第36話 番外編⑥ 妹の帰省(その4)
運転しながら考えた。
姫倉さんの話では、千崎さんは医師と付き合っているとの情報だったはずだ。
その医師には婚約者が居るとの話だった。
さっきの年配の男性は、どう見ても婚約者が居る年齢では無さそうだ。年配というか、初老に近く、でっぷりと肥え太っていた。
千崎さんはああいう人がタイプだったのか?
…違うはずだ。一度結婚した相手の佐藤氏は、筋肉質な体型だった。
『彼が、理想の彼氏』だと職場の同僚にも話していたと噂で聞いた事がある…。
好みのタイプが変わったのかな?
「ちょっと、お兄!なんで止めたのさ!?」
「そりゃあ止めるさ。お店に迷惑がかかるし、花音さんの顔に泥を塗る事になる」
「文句を言ってやる千載一遇のチャンスだったのに!!」
「もう、済んだ事だ。忘れてくれよ、香織」
「お兄が…あんな目に会ったのにっ…!」
香織は嗚咽を漏らしながら泣き出してしまった。
一緒に後部座席に座っていた花音さんが香織の肩を抱いて頭を撫でていた。
「香織さんも…悔しかったんですね。正直言うと、私も同じ気持ちなんです…。
私も以前、千崎さんと偶然出くわして、その時には少々言ってやりました。今は、ノーダメージではないはずです」
「えっ…?どういう意味ですか?」
「私、占い師で人相見もするんです。今の千崎さんは、なんだかエネルギーが無いご様子ですね。少なくとも、しあわせでは無さそうです」
「…一緒に居た男は、お父さん?なのかな?」
「いや、違う…。俺は何度か千崎さんの父親を見たことがあるんだ。おそらく彼氏の類いだろう」
「えっ!?歳離れ過ぎじゃん…?」
「金持ち狙いで付き合ってるらしいんだ。しかも相手がコロコロ変わっているみたいなんだよ」
「はぁ~…?限度があるでしょ?けどまぁ、綺麗な人ではあったかな…。ハナさんとは全く違うタイプの美人だね?」
「…そうだなぁ」
香織の眼から見ても、やはり美人に見えるんだな。
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アパートに戻って、花音さんの部屋で飲み直そうかと花音さんは提案したが、
香織は「今日はちょっと疲れたんで、明日にでも」と答えた。
香織が客間でシャワーに入る間に、俺は花音さんに気になる事を話した。
「花音さん、少し香織と話をしてきます。何やら悩みがある様子なんです」
「ケイも感じていたんですね?どうやら、私達の事ではなさそうですね。優しく聞いてあげて下さいな?」
「わかりました。花音さん、香織に許可を貰ってからになりますが、占って貰えませんか?出来れば視る方もお願いしたいのですが…。お代は俺が払います。今日の居酒屋代も含めて」
「私とケイの懐は、もはや一緒ですからねぇ。夕食の分もお代は戴きませんよ。居酒屋は私の提案ですし、私の顔を立てて下さいな?」
「ありがとうございます」
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一時間程して、香織からスマホに「風呂から上がったから、来て欲しい」とメッセージが来たので客間である隣の部屋へ移動した。
風呂上がりの香織は部屋着に着替えており、髪を乾かしていた。
「お兄、座ってて。すぐ終るから」
「わかった」
俺はローテーブルに、花音さんから預かった缶ビールと、俺が飲む緑茶のペットボトルを置いて香織を待った。
「お待たせ」
「ああ。花音さんから預かってきたビールだ。飲みながら話そう」
「優しいね、ハナさん。お兄はしあわせそうだね?」
「まあ、そうだな。仕事も落ち着いてるし。それより、お前の話だ」
「うん…。ちょっと話しにくいんだけどさ。結論から言うと、こっちに戻って来たいなって思っててね…」
「何か、あったのか?」
「…実はさ、勤めてる病院の医者の一人から『愛人にならないか?』って、しつこくされててね…」
ふむ…医者あるあるだな。お金持ちが多いので、お気に入りの女性を囲う方もいる、という話は聞いたことがある。所謂、隠し妻、情婦だ。
香織は若いし、可愛いから目を付けたのだろう。
「愛人…かぁ。俺としてはやめて欲しいが、お前…、まさかもう手がついてるんじゃ…」
「まさか!それはないよ。拒否してるからね。
一応、総務課の人事担当にもハラスメントで相談したんだけど、芳しくなくてね。医者と事を構えたくないみたいなのよね。
正直、東京での生活にも疲れちゃった…。憧れがあったんだけど、水が合わないみたいなんだわ」
「そうか…。俺が出向いて、その医師と話を着けようか?」
