私、もう疲れたんだ ~弐~
「で、貴方がそんなそわそわしている原因はなんです? 何がそんなに気になるんですか」
律が腰掛けて落ち着いたのを確認して、少年が律の顔を覗きながら尋ねた。
一見問い詰めているように見えるような台詞でも、律は彼のゆったりとした口調が発言から棘を抜いているように感じていた。
そう言われてみると、私は何を聞きたいのだろう。律は顎に手を当てて考えた。律は聞きたいことが渋滞しており、頭が混乱していた。
彼の大人びた話し方? 一人称? 不思議と感じる引力―――なんてものは聞いてもきっと解決しない。
そして律はハッとし、思いついたことをそのまま口から出した。
「そうだ、まずは例の"今日お世話になるところ"という発言についてよ。これが一番最初に聞くべきだわ。貴方の安全にも関わるもの」
「んーだから今のこの状況よりはよっぽど安全だとは思うんですがねえ―――まあ私のボロが出たのもそこですし、これは説明しましょう」
多少呆れたような目で律を見ながら少年は話を続けた。
「私はね、今身寄りが無いんです。これに関しては深くは話したくないんですがねえ、実は私はある存在から逃げている身なんですよ。あ、犯罪とかじゃないですよ。できれば関わりたくないですけど、別に警察から逃げているとかじゃあないです」
律は目を細めた。最大限に人を疑っている目だ。それを見て少年は「信じてないですね」とため息をつき、一度場を落ち着かせるためか猫の頭を撫でた。
「とにかく、です。それらから逃げるにしても、私はひとりではなんともならないんですよ。見ての通り、こんな姿ですしね。お金を稼ぐなんてこともできない。だから、色々な方―――主にご老人が多いですかね。そんな方々の願いを聞く代わりに、しばらく厄介になる、という生活を送っているのですよ」
そう言うと少年は猫を律の方に差し出して「今日の方のお願いは"この子を一日見ていてくれ"だったんです。主人のおばあさんが外出するから、家出癖のあるこの子を見張っていてくれ、といった具合でね」と付け加えて説明した。
「そんな、聞けば聞くほど危ないじゃない。未成年がそんな―――警察にバレたら色々面倒なことになるわよ」律は少年に迫る。
「だからさっき"できれば関わりたくない"と言ったんです。まあ、それ以外にも理由はありますがね」
あたふたしている律に引き換え、少年は至って冷静沈着だった。話の節々で猫とじゃれ合えるくらいの余裕はあるようだった。
「っと、そろそろ戻らなきゃですね、おばあさんがいつ帰ってくるか分かったもんじゃないので」少年はそう言うと「ほら、行くよー」と猫と共に立ち上がった。
「ちょ、もうちょっと待って」律は慌てて呼び止めた。
「私ももっとお話ししたかったですけどね。でもほら、私が今晩どうするかが分かっただけでもいいじゃありませんか。これで安心―――はできなくても納得はできたでしょう?」
そう言うと少年は流れるように「では」と小さくお辞儀をして、律に背を向けた。
「明日! 明日って何時までその家にいるの」
律の焦った声に、少年の背が少し反応した。
「どうでしょう、朝方には出ると思いますけど、人によりますね。庭の草むしりしただけで何日間も泊めてくれた方もいらっしゃいましたし。今回はどうだろうなあ」
律に背を向けたまま答えた少年は、どうやら律が言いたいことをなんとなく察したように、ゆっくりとふり返った。
「はあ―――貴方、明日ならいつ頃が都合がいいんですか」
少年の提案に、律の心は踊るように跳ねた。少年はそんな子どもみたいな反応をする律に対して、まるでわが子を見るような微笑みを浮かべていた。
「おまたせー待った?」
午前十時、昨日のベンチで少年は待っていた。
昨日とは違い、彼の横には大きな手提げがあった。見た感じ大人物のように見える。数日分の着替え一式と日用品が少し入れられる程のサイズ感があり、まだ成長しきっていない彼には少し大きすぎるようにも見えた。
「おはようございます―――昨日とは随分雰囲気が違いますね」
「まあね、なんてったって土曜日だから。社会人にとって土曜日は命の休息日なんだからね、自分の気持ちに正直にならなきゃいけないのよ」
律は髪を上の方で縛り、大人っぽく見えるようなワンピースとハイヒールで着飾って、自分のお気に入りのブランド物の小物入れを下げていた。
「なんだか―――きちんと最近の若い女性、といった感じですね」少年は目をしばしばさせながらそう言った。あからさまにコメントに困っているような素振りだ。
「当たり前でしょーまだ二十四なんだから。昨日はほら、会社帰りでスーツも着てたしね」
あのスーツがおばさんっぽかった、なんてことは無いよね? と嫌な考えが巡っている律の前で少年は「ははは」と苦笑いを浮かべていた。
「まあ、とにかく良かったです。昨日はどうやら生きているのに疲れているようにみえましたから。元気なら良かった良かった」
突然自分の本心に迫るような少年の発言に、律は一瞬たじろいだ。
そんな律を横目に少年は立ち上がり、大きな手提げを肩から担いで律の方に振り向く。
「さて、今日はどうするんですか。何をするにも、このデカいのをなんとかしたいのですが」手提げをこちらに向けながら少年は言った。
