第29話

──3ヶ月後──


俺はようやく、居酒屋の仕事にも、花音さんの助手兼秘書の仕事にも慣れてきた。


そんなある日の、昼下がりの事だ。



「柏野君って、以前は施設に勤めてたんだって?エレガンスってとこか?」と、屋代さんが聞いてきた。


屋代さんは、花音さんと同じく、不動産のオーナーで、最近は花音さんの事務所にちょくちょく来るオジさんだ。


「ええ、イーストって所です」


「ほぅ。じゃあ、千崎莉那って知ってるか?」


「ええ…。まあ、元同僚というか、先輩でしたが?何か?」


「職場では、どんな感じだったんだ?」


「どんな感じ、とは?」


「男癖だよ」


「…一度、ご結婚されて、その後、離婚された事しか知りません」


「そうかぁ…」


「どうなさいました?」


「それがなぁ…」


話を聞くと、最近、屋代さんと千崎さんは1ヶ月程付き合っていたらしい。知り合いの紹介で、との事だ。

屋代さんは50歳過ぎなので、かなりの年の差カップルだ。

が…、彼女が我が儘過ぎて、屋代さんの方からフッた、との事だ。


屋代さんはちょっと不貞腐れた様子で話を続けた。


「それが、一昨日の夜に急に家に来てなぁ…」


「…何かあったんですか?」


「押し倒されたぁ…」


「はぁ…?」


「で、行為が済んだら、さっさと帰ってしまった…。ろくに会話も無くだぜ?

まるで俺の身体だけが目的だよ!」


聞いていた俺と花音さんは思わず笑ってしまった。


「笑い事じゃないぜぇ?こちとら純情なんだ!

それを、あの女…」


「すみません、屋代さんの言い方が面白くて、つい…。それで、その後は?」


「それがなぁ、なんと今朝だ。千崎の母親から、俺のスマホに電話が来たんだ。

母親に、こっちの番号なんて教えてないから、びっくりしてなぁ…。

で、話を聞くと、『寄りを戻してくれない』って娘が部屋に閉じ籠って泣いてるって言うんだよ。なんとか寄りを戻せ!って母親から凄い剣幕で言われてなぁ…。

娘とはいえ、社会人だぜ?

色恋沙汰で、まさか母親が出てくるとは思わないじゃないか?

…まあ、長い口論の末…結局は断ったがね。

開いた口が塞がらないとは、この事だって…、俺は思ったよ」


「それは御愁傷様です」と花音さんは笑いを堪えながら言った。


「俺に引き換え、君たちはいいねぇ。仲睦まじくて」


「まあ、けど俺が居なかったら、花音さん狙いで口説きに来てたんじゃないですか?」


「俺と芹沢さんじゃあ、釣り合いが取れない。

美女と野獣だよ。

誰か、いい人はいないもんかねぇ?

