ごちそうさま

 その日私は六時頃に自宅マンションに帰ってきた。

 今日は疲れた。バスケット部の練習に付き合ったのだ。

 高原たかはらさんと鶴翔かくしょうさんが他の用事で不在のため助っ人団の仕事はしっかり私に振りかかってくる。

 バスケはあの二人の方が上手いのにな。私はどちらかと言えばフットサルのような足技が得意だ。などと考えているうちにエレベーターの前に来た。

 このエレベーター、めんどくさい。ボタンを押すのにいちいちキータッチが必要だし、何より四階で住居フロア向けエレベーターに乗り換えなければならないからだ。

 まだこのマンションに越してきて一週間あまりだがすでに私は不満を抱いていた。

 そんなことを考えながら、四階で下りてきたエレベーターに乗り込んだら、後ろから駆け込んで来る子供の足音が二つ分。

 振り返ってみると小学校低学年らしい男の子と女の子。とても可愛い。

 扉が閉まるなり良い匂いがぷんと漂う。一階にあるベーカリーの小袋を二人とも手にしていた。

 うーん、空腹にはこたえるな。パンが食べたくなってきた。

 私は鼻をひくひくさせながら「こんばんは」と声をかけた。

「「こんばんはー」」二人の声がリフト内に響く。

「元気だねー」

「「元気ー」」

 よく揃ってるな。

「真似すんなよリオ」

「レオが真似してるんだよ」

 似た顔、似た声、似た名前。

「双子かな?」

「「そーだよ」」

 答えるときは揃うんだ。

 可愛い。私とりょうにそんな時代があったかな。いや、ないな。

 りょうは本当に可愛げのない男の子だった。幼稚園にいる頃、すでに絵のない本を読んでいた。字を覚えるのが早かったからだ。

 字だけではない。計算も得意。小学校に入る前にシリアルの倍量袋と普通の袋で割引が異なるものを比べてどちらが得か見極めることができた。

 私はいつも勘だ。それが的中するものだから遼は私を天才だともち上げる。私はいつも踊らされていたな。

「夜ご飯はパンなの?」

「お姉ちゃんが」「遅くなるから」

「お母さんは?」

「「仕事ー」」

「ふたりだけなの?」

「うん」「そう」

「えらいね」

 キャラも似ているな。私と遼はやっぱり異色だ。てか、遼が普通ではないんだ。

 学校ではほとんど図書室にこもっている。図書委員ではあるが図書委員の担当日でないときも図書室にいる。図書委員の業務以外で生徒とからむことはほとんどない。

 一方で、質問と称して女性教師と長い話をする。対象となるお気に入りの女性教師が何人かいて、例外なく若い美人教師だ。

 結局のところ、同年代の女子には興味がないのだ。

 多分、私のせいだろう。

 学校ではスポーツ万能の明るい美少女を演じている私が家では全く何もできないポンコツなものだから、所詮高校生の女子なんて皆そんなものだろうと思っているに違いない。

「「大丈夫? お姉ちゃん」」

 双子が揃って私の顔を覗き込んだ。

「大丈夫」私はにっこりと笑った。

 エレベーターが途中階で止まった。

「「じゃあね。ばいばーい」」

 双子は先に降りて行った。

 扉が閉まった後も、パンの良い匂いは残っていた。

 今晩パンが良いな。うん、パンだ。パン。パン。

 こうして願うと遼はたまに私の心を読んだかのように私の望みを叶えてくれる。

 双子だから考えていることがバッチリわかることもある。

 今日がその日だと私は根拠のない自信を持った。

「ただいま!」

 私はいつものように誰もいない玄関で「ただいま」を言い、リビングの扉を開けて中に入ったところで再び「ただいま!」と言った。二度言うのが習慣となっていたのだ。遼は一度しか言わないけれど。

「ああ、疲れたよ。お腹空いた。今日なあに?」

「おう」と振り返った遼の手には食べかけのバンズサンドが握られていた。

「え、今日はパン?」私は思わず身を乗り出した。

「何を言っている」遼はいつもの眠そうな目で言った。「これは今朝の残り。いつもの残飯整理だ」

「えええ!?」

「お前のはこれ」

 テーブルの上には炒めて間もない生姜焼きとキャベツの千切りがあり、その横には山盛りのご飯が湯気をあげていた。

「帰宅時刻を知らせるくらいだから腹を空かせていると思ってな。スタミナ料理にしてやったぜ。たっぷり食え」

「あたし、パンが良かったな……」確かに腹ペコではあるが「生姜焼きサンドにしようかな」

「バンズ、もうないぞ」

「えええ!」

「それに二合炊いてしまったしな。俺はもう食えないからご飯食ってくれ。食えるだろ?」

 どうやら私の願いは通じなかったようだ。

 以前これと似た状況で私が我がままを言って大喧嘩になったことがある。後でとても後悔した。食事を用意してくれる人間には敬意を払うべきだと今なら思う。

「食べるよ。生姜焼き。好物だし」

 私は着替えもせず、温かいうちに食べることにした。

「いただきます!」

 確かに生姜焼きはおいしかった。私好みの味にしている。さすがは遼だ。

「おいしいよ、これ」空腹だからもうパンのことは忘れていた。「遼の味付けは最高だね」

「そうだろ、そうだろ」遼はご満悦だ。

 学校でこの顔を見せたら友達もできるのにと思う。

 私は瘦せの大食いの本領を発揮して、生姜焼きをぺろりと平らげた。ご飯もお替りした。一合半は食べたと思う。

 しかし気になることがあった。

 私の前で遼が今朝の残りだといったバンズサンドを食べた。挟んだ具は生姜焼きとキャベツに見えた。今朝の残りならベーコンレタスではなかったか?

 こいつ、騙したな!

 しかし私は文句を言えなかった。生姜焼きにご飯はとてもよく合っている。

 私のお腹は大盛りのご飯で満足していたのだ。

 まあ、いいか。

 これからも私たち兄妹二人の共同生活は続く。本音を言い合ってばかりもしていられない。妥協も大切だ。

「ごちそうさま」

 私はぺこりと頭を下げた。



 

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