第30話
──半年後──
俺が花音さんのアパートに引っ越してから、早半年が経つ。
そろそろ…見極めの時期だ。花音さんが、俺と結婚するかどうかの…。
俺は、やや緊張しながら日々を送っていた。
居酒屋の仕事は順調で、収入としても安定はしている…。
加えて、花音さんの助手兼秘書も何とかこなせるようにはなっている。
仕事には真面目に、真摯に取り組んでいるし、今の生活も気に入っている。
何より…、花音さんを深く愛してしまっている自分がいる…。
今、もし…花音さんに別れを告げられたら…。
…もう…何処か違う街で、ゴミでも漁って暮らそう…。そう思っていた。
その日、俺は花音さんの事務所の掃除をしていたのだが、何となく誰かから電話がかかって来る予感がしていた。
………プルルル!…おお!マジでかかって来るとは…。ん?姫倉さんだ。久しぶりだな。
「もしもし?」
「久しぶりね、柏野さん。元気してた?」
「はい、お陰様で」
「実は私、今はエレガンス・ノース病院の方に勤務してるんだ」
「へぇ?転属ですか?」
「そうなの。それで、貴方に知らせておいた方がいいかなって思う事があって…」
「何をですか?」
「ここからの話は、プライベートの話にして。病院の看護師としてではなく」
「…わかりました。どのようなお話ですか?」
「千崎さんのお母さんが亡くなったわ」
「え?…まだ、そんなにお歳ではないのでは…?」
「心筋梗塞で倒れて、そのまま…」
「そう、ですか…。けど、なぜ俺に?」
「貴方が、千崎さんと、千崎さんのお母さんに酷い目に会ったって、私が知っていたからよ」
「…そう…ですか。そんなこともありましたが、もう…忘れてました」
「…千崎さんの事も?」
「それは……完全には…忘れる事は出来ませんね。もう、好きでも何でも無いんですけど…。
なぜなのか、自分でもわかりません。
まあ、それも抱えたまま、生きて行きますよ」
「なるほどね…。かなり深い傷だったのね」
「そうですね…。完全にそれを取り去れない自分が悔しくはありますが、仕方がないです」
「その千崎さんだけど、今はうちの内科医と付き合ってるのよ」
「へぇ…、そうなんですねぇ」
「ところが、その内科医には婚約者がいるの。だから、千崎さんとは遊びだって公言してるのよ」
「それはまた…。まあ、千崎さんも付き合う人がコロコロ変わってるんですよね」
「他にも居たの?」
「数ヶ月前は、ある不動産オーナーと付き合っていた様子です」
「金持ち狙いねぇ、完全に」
「そのようです」
「ところで…彼女とは順調なの?」
「ええ。ただ、見極めの時期に入りました」
「見極めって、何?」
「結婚するのに俺がふさわしいかどうか、彼女に見極めて貰う時期なんです」
「ふぅん?そんなのがあるんだね?柏野さんは、相変わらず大変そうね?」
「ええ。けど、定時で上がれる仕事になったので、そこは天国です。パワハラも無いですし」
「フフ、良かったわね。無事に結婚出来るよう祈っておくわ。また、鉄川と安野と飲みに誘ってもいい?」
「いいですよ。また、行きましょう」
「ただいま~」と俺の通話が終わるのと、ほぼ同時に花音さんが外出から帰って来た。
最近では、花音さんの笑顔から陰が消えた。
時間の経過と共に、赤城の死の衝撃も消えてくれたのだろう。
「お帰りなさい。お茶を淹れますね?」
「うん。ミルクティーをお願いします。これ、お土産のケーキで~す」
「ケーキなんて久しぶりですね」
俺がティーポットの準備をしていると
「どなたからのお電話?」と聞かれ、
「姫倉さんです」と答えると花音さんの表情が僅かに曇った。
「花音さんが気にするような内容の話では…いや、あるのか?」
「ちょっと~、ケイはまた口説かれて…」
「違いますよ。…千崎さんのお母さんが亡くなりました。その情報の電話です」
「…そう、やはり視えた通りになってしまったわね」
「…そういえば、半年後にって、あの時…。内容までは知りませんでしたが」
「そう…。そして千崎さんは、呪縛から解放されないまま…」
「どうなるんですか?」
「…知りたい?」
「まあ、気にならなくはないですねぇ」
「どうして?」
「…花音さんの言う、『呪縛』という言葉が気になります」
「そう。じゃあ、私と結婚してくれたら話してあげますよ~」
「そんな事ならいつでも……いや?今なんて言いました!?」
「だからっ!結婚っ!!」
「それは…見極めで、OKって事ですかね…?」
「もちの、ろん!これだけ真面目に働いてくれて、私にも優しくて、甲斐甲斐しくて…貴方しかいません!…って、最初っから言ってるでしょうに~!?」
「…良かったぁ…」
「なぁに?心配してたの?」
「そりゃあ、そうですよ。今でも俺が、花音さんに相応しいか疑問ですもん」
「では、その疑問を解除して下さいな?
