない人間なのだと再認識した。
「あ、まだ話は終わってないんですから、自分を責めるのはあと少しお預けですよ」
そう言われて律は飛び上がった。またもやこの少年に心を読まれた気がする。
「ちなみにですけど―――律さんは普段どのくらい寝ますか」
「え? うーん大体―――六時間前後かな、もっと短いときもあるけど」
「ほう、なら人より大幅に意識を失っている訳ではないのですね」
律の頭は彼の唐突な質問に「?」で埋め尽くされていた。
「知ってますか? 人間って何も考えないってことが中々できないそうです。つまり、自分ではだらだらと天井を見ているだけ、と思っている時間も、人間は数多のことを思考して、分析しているのだそうですよ」
「へえ―――動画とかをぼーっと見てるだけの時間も?」
「それは貴方、動画の情報を頭に入れてるじゃないですか。ジャンルが違うだけで、勉強とやってることは一緒ですよ」
目の前の少年はニコニコと笑っている。
「例えばですよ。学生時代、片方は一生懸命参考書とにらめっこしながら公式やらなんやらを覚えていた。もう一方は何もせずにぼーっと窓の外を眺めていた、とします」
「うん」
「これはどっちが怠惰でしょうか」
「そりゃぼーっとしてる方でしょ」律は即答した。
「それは"勉学がどれだけ身についたか"で考えた場合なら正解ですね」
「どういうこと―――?」
少年は「ほらほら」と律にさっきの話を思い出すように促す。
「人間はぼーっとしてるときも何かを思考してるんです。例えば自分はなぜ生まれてきたのか、とか、自分の使命は―――とかね。そんな答えがないようなことを永遠に考えてたりするんですよ」
「そんなのになんの価値があるのよ」
そう言い放つ律を見て、少年はあからさまにしょんぼりしてみせた。
「これは人格形成においては非常に大切なステップなんですよ。そういうことを考える人であればあるほど、その人間の価値観はより複雑に、より柔軟になります」
ぼーっとしている律に、少年がニッと微笑む。
「つまりですね、この二人のうち"どちらがより自分と向き合い、人格形成に励んだか"という問いに変えれば、怠惰なのは前者なんですよ。不思議ですよね」
律は自分の身体が一気に熱くなるのを感じた。まだ、彼の言いたいことを完璧に理解できたわけではないはずなのに、なんだか心が燃えているような気分だった。
「これはね、何事においても言えると思うんですよ。そう考えるとどうです? 自分が他の人よりも何かで劣っている、と思っても、それは自分と使っていた時間と方向が違うだけで、自分は自分なりの力があるはず、と思えませんか?」
「でも、そう思えたってさ、結局仕事とか生活で必要な力が劣ってたら、そんなの現実逃避と変わらないよ」律は思ったよりも語気が強くなってしまって「ごめん」と続けた。
少年は律の謝罪など全く気にもとめずに続ける。
「律さんにとって仕事とはなんですか? やりがいがあったり、それが律さんの人生にとって非常に重要なものなのでしょうか。それとも単にお金が必要だからやっているに過ぎませんか」
律は今の会社を選んだ経緯を思い出した。今の自分で入れるところ、まず選考に通りそうな所、あまり都会すぎない所、給料や福利厚生がある程度しっかりしているところ。
思い返してみると、そこにやりがいを見いだしたことなどなかったように思う。
「それなら―――後者だけど」
「なら、目的は完遂ですね! だって今でも十分にお金は稼げているわけですから」
少年の言葉が律の頭を思いっきり殴ったような気がして、律は一瞬座りながらふらついた。自分という人間が根本から変えられてしまうような気分に襲われる。
「でも―――私辛いよ。貴方はなんでこんなこともできないの、遅い、のろい、役立たずって。思われたり言われたりするだけで辛いの。だって、それだけその人達に迷惑をかけてるってことでしょ。それを自分は自分だから、で切り捨てることはできないわ」
「それは仲間に迷惑をかけている自分が嫌だ、ということですか」
「そうなの、なんでだろうね、無性に辛くなっちゃうの」
少年は律の右手をとって、まだ少し小さな両手で包み込んだ。
