うるせー

 夏休みに入って間もなく、私とりょうは水着を買いにショッピングに出た。那須高原に二泊する避暑会に呼ばれ、温泉スパがあるから水着を用意するよう言われたからだ。

 避暑会――それはもともと生徒会役員の東矢とうやさんがおともだちとの親睦を深めるために別荘地に何人かを招く私的なイベントだったらしいけれど、年々規模が大きく学園の行事みたいになってしまい、今年は一クラス分に近い人数が参加するようだ。

 東矢さんに招かれ、はじめは行く気がなかった遼も、私が星川ほしかわくんに招待されて受けると自分も行くと言い出した。過保護な父親を演じているつもりだ。シスコンがわかりやすくて周囲も納得だろう。

 それはさておき今日は、私たち双子の兄妹の夏休みデートになった。

 外を歩くときに遼がいると何かと便利だ。余計な輩から声をかけられることもないし。

 とはいえ街中では視線を浴びる。遼は私以上に目立つからな。まぶたが少し落ちて眠そうにしているくらいがちょうど良いイケメンですんでいるがその目が見開かれると奇蹟の美貌とまで言われる男なのだ。

 そんな遼だが、いや、そんな遼だからこそ人の視線が恐くてふだんは引きこもっている。その遼を荷物持ちの付き人にして私は揚々と歩いた。

 市内で最も賑やかな駅近のモールを歩く。見るもの全てが新鮮に感じられる。部活連助っ人団にいていくつもの運動系部活の手伝いをしていたからこんな風に自由に歩くのは久しぶりだった。

「宿題やってるか?」現実に引き戻すなよ。

「そのうちね」

「あとで泣きつくなよ」

「はいはい」泣きつくけど(笑)

