父親か!

 その日私は高原和泉たかはらいずみちゃんにちょっとした用があって二年A組の教室を訪れた。

 しかし、あいにく和泉いずみちゃんは不在だった。

 我が校はスマホの校内使用が禁止だから簡単に連絡をとれない。放課後にはどうにか使用できるがスマホ自体はロッカーで眠っている。もし持ち歩いているところを教職員に見つかったら取り上げられるからこっそり使う強者つわものは少なかった。

 面倒だな、本当に。

 このクラスは成績優秀者で構成されていて学園の顔も多かったけれど、私がよく知る東矢とうやさんも栗原耀太くりはらようた君も不在で、気軽に声をかけられるのは双子の兄のりょうだけだった。

 そのりょうはというと、ひとりでぽつんと座って本を読んでいる。

 どこへ行っても同じ姿だ。誰も近寄らせない空気をまいている。私が来たことに気づいているはずなのに何の反応もない。

 今朝もまた私は叩き起こされて、不機嫌なあまり毒舌をはいたものだから私からは声をかけづらかった。

 寝起きは不機嫌なのだ。知っているでしょ、遼。

 諦めて誰にも何も言わずに退散しようとしたらちょうど教室に戻ってきたらしい神々廻璃乃ししばりのさんと鉢合わせた。

香月星かづきせいさんや、お久しゅう」いつも変な言葉遣いをする人だ。

 わざとやっている。こう見えて照れ屋なのだと私は思っている。

「こんにちは」私は普通に笑顔で挨拶した。

「お兄様と逢い引きしていたかえ?」違うって。

「――和泉ちゃんに用があって」

「和泉はあちこち走り回っているからなあ」

「忙しいんだよね。多分今日中にはどこかで会えると思うから良いよ」急ぎでもないし。

「ところで――」神々廻ししばさんが珍しく声を潜めた。「――東矢とうや家の避暑会にお兄さんも行くことになったんだね?」

「うん」

 私が星川ほしかわ君に誘われて行くと言ったら「俺も行く」と言ったのだ。いつものシスコンムーブ。

「楽しみだね。行かないと思っていたのだけれど、せいさんが行くとなると話は違うのだね」

「そうなんだよ」

泉月いつきが呼びたかったのだろうね、お兄さんを」

「え! そうなの?」

「興味があるのだと思うよ」まさか東矢泉月とうやいつきさんがりょうに?

「お兄さん、モテるからね。和泉いずみもウキウキしてるよ」

「和泉ちゃんが?」

 あんな無愛想に本しか読んでない男でも顔の良さでモテるということか。それも顔の良さなど歯牙しがにもかけない女子にモテているということだ。

 中身に魅力があると判断されている。ほんとうはかなり屈折した中身なのですけれど。

「本当?」

 私は神々廻ししばさんにジト目を向けた。このひとはときどき真顔で大ウソをつく。

「実は私も興味があるんだ。試しに二週間くらい付き合ってくれたりしないかな?」――え?

「そう思っていつも草葉くさばの陰からじっと見ているよ」あはは……死人かよ! どこまで本当かわかりやしない。

 神々廻璃乃さんはそういう人だった。眼鏡の奥の目が細くなっていて怖い。顔は微笑んでいるのに。

「じゃ、じゃあ私はこれで……」おいとますることにした。

 チラリと見た先の遼が私と神々廻さんを見てと身を震わせたように見えた。

 何か察知したのかもしれない。ときどき私たちは互いの感覚を共有することがある。離れていても。

 

 家に帰ったら遼がいつものように夕食を用意して待っていた。専業主夫のかがみ

「あ、ありがとね」いつもいつも。

 私は朝、喧嘩のように息巻いたことを覚えていて素直に礼を言えなかった。

「気にするな。俺にはこれしかできない」

 遼はいつも通りだ。私と口喧嘩するくらい日常会話だと思っているのだろう。

「それより、今日、教室に来たんだな」二人で食事を始めると遼が言った。

「和泉ちゃんに用があったので」

「高原はいなかったな」

「うん、後で会えたから用は済んだよ」

「あの時とてつもない悪寒を感じたのだが」

「ああ」やはり私の悪寒が伝染していた。

「まあちょっとねA組の強烈なパワーに負けたのよ」適当にごまかす。

「神々廻に何か言われたのか?」見てたのかい!

「――最近、おつぼね三人衆からのアプローチとプレッシャーが凄い」

 三人衆とは東矢泉月とうやいつきさん、神々廻璃乃ししばりのさん、高原和泉たかはらいずみさんのことを言っているのだろう。ひどい言い様だ。

「――あの三人より上に行ったことはないのにな」

 成績で上回ったことはないと言っているのだ。ちなみに学年順位は星川ほしかわ君が一位でその後を東矢さん、和泉ちゃん、神々廻さんが追っている。

 りょうはだいたい五位から七位の辺りにいる。手を抜いて彼女たちを抜かないようにしているみたいな言い方で私は眉をひそめたがその通りかもしれないと思った。

「テリトリーは侵さないと言っておいてくれ」

 本好きの遼は何かと心理分析をするくせに女子の心理を見誤る。あの三人が学業の順位で遼にライバル心を抱くことはない。

「自分で言いなさいよ!」

「俺は女は苦手だ」同世代はね。年上には平気で絡んでいくくせに。

「どうする? あの三人の中の誰かが付き合って下さいって言ってきたら」私はふざけた。

「後腐れなく一度だけご賞味させてもらえるなら歓迎するな」

「はあ?」チェリーの癖に、に。

「お前はどうなんだ? H組の三人に告白されたら?」

「三人て?」

「星川、鮫島さめじま鮎沢あゆさわだよ」

 確かにあの三人とまともに話ができるのは私と学級委員の本谷ほんたにさんくらいだ。しかしそれだけだぞ。

「鮫島君はともかく、星川君と鮎沢君にはいつもデートに誘われるよ」私は盛った。

「何? 本当か?」

「まあ、行かないけれどね」

 珍しく遼が動揺するので私は可笑しかった。

「避暑会で会ったらよく言っておかんとな」なんだよ、父親か!

 こんな遼が見られるのならこれからもこのネタは使わせてもらおう。

 私は愉快になって夕食をおいしくいただいた。

 とても良い気分だった。

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