後継ぎを作る事を考えると、出来るだけ若い人がいいんだがなぁ。

30歳以下で、知り合いとかで、おらんか?」


自分の歳を棚に上げて、なかなかに図々しいな…この、オッさん。

花音さんの目元が一瞬引きつったのを俺は見逃さなかった…。


「生憎、俺の知り合いは既婚者か彼氏持ちばかりです。花音さんは?」


「私も同じくです」


「仕方ないな、結婚相談所にでも行ってくるわ」


そう言って屋代さんは帰っていった。






花音さんは静かに話し始めた。


「屋代さんは、ご結婚は難しいですね」


「そうなんですか?」


「ご自身が気づいていない、性格上の問題があります」


「まあ、が強そうな方ですからね」


「千崎さんと別れたのも、彼女だけが原因では無さそうです」


「能力を使ったんですか?」


「ええ、千崎さんの話が出ましたので…、少し視ました」


「屋代さんも灰汁が強い人ですからねぇ、そこでしょうか?」


「そうです。その、灰汁の中身の問題ですね。

まあ、私達が関与することはありませんが…」




まさか、また千崎さんの名前を聞くとは思わなかったな…。


というか、屋代さんを押し倒すとは…。


やる事が変わらないんだなぁ、あの人は…。


なんだが残念な人だ。


過去とはいえ、そんな人を好きになってしまった自分もどうかと思うが…。




─────────────────────




その日の夕方、いつものように居酒屋『酒呑童子』に出勤した。


「おはようございます」


16時出勤なのだが、おはようございます、なのだ。これにも慣れたな。


「柏野君、初段に受かったんだってね。おめでとう」とオーナーに言われた。


「ありがとうございます。望月さんの指導のお陰なんですよ」


「望月さんは指導はピカイチだけど、教える人の人柄を結構見るからねぇ。

そう言えば…、君に彼女が出来たって話をした時に、泣かれたらしいじゃないの?」


「いや…、その話は勘弁して下さい」




──────────────────────




3ヶ月前、花音さんが彼女になったばかりのある日の稽古後に、栄光先生から、その話が出た。


「柏野君、見山先生から聞いたけど、彼女のストーカーをやっつけたんだって?」


「はい。成り行きではありますが、付けられて、襲われたので対処しました。

道場的にマズかったですかね?」


「いや、そんなことはないが、怪我などしとらんかね?」


「ええ、ご覧の通り大丈夫で…えっ?」


側に居た望月さんが、ポタポタと涙を流していた。


「ちょっ、どうしました!?望月さん?」


「…ワイ、多分…ケイさんの事、ちょぺっと好きだったんだぃな?…今、気ぃついだ…」


ええっ!?


「ケイさん、ホントに彼女出来だのが?」


「はい、まあ…一応、出来ました」


「んだが…。ワイ、ケイさんだば、童貞っぽい顔してるから、女の人さ縁ねぇんだべなって、勝手に思ってだはんで」


…何気に、酷くない?


そこへ、女性指導部長の糸洲さんが猛然と駆け寄って来た。


「ちょっとー!!望月さん!それは、いくらなんでも失礼よ!

柏野君は!確かに童貞っぽい顔してるけど!

童貞だと思うけど!!

それをわざわざ言葉に出して言う必要あるのっ!?」


…これなに?皆で俺をイジめてんの…?


今俺、彼女いるって言ったのに童貞確定なの??


「…んだなっす、失礼こいだね。

ワイ、勝手な想像で…、高校卒業したら、ケイさんと、ちょぺっと付き合って、流れで童貞奪うんだべなって、勝手に思ってだはんで」


…恐ろしい、女子高生が…居た、ここに!


…う~ん…。望月さんは、確かに美少女と言って差し支えない。

高校でも、道場でも、何人もの男を袖にしてきたと噂で聞いた事がある。

こんな可愛い娘に好かれるのは、男冥利に尽きるが…。


「…俺も、望月さんの事は好きですが、それは心と技の師匠としての敬愛です。

歳が近くて、タイミングが合ってたら、もしかしたら…付き合ってたのかも知れませんね?」


「んだがねぇ?まあ、彼女さんば大事にのぉ」と望月さんは肩を落として帰っていった…。


…この話は、花音さんには伝えない事にした。




──────────────────────




──で3ヶ月後、比較的穏やかな日常に俺は居るのだが…、赤城が亡くなってからの花音さんは、どこか陰のある笑顔になってしまった。

花音さんは何も悪くないのに、だ…。


赤城を刺した犯人は未だに捕まっていない。


「はいはい!柏野さん、ボサっとしない!

お客様5名ご来店で~す!」


バイト・リーダーの水守詩乃さんに少々シゴかれる毎日だったりする…。


けど、定時で上がれるから、イーストに居た時に比べたら天国だ。


そして、パワハラも無い。


これが普通なのだろうけど、普通というのは有難い事だと、噛み締めている。





──────────────────────────────────────────────────────────────────



あとがき


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次回で完結となります。

明日、更新予定です。


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