無寐にも忘れない
三鹿ショート
無寐にも忘れない
世辞にも、彼女は魅力的な人間だと評価することはできない。
彼女と、彼女以外の女性の二人を並べ、どちらが美しいのかと問えば、九割以上の人間が彼女ではない女性を選ぶことだろう。
彼女はそのことを理解していながらも、人生に絶望したことはないらしい。
何故かと私が問うと、
「何時までも生きてさえいれば、私のような人間でも愛してくれる存在が現われると信じているからです。自分の人生を諦めた瞬間、私は自分を磨くことを止めてしまい、そのことによって、さらに価値を下げることになってしまうでしょう。そのような人間を、誰が選んでくれるというのでしょうか」
彼女は、常に前向きだった。
私が彼女以外の女性に恋心を抱いていなければ、私は彼女のことを愛していただろうと思うほどに、その姿勢は素晴らしいものだった。
***
彼女は、何時の日か自分を愛してくれるような人間が出現することを期待しているらしいが、幼少の時分から想っている人間が存在している。
それは、余人を尊重し、常に穏やかな笑みを浮かべている男性だった。
彼は相手が善人であろうとも悪人であろうとも、その接し方に差異を生じさせることはなく、対峙した人間に己の矮小さを思わせるような言動を繰り返している。
彼にとっては大多数の人間の一人として接したのだろうが、他の人間とは異なり、優しく接してくれた彼のことが、彼女は忘れられないらしい。
だが、彼女は一歩を踏み出そうとはしない。
己の外貌が他者よりも劣っていることも理由の一つだったが、
「誰にでも優しいということは、誰にでも同じ対応をするということであり、誰かにとっての特別な存在と化すことはないということになるのです」
彼女はそう告げ、寂しげに笑うのだった。
しかし、それは彼女がそのように考えているだけであり、実際に行動してみなければ、どのような未来が訪れるのかは分からないではないか。
私の言葉に、彼女は首を左右に振った。
「私のように、彼に向かって熱い眼差しを向けている人間は、数多く存在しているのです。私は、その人間たちよりも魅力的な人間ではありませんし、たとえ彼が私のことを選んでくれたとしても、その行為によって彼の評価を覆してしまうような事態になってしまうことは、避けたいのです。ゆえに、私は遠くから彼のことを眺めているだけで充分なのです」
悲しい理由だが、彼女の気持ちは理解することができる。
私もまた、彼女のように成就することの無い恋心を抱いているからだ。
***
彼女が恋心を抱いている彼が結婚したことを聞くと、彼女は涙を流すことなく、笑顔で祝福した。
だが、彼が結婚相手として選んだ相手を見て、彼女にも可能性が存在していたのではないかと私は考えた。
彼女もまた、そのように考えていたのだが、やはり首を左右に振ると、
「彼が選んだのですから、現実を受け入れるべきなのです。愛する人間の幸福を喜ぶことができない人間は、誰かを愛するべきではありません」
そう告げながら式場で拍手をする彼女を見て、世界の不公平さを呪った。
彼女は、人間としては素晴らしい存在であるにも関わらず、その容姿ゆえに、誰にも選ばれることがない。
もしも彼女をこのような外見として誕生させることを決定し、また、私があの女性に対して恋心を抱くように仕向けた存在と対面することができたとするのならば、一発だけでも殴ってやりたかった。
***
子どもをあやしている女性を眺めながら、私は口元を緩める。
女性は私の気持ちを知ることなく、隣に座っている男性と共に、笑みを浮かべていた。
何処からどう見たとしても、幸福に満ちた家族である。
私がその男性の場所と入れ替わったとしても、そのような光景を目の当たりにすることはなかっただろう。
それでも、私はその女性の隣で、共に笑いたかった。
このような思考を抱く切っ掛けを、私は片時も忘れたことがない。
それまで何とも思っていなかった女性が、隣に座っている男性と愛し合っている姿を見たとき、私はその女性を、初めて女性として意識するようになったのだ。
しかし、男性よりも共に過ごした時間が長いという立場であるゆえに、私の恋心が成就する可能性は、皆無だった。
だからこそ、私は彼女を理解することができた。
だが、その理由を明かしたことはない。
それを明かしてしまえば、たとえ相手が彼女であろうとも、私が異常な人間だと認識されることは明白だったからだ。
ゆえに、私は孤独にこの世を去ってからも、海よりも深いこの想いを他言するつもりはなかった。
これから先も、私は女性の良き弟として、生き続けるのである。
無寐にも忘れない 三鹿ショート @mijikashort
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