「そうですね―――なら、それは頑張りましょう。それは他人との比較から生まれた感情じゃなくて、貴方の願望です。律さんは優しいんですね、そんな風に自分を下げる方々のために頑張りたいだなんて。
でも素晴らしいことだと思います。その"迷惑をかけたくない"が"周りをもっと助けられるようになりたい"まで進化すれば、きっと律さんはもっと成長すると思いますよ。誰かのために、という力も、比較することと同じかそれ以上の力がありますからね」
「そう―――なのかな」律の目には涙が溜まっていた。
「私は、そう思いますよ」
少年は律の目をお手拭きでそっと拭いた。それを綺麗に畳んで机の端に置いた。
「なんか―――色々ありがとうね、元はといえば君の話を聞きたかったのに、最後の方はずっと私の話ばっかりで」律は会計を終えた財布をしまった。
少年は外で待っており、律をみるやいなや「ごはん、ごちそうさまでした」と頭を下げた。
「力になれたのなら幸いですよ。ですが私の話を盲信しなくてもいいんですからね。私なんてある程度生きて、一回死んでるだけの一般人です。神聖なものでもないですしね。
というのも、私がこう言ったからこうあるべき、とか気負わないで欲しいんです。なんかこの考え方は楽だから私の価値観の一つに採用しよー程度の軽さでいいんですからね」
少年は心配そうに律を見上げた。その顔は真昼の日差しを横から受けて少し歪んでいる。
「大丈夫よ、本当に助かったんだから。流石年の功って感じだわ―――というかここまで真摯になって向き合ってくれたんだから、何かお礼しなきゃよね。
まだ昼過ぎだし、何かしたいことあったらなんでも言って。何が好きかなあ、ゲームセンターとか―――って転生おじいちゃんはもっと静かなところがいいか―――」
そう言いかけて律はその場で硬直した。
「待って。あなた、大分な年長者なのよね。私、いつまでもタメ口きいてたわ。ごめんなさい」
急いで頭を下げる律を見て、少年は一瞬びっくりした様子だったが、すぐに「ははは」と大きく笑った。
「何をいいますか、こんなのに敬語を使ってたらそれこそ変ですよ」
「で、でもなんか事情を知っちゃった後ではムズムズして―――」
もじもじしている律を見て少年は少し考えると、律の背中をそっと手で押した。
「分かりました。じゃあ貴方に対して、私が目上と話すような敬語を使うのをやめる、これでどうかな」
一瞬悩んだが、律は「まあ、それなら」と渋々答えを出した。少年も満足そうな顔をしている。
「あ、大事なことを忘れていた。律さん」
「ん? なあに」
「今晩、その―――お宅にお邪魔してもよろしいかな」
申し訳なさそうにお願いする様子は、言葉としゃべり方を除けば子どもが大人におねだりしている様子に他ならなかった。
「勿論よ。なんならずっといてもいいわよーなんならその謎組織から守ったげる。あ、でも」
「お、なんでしょう」少年が何かお願いされることを想定して身構えた。
「名前。貴方の名前よ。まだ聞いてなかったわ」
少年は最初にしゃべり方のことを聞いたときと同様、下を向いて考え込んだ。
律はそんな少年のことをいろんな角度から観察していた。
「いやあ、それがね。わかんないんですよ、名前」
「はい?」律は自分でもびっくりするような素っ頓狂な声をあげた。
「それがね、前世の名前は覚えてますよ、
「ふうん―――でもきよ、なのね。きよしじゃなくて」
「そうなんですよ、お袋がこれがいいって聞かなかったらしくって。まあ生後男か女か分からないような容姿をしてたからだとかなんとか言ってたんですけどねえ」
律はすこし考えて「うん、よし」と再び少年の方を向いた。
「今の名前がないなら私がつけたげる。前の名前が清だから―――うん、きよじいにしよう!」
「―――え?」少年の顔は信じられないほど真っ青になっていった。
「これからもよろしくね、きよじい」一方律はというと、その呼び名の響きがとてもしっくりきているようで満足げな顔をしている。
「き、きよ―――じい? 私はこれからきよじい? 孫たちもきよおじいちゃんとかだったのに―――?」
それから一日中、どこをいくにもきよじいはどこか上の空だった。
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