 通常定期のやりとりをしながらモールの中を歩いていたらG組の鶴翔かくしょうさんに出会った。

「ヤッホー」

「あ、こんにちは」

 りょうが一緒だと鶴翔かくしょうさんの挨拶も一段階うやうやしくなる。私しかいなければ「イエーイ」とか言ってくれるのに。

「――二人でお出かけ?」鶴翔さんは私たち二人を交互に見た。

 目まぐるしく視線を変える。それこそ眩暈めまいしそうなくらいに。

 遼だけに奪われそうになる視線を理性で必死に戻そうとしているようで私は困惑した。

 良いのよ、見ても。鶴翔さんなら許すわ。

「水着を見に来たの」私は正直に言った。

「まあ」鶴翔さんは口許に手を当てた。決してあざとい訳でもないのに可愛すぎる。

「――実は私も」

「一緒に見る?」

「どうしよう」珍しく鶴翔さんが迷っている。

 優柔不断の鶴翔さんを見るのは珍しい。一年生の時同じクラスで彼女は学級委員も務めててきぱきとし、皆をまとめていた。今もG組学級委員だ。

「遼にはちょっと離れていてもらうわ」

「そんなの悪いわ」

 鶴翔さんが、離れようとしていた遼を引き留めたので三人で一緒に行くことになった。

 それにしても遼のシャツの片袖をつまんで引くなんて鶴翔さんでなければコイツ!と思っただろう。

 この人は天然だ。全く悪気はない。

 遼はと見れば、目をそらしてとても複雑な顔をしていた。基本的にコミュ障だから陽キャの近い触れ合いは苦手だ。

 しかも女性と何を話して良いかわからず牡蠣かきのように押し黙っている。それでいて鶴翔さんのナイスバディには魅了されている。

 これは面白い見物だと私は思った。


 私たちは水着売り場にやって来た。

「俺、あっちで見ているから」

 遼は逃げるようにしてその場を離れた。男物コーナーへ移動する。

 そんなに離れてはいないけれどね。見える位置にお互いがいる。

「どんなのが良いのかしら?」

「スパだしね。あんまり体を覆っている部分が多いと温泉を楽しめないかも」

「何だか恥ずかしいわ」

 鶴翔さんは遼の方をチラ見した。顔が少し赤い。鶴翔さんが女になってるよ。

 私はまた鶴翔さんが遼の彼女になっている絵を思い浮かべた。

 タイプがあまりにも違うけれどその方がうまくかみ合うのかな。鶴翔さんなら遼を外の世界へ引っ張り出してくれるだろうし。

 遼の身内視点では鶴翔さんは優良物件だ。だがしかし――鶴翔さんから見てどうなのか。

 美貌はともかく、あのひねくれた屁理屈の吐き出し男が鶴翔さんにふさわしいとは思えない。もし結婚までしてしまったら、そして百年の恋もさめてしまったら……。

 尽くしても尽くしても辛辣な態度しか返せない偏屈ジジイに鶴翔さんの人生が暗黒に染まっていく、あるいは色すらない無味の世界になってしまったとしたら――――。

 そう考えると何だか悲しくなる。鶴翔さんの泣く姿を思い浮かべるだけで私もまた泣けてくるのだ。

「どうしたの?」鶴翔さんが不思議そうに私を見た。「具合悪いの?」

 私は涙が落ちかかっていることに気づいた。

「ごめん。突然始まるんだ。私の鼻炎」私は鼻をすすった。

 そこにあった姿見かがみで自分の顔を見ると目も鼻も赤くなっていた。通年性アレルギー性鼻炎のせいにしておこう。勝手に妄想して泣いてしまう変な癖があるなんて恥かしくて言えやしない。

「――目もかゆくって」私は目をこすって誤魔化した。

 鶴翔さんが遼を呼んだ。いつもの冷静な鶴翔さんに戻っている。

「大丈夫かしら?」

「芳香剤か何かにやられたかな」遼は鶴翔さんに説明した。

「なら――早くここを離れないと」

「大丈夫よ。もうおさまってきたし」私は鶴翔さんを引き留めた。

「それなら良いけれど」

 鶴翔さんは本当に心配しているようだ。遼には勿体なさすぎる。

「俺、適当に買ったら本屋に行ってる。二人でゆっくり見て」

 私たちに言い聞かせるようにして遼は水着エリアを離れた。

 別れ際に「妹をお願いします」と鶴翔さんに頭を下げるのが小憎らしい。私は手のかかるこどもみたいだ。実際そうなのだろうけれど。

 そしてまた鶴翔さんの中で遼の株が爆上がりする。「はい」と遼を見る鶴翔さんの目は恍惚としていて頬は薄紅色に染まっていた。

 本当にもういい加減にして欲しい。

 鶴翔さんも――白砂しらさご先生も――男の美貌に惑わされるなよ。

 私は苛立いらだちを隠すのに苦労した。なんでイライラするのか自分でもよくわからなかった。

 しかし、そんな私も水着を買い終える頃にはふだんの精神状態に戻っていた。

 そして私がいつもの清純な外面そとづらを取り戻したと判断したのか、遼が私たちのところに戻って来た。

 本屋には行ってきたのか? そろそろ私が落ち着く頃と思ったのか? それとも鶴翔さんがどんな水着を買ったのか気になるのか?

「買ったよ――」私は暢気な様子で言った。

「試着したのか?」今、鶴翔さんの水着姿を想像しただろ。

 鶴翔さんは顔を赤らめてもじもじしていた。そんなこと答えられないと言わんばかりに。

「どんなのかは見てのお楽しみ」私は答えた。

 売り場を離れて歩く。鶴翔さんが何かに気をとられて私たちから少し離れた瞬間に遼が私に囁いた。

「――ひとりで買った方が良かったんじゃないか?」

「なんで?」

「誰かと張り合って身の丈に合わないものを買ってしまうことがあるだろ」

「どーゆーいみ?」

「体格が違うんだからさ」うるせー!

 遼がチラ見する先に凹凸のはっきりした健康的な鶴翔さんの姿があった。

 視線を感じた鶴翔さんが振り向き、遼と目が合い、困ったような微笑を見せた。

 遼が見ていなかったような素振そぶりをしたので、私は思い切り遼の足を踏んでやった。

「いて!」

 私は鶴翔さんに歩み寄って彼女の手をとり、「何か食べよ」と声をかけ、遼を置いて先へと進んだ。

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