見るな! バカ!
二年生になって間もない四月の中旬、私は高等部新入学生の研修会にボランティアとして参加することになった。
私の学園では新一年生百五十名に対して二泊三日の研修を行っている。なお内部進学生は対象外だ。
私も昨年この研修を受けた。修学旅行みたいで楽しかった。クラスのみんなともすごく仲良くなったし、学園の理念を教育する場だったとしても生徒には親睦を深める良い機会だと思う。
今回、同じように二年生からボランティア参加するのは三十名ほどだ。その一人、G組の
私と鶴翔さんは助っ人団の繋がりで今も毎日のように親交がある。
鶴翔さんは今年も学級委員をしていたから私以上に忙しい人だった。
私たちは研修会のレクについて具体的な話を進めていた。
しかし集中できないな。通りがかりの生徒が次々と挨拶してくる。
私も鶴翔さんも誰彼構わず「おはよう」「こんにちは」と声をかけまくる人間だったからその逆も起こりやすい。
しかしこれではろくに話もできない。自分が蒔いた種だとしても作業に差し障るととても困る。
鶴翔さんは気にならないようだけど。そこが私と鶴翔さんの違いかな。
そこへ
図書委員をしている遼にとって図書室は本拠地だ。今日は図書委員の腕章をつけていないから完全なプライベートタイムなのだが中等部の下級生女子たちが遼を取り囲み、探している本について相談を始めた。
俺は今日は図書委員ではなかったのだがな、と家では愚痴を言う癖に、いざ可愛い女子を目の前にすると彼女たちの要望を叶えようとする。
私は眉をひそめた。きっと苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。
しかし幸いなことに今そばにいるのは
鶴翔さんは賢い人だが他人の負の感情にとても疎い。誰かに対して嫉妬や憎悪を感じない人だから他人もそうしたものを感じないと思っているのだ。
鶴翔さんにもきっと私は裏表のない明るい子に見えただろう。
「歓迎のレクは隠し芸大会のようになりそうだね」
鶴翔さんのひとことで私は我に返った。
そうだ、打ち合わせだ。つい遼が女子の相手をするのを見て呆れてしまっていた。
「あらお兄さんじゃない」
鶴翔さんが遼を見つけてしまった。私がそっちを向いていたからだ。
「行かなくて良いの?」
「家に帰ればいくらでも顔を合わすし」
「そうね」鶴翔さんはふふふと笑った。「じゃあ私が挨拶に行こうかな」
立ち上がりかけた鶴翔さんの手に私は手を重ねた。
「遼は今、図書委員で手一杯のようだから、鶴翔さんまで行くとパニックになるわ」
「え、
「ひどいコミュ障で大人数に囲まれると処理能力を超えてオーバーヒートするの」
大袈裟だがそれくらいの表現でちょうど良いだろう。
「そう、残念」鶴翔さんは座り直した。
本当に残念そうだ。案外マジで遼のことが気になるのかもしれない。
遼と鶴翔さんは私がいない限り接点がない。
いや、本当にそうなのか?
鶴翔さんなら私がいなくても遼に声をかけていそうだ。
高嶺の花の鶴翔さんに声をかけられた遼がどんな顔をするか見てみたい気もする。
そんなことを考えながら打ち合わせの続きをしていたら、遼が私がいることに気づいた。
のそのそとこちらにやって来る。珍しい。通常、私が仲の良い女子といる時は近寄って来ないのに。
「避難させてくれ」いきなり遼が私のとなりに腰かけた。
「俺は今、図書委員ではない」ああそういうこと。
「こんにちは、
あれ、マジ?
鶴翔さんは悪気がない。決してあざといわけでもないのに男子に向けて極上の笑顔を向ける。
それで勘違いする男どもは多い。私の取説ではそうなっている。
しかしこの人は自分の恋心にも気づかないくらいに純粋な人なのだ。
見た目純真、中身暗黒な私とは絶対に違う。
頬が赤くなっているのは間近で見る遼の美貌にあてられたからだろう。
私はふと鶴翔さんが遼の彼女になっている未来を思い浮かべた。いったいどんな風になっているだろう。
鼻の下をのばした遼の顔は絶対に想像できない。遼はどんな時も顔に表情が現れにくいムッツリタイプのはず。
そして鶴翔さんは赤い顔で目を伏せて遼に身を預けていそう。
そんな鶴翔さんは見たくない。鶴翔さんはてきぱきとみんなに指示を出しリーダーシップを発揮する私たちのカリスマなのだ。学園の顔なのだ。こんな顔だけ美貌のコミュ障のヤツにべったりくっついてのんびりしているなんて許されない。
まあ鶴翔さんは自分から告白したりせず待つタイプだと思うからこの二人が出来上がることはないとは思うが。
「こいつがいつも迷惑をかけている。申し訳ない」
「そんなことないわ。
あれ? 会話が成り立っているぞ。しかも私を
心なしか鶴翔さんの目が上目遣いに見える。
これはヤバい気がする。鶴翔さんでもこんな顔になるのか?
そして遼はというと、その目は鶴翔さんの顔ではなく胸の辺りに向いていた。
ん?
確かに遼は女の子の顔を間近で見られないことがある。だから視線を落としているのだという解釈もできる。
しかし鶴翔さんの胸は特別だ。制服越しにその高い隆起が誰の目にも入ってくる。
むしろ鶴翔さんのようにおろしたてのような清潔なセーラー服をきっちり着こなしている方がゆるゆると着るよりも胸が目立つのだ。
遼の視線がそこに注がれているように私には見えた。
そんなあからさまな見方をするのはきっと遼くらいなものだろう。あまりに堂々としているので鶴翔さんは遼の視線に気づいていない。
恐らくは遼のことをまともに見ることができていないのではないか。そんな鶴翔さんの姿など見たくはなかった。
やがて忙しい鶴翔さんが次の会議に参加することになり、私たちに名残惜しそうなサヨナラを告げて行ってしまった。
私と遼は二人で廊下に出た。
「遼、ずっと鶴翔さんの胸、見ていたでしょう? いやらしい!」私はいきなり非難した。
他に人影がない時、私は在宅モードの私になる。
「あれはどうなっているんだ?」は?
「組成は?」何を言っているの?
「乳腺組織が発達しているのか? それとも脂肪細胞か? いや、形を維持するには線維組織も必要だな。吊り上げようと思ったら筋細胞も発達しなければならない気がする」
いかにも遼らしい視点だ。
「テクスチャーはどうなっている? グレープフルーツみたいに硬いのか? それとも押したら引っ込みすぐにもとに戻る弾力性に富んでいるのか? 実に興味深い」
触ってみたいと言わんばかりに遼は蜘蛛のようにうごめく自分の手指を見ていた。
そしておもむろに私を振り向く。その視線の先に私の慎ましい胸が。
遼の顔が一瞬憐れむように歪んだ後、小馬鹿にする笑みが浮かんだ。
鶴翔さんと比べるな!
「見るな! バカ!」
私は飛び上がって遼の頭をはたいていた。
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