「ううん、そこまでして欲しくない。お兄は、私がこっちに戻ってくるの…嫌かな?」
「逆だな。俺の手の届く範囲に居てくれた方が安心だし、いつでも会える方が良い。看護師の知り合いもいるから、就職先も当たってみる事が出来るぞ?」
「…良かった。反対されるんじゃないかなって…、ずっと悩んでたんだよね」
「なんでだ?」
「だってさ…、都落ちじゃない?それに…、ハナさんにしても、私が近くに来たら邪魔じゃないかなって…」
「花音さんは、そんな人じゃないよ。都落ちについては、都に行けただけ良かったじゃないか?何事も経験しなければわからないもんだ。俺なんて、東京には住んだ事もないんだぞ?」
「…なるほど、お兄らしい発想だね?」
「香織、明日…花音さんに占って貰わないか?」
「さっきも言ってたねぇ?占い師だって。当たるの?」
「うん、当たる。花音さんの占いは、ちょっと特殊なんだよ」
「いいよ。けど、法外な金額を請求されるんじゃないの?」
「馬鹿な事を…。そんなことは無い。俺の給与から天引きだ。安心していい」
無料レベルだと思われると困るので、俺は敢えてそう言った。
「わかった…。お兄、お願いがある」
「なんだ?」
「…ちょっとだけ、抱き締めて欲しい」
「いいぞ」
俺は、そっと香織を抱き締めた。
「…また、ハナさんに普通の兄妹じゃないって言われるね?」
「そうだな…。けど、誰にだって甘えたい時はあるさ。お前さ……、俺にキスしたのって…何時なんだよ?」
「私が高一の時にさ、膝痛めた事あったでしょ?お兄が部活休んで毎日病院に付き添ってくれたり、お弁当も晩ご飯作ってくれてた時の…ある日の夜よ。まあ、お兄は寝てたけどね。お兄があまりにも一生懸命お世話してくれるから嬉しくてね。つい…」
「寝てたら…それはわからないなぁ」
暫し、無言で抱き合った。
「…もう大丈夫。お兄、明日は何時に起きたらいい?」
「ゆっくり寝てなよ。起きたら隣の住まいに来てくれたらいい」
「わかった。じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
俺は住まいの方へ戻った。
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「戻りました、お待たせしました花音さん」
花音さんは、珍しく缶ビールを飲みながら新聞を読んでいた。
「ゆっくり話せましたか?香織さんの様子はどうでした?」
俺は自分のカモミール・ティーを淹れながら話した。
「職場での悩みがあると話していました。明日、香織を占って下さい。本人の許可も得ました」
「わかりました。すっかりお兄ちゃんの顔になってますねぇ?」と花音さんは笑いながら話した。
お兄ちゃんの顔って、どんな顔だろう?と、俺は自分の顔を
「大丈夫ですよ、ケイ。まだ、視てはいませんが、香織さんは芯の強い女性で、運もある方だと私は感じました」
「そうですか…。花音さんが言うなら大丈夫なのでしょうけど…」
「それより、ハイ!」と花音さんは両手を広げた。…あ、ハグか?
俺は花音さんを優しく抱き締めた。
「…私、ちょっと妬けました」
「えっと…、妹なんですけど?」
「私、あんな風にケイと取っ組みあったりしたことありませんもの…!」
「…花音さんまでああだったら、俺は困りますよ?」
「…いいなぁ~」
「…じゃあ、今度やってみましょうか?」
「…ハイ。ところで、香織さんは何時、ケイにキスしてたんでしょうねぇ?」
「聞いてみたら、高校生の時らしいです。アイツは、中学から高一までレスリングやってたんですよ。それが、高一の時に膝を怪我して辞めたんですよね。その時、通院の付き添いや、家事等で俺も剣道部を一時的に休部してた時の、ある日の夜だと話していました」
「…私的には、ちょっと複雑な心境なのですが、ファースト・キスが千崎さんじゃなくて良かったですねぇ?」
「俺は、どう返答したらいいんでしょうねぇ?」
二人で笑ってしまった。
「それにしても、また会いましたね。千崎さんに…」
「…忘れてました。そうですね」
「良かったです。ついさっきの事も忘れる位なら、千崎さんの事は、もう、ケイにとってどうでもいい事になったみたいですね?」
「…そうですね。言われてみると不思議な感覚です。千崎さんの事より、香織の事が気になってましたので」
「フフ、やっぱりお兄ちゃんモードですね?…さあ、お風呂に入って今日はもう寝ましょう」
「はい」
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