それでどうですか?」
「わかりました。宜しくお願い致します」
俺はコーヒーを、花音さんはミルクティーを飲みながら話となった。
「それで、花音さん。千崎さんの呪縛とは、なんなのですか?」
「分かりやすく言うと『暗示』です。
心理学用語で言う所の『刻印づけ』あるいは『刷り込み』です。
千崎さんは、母親から『お金持ちとじゃなきゃ結婚してはダメ!』と言われて育ったようです。
幼い頃から、それを幾度となく言われると、それ以外の行動が出来なくなるのです…。
彼女の母親は、お金で苦労をされた方の様で、それで自分の様な苦労は娘にさせたくなくて…。
愛情から出ている言葉なのですが、それが千崎さんの視野や行動、思考をも狭めてもいる…。
そして性格にも強く影響している。
千崎さんのお母様は、かなり影響力の強い方で、言葉の力も強い方だったのでしょう。
…それが、私の言う『呪縛』です」
「なるほど…。母親としては娘に同じ思いをさせたくない、愛情で話した事が、彼女にとって、今は裏目に出ていると?」
「今…だけではありません。未来にも影響します。なので、千崎さんは結婚することは、この先は、まず無いでしょう」
「…花音さんにしては珍しく断定的ですね?そこまで、視たんですか?」
「はい。ラルハ・モールでお会いした時に…。
ケイに悪さをしている元凶だと直感でわかったので、千崎莉那さんについては、かなり深めに視ました。
実は…、その時、それが引き金になって、祖母のようにアカシック・レコードからの情報を映像のように視られるようになりました。
なので、千崎莉那さんについては、かなり鮮明に…」
「…あれだけ…結婚に、憧れや願望を持っていた人が…、そんな…」
「ケイは…優しい人ですね。貴方を苦しめた人をそこまで思えるなんて、普通は出来ませんよ?」
「そう…なんでしょうかね、自分では解りません…」
「で!!」
「はい!…びっくりしたぁ」
「私との結婚は別問題ですよ!OK?」
「OKです。このところ…ずっと考えていました。
もし、花音さんに別れを告げられたら、この街から離れて、ゴミでも漁って暮らそうって…」
「そんな事は~、させませんっ!って言うか、義妹さんがそんな事させないでしょっ!?」
「いや、どうなんでしょうかね?
香織は、花音さんとの交際は認めてはくれましたけど、すっかり機嫌が悪くなっちゃって…」
「ほらね!やっぱり異性として好きだったんですよ~?」
「まあ、そうなんですかね…。
俺も鈍かったとは思うんですが、妹とはちょっと…付き合えませんよ。
けど、もう俺にとって唯一の家族なんで、大切な存在なんです」
「そうですね。家族は大切ですよ。
私とも、一度ゆっくりお話できるようにして下さいな?」
「ええ、来月こっちに数日戻って来るって言ってましたので、その時に一緒に食事にでも行きましょう」
「その時は、隣の部屋に泊まって貰うように話して下さいね?
わざわざ宿を取る必要はありませんよ?」
「わかりました。ありがとうございます」
「早速ですが、結婚の日取り等を決めて行きたいんですよね~?
私達は親族も少ないので、二人での海外旅行を兼ねた挙式にしたいんですけど~。
ケイはどう思いますか?ハネムーン婚と呼ばれているものです」
「海外ですか?行ったことないんで、ピンと来ないですけど…。それでお願いします」
「う~ん、ハワイにしようか、タヒチにしようか、フィジーにしようか、あるいはカリブ海か…、かなり迷ってます」
「せっかくですから、花音さんの行きたい所にしましょう?」
「じゃあ、ちょっと考えさせて下さいね。
海が綺麗な所がいいなぁ~。ご飯も美味しい所ね。
明日、旅行代理店に行きましょう?」
「はい!」
「でね、お土産のケーキ食べましょ?」
「すっかり忘れてました。俺が準備…」
「ダメダメ!待ってて、私が準備しますよ~」
…なんと、プリン・ア・ラ・モードだった。
それにハート型のキャンドルを灯して花音さんは出してくれた。
「あの、このキャンドルって…?」
「ケイが、私と知り合った次の日に、お土産で買って来てくれたケーキの箱の中に入っていたんです。覚えてませんか?」
「いえ…。あれ?…そう言えば、あの店員の男の子が、ある物を入れました、って言ってたような…」
「なるほど…。最初ね、遠回しに『貴女の事が好きです』って、この人言いたいのかな?って思ったの。
けど、前の日の記憶が無いって言うし…。
もし、そうだったとしても、使うのは今じゃないな…って。
だから、今日まで取っておいたのよね~」
「そうだったんですね?それで、あの時…ケーキの箱を開いた時に、花音さんはフリーズしていたんだ…」
「そうゆうこと!…で、今は結婚が決まったお祝いと言うことで!」
「なんか、誕生日みたいで嬉しいですね!」
「改めて、よろしくね?ケイ」
「はい!こちらこそ。花音さん」
──俺は多分、千崎さんの事は忘れられないだろう。
だけど、それ以上に俺は、花音さんの事を愛している。
辛かった過去を抱えたまま、今と…、そしてこれからを…、俺は、しあわせに生きる事にした。
fin
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あとがき
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
恋のカラクリ模様、これにて閉幕です。
番外編を書く…予定です。
暫し、お待ちいただけたらと思います。
また、次回作も決まっております。
そちらも楽しんで頂けたらありがたいです。
それでは、また!
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