「んーじゃあカフェとか、ファミレスとか! パフェとか好きじゃない? お姉さんがおごってあげる。カバンはうちに置いてけばいいよ、うちもすぐそこだし」
少年は律が指さした先を見ながら「わーい、やったー」と棒読みで喜んだ。
律はとりあえず目の前の少年の見た目から喜びそうなものを選んだつもりだったが、話している内容や仕草も加味すると彼の喜ぶものというのが未だに全く想像できずにいた。
「なんでも頼んでいいよー、遠慮はしなくて大丈夫だからね」
あの路地を抜けた大通りに沿ってしばらく歩いたところにあるファミレスは、土曜日という割には空いており、もうお昼時だというのに四、五席空いているような状態だった。
そしてファミレスという判断は、彼という若いのか大人っぽいのか分からない存在が幅広く選択肢を持てるために考えた、律なりの配慮だった。
「本当に何でもいいんですか?」パフェやポテトといった若者向けのメニューを見ながら少年がメニュー越しに尋ねる。
やはり彼は大人っぽいだけの少年なんだろうか。律は少年を観察しながら答えた。
「うん、好きなのを頼みな、お姉さん気にしないから―――」
「じゃあこのほうれん草のやつで。どりんくばー? とやらはいりません」
律は昔見ていた新喜劇ばりにこけそうになっていた。彼が即決したのはほうれん草のバターソテーみたいなもので、ほうれん草と小さなベーコンをバターで炒めただけのものだった。
「な、なんでそれを選んだの―――?」
「え―――なんかこの中で一番馴染みがあった? もので」
律の中での彼はどんどん不思議な存在になっていった。
「ちなみにそれだけならドリンクバーはつかないわよ。ていうかいいの? それだけじゃお腹空いちゃうでしょ、育ち盛りなんだから」
「えぇ、如何せん全体的に重たそうで―――お、和食もあるんですね、じゃあこの和盛り御前というので。さっきのほうれん草のやつは無しでいいです」
律は終始じとっとした目で少年を見つめていた。何から何まで―――なんというか、とことん若さを感じないチョイスばかりな気がした。
一方で律はハンバーグとステーキのセットを注文した。勿論ドリンクバー付きで、コーラをコップいっぱいに注いでテーブルに持ってきていた。
「ねえ、なんでそんなに健康志向なの? というか健康志向ってより年配の方みたいな選び方というかなんというか―――」
料理が来る前にコーラをちびちび飲みながら律は尋ねた。
すると少年は少しうつむいたかと思うと、すぐに「なんとなくですよ」と答えた。
「でもさ、絶対周りの友達とかにも言われるでしょ。君大人っぽいねーって。おじいちゃんにそっくりーとか、言われない?」
律のその質問に、少年はしばらく答えなかった。そう言われて落ち込んでいる、というよりは考え込んでいるように見えた。
それでも律は自分の発言を少し申し訳なく感じていた。そうだ、彼は家を転々としているような境遇で、年齢が近い友達や知り合いができるということも中々ないのだろう。それなのに自分は―――と己の発言のデリカシーのなさを悔いていた。
「お待たせしました。こちら和盛り御前ですねー」そう言って差し出された定食を、律は「あっ、それは彼ので―――」と少年の方に促した。
定員さんはあっと小さく頭を下げ、二人に食事を配膳して後ろに下がっていった。
この一連の流れの中でも、少年が顔を上げて律と目を合わせることはなかった。
「貴方って、超常現象的なものを信じるタイプですか」
少年からの唐突な質問に、律は口に真ん前までハンバーグを持ってきている状態で目をぱちぱちさせていた。それを見て少年は「あっ、すいません」と口に入れるのを促した。それでも、少年は至って真面目な顔をしている。
「なになに、急にどうしたのよ。悩みあるなら聞くよ」
「あー、やっぱり話すの辞めましょうかねえ」
少年は一気にやる気を無くしたようにそっぽを向いた。律は慌てて「ごめん嘘嘘、嘘だから」と少年の話を聞く姿勢に戻る。
「はぁ―――じゃあ貴方は、前世の記憶を持ったまま生まれてきた子どもがいる、という話は聞いたことがありますか」
前世の記憶を持ったまま生まれてくる子ども―――? 律は少年の言葉を頭の中で繰り返す。そんなような話、どこかで―――
その瞬間、律の頭に昔見たテレビの映像が浮かび上がった。
「あ、思い出した、都市伝説の番組だ! それで見たことある気がするわ、戦争時代の記憶を持った少年の話。その子が絶対知らないはずの情報をペラペラ話し始めたから周りの皆びっくりしてーみたいな話よね」
「それは海外の事例らしいんですけどねえ、まあそんなところです」
少年は少し微笑んで話を続ける。
「そんな彼らが、最終的にどうなったか、知ってますか?」
「え―――確かその番組では、そういう子は早いうちにその記憶が消えちゃう、って感じだった気がする。せっかくの記憶なのに残念だなって思った覚えがあるもの」
少年を包む重たい空気に、律は言葉を詰まらせながら答えた。少年は「正解です」とだけ言って、その直後に「本来は、それが正解なんです」と付け加えた。
「私はね、その"前世の記憶"が無くならなかったんですよ。少なくともこの年齢まではね」
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