守宮の淑女 - レディ・ガーディアン - その3


「存歌にやって欲しいコトっていうのはズバリ……」

「ズバリ?」

「名前!」

「名前?」


 元気よく口にする言葉の意味が分からなくて首を傾げる。


「そう! 名前が欲しいの!」

守宮の淑女レディ・ガーディアンでなくて?」

「それは能力舎ステージとしての名前であってワタシの名前じゃないと言うか……ワタシという人格に名前が欲しいの!」


 何となく言いたいことが分かってきたぞ――と、感じていると、横から探偵さんが口を挟んでくる。


「花子とかビル子とかじゃダメなのか? と何度か聞いたんだが」


 探偵さんがそう口にすると、またもやどこからともかくコンクリ片が飛んできた。


「言うたびにこうやってコンクリ片をぶつけてくる」

「危険すぎません?」

「大丈夫よ。どうせ能力で防ぐし。ワタシも本気で投げてないし」

「危険には変わりないんだが」


 キャッチしそびれたらどうするんだ――と探偵さんがボヤく。それはそう。


「そんなワケで存歌。何かない?」

「急に言われてもなぁ……」


 でも、名前が欲しいというのはちょっと分かるかもしれない。


「存歌がここに出入りするとなると、先生からの君やお前という呼び方じゃ、ワタシと存歌のどっちのコトか分からなくなりそうだし」


 その言葉は彼女の本心であり、同時に建前なんだろう。

 同時に、私だけが名前で呼ばれ、自分に名前がないことそのものが、何となく嫌なのかも。


「探偵さん、この建物って名前あります?」

「名付けには正直、ノリ気にはなれんが……。

 ともあれ、有守原アリスハラビルという名前だ……なんだ、アリスとでも名付けるのか?」


 勝手に納得して探偵さんがあげてきた名前は悪くなかった。むしろビルの名前から考えるんらかなりしっくりくる。


 ……だけど、なんかそこで同意すると、花子やビル子と付けようとする探偵さんとセンスが同じってことになりそうで、慌てて別の提案をする。


「それだとヒネリがなさ過ぎるのでリスハというのを提案します」


 私たちの提案を受けて、彼女は目を輝かせた。

 本当に名前に飢えていたのだろう。そのことを探偵さんは少し軽く見ていたのかもしれない。


「リスハがいいわ! 確かに先生の名前もいいんだけど、存歌と似ちゃってるし。だから別ってカンジの奴がいい!」


 やったー! とはしゃぐ彼女――リスハちゃんが可愛い。


「ねぇねぇ存歌! もう一つワガママ言っていい?」

「探偵さんじゃなくていいんですか?」

「存歌がいいかな……というか先生はまともにとりあってくれそうにないし」

「しょうがないなー……ワガママって何?」


 じゃれつくように言ってくるリスハちゃんが可愛くて、ついついうなずいてしまった。


「名字も欲しいの。ほら、名前だけだと人外感強いじゃない?」

「人外感強いというかリスハちゃんはそもそも人外じゃ……」

「いやそうなんだけどね?」


 下から見上げるような上目遣い。目を潤ませるような仕草はあざとい。


「だめー?」


 ……うぐ。

 これがポーズなのは分かってるんだけど、ダメだ。


「それじゃあ、ビルの名前をそのままとって、有守原アリスハラでいいんじゃない? 有守原アリスハラリスハ。それが貴女のフルネーム」

「有守原 リスハ……」


 リスハちゃんは私から離れると、その名前を噛みしめるように口にする。

 それを見ながら、探偵さんは小さく嘆息した。


「止めなかった以上、俺も同罪ではあるが――怪異に名前を付けるコトは危険が伴うんだ。音野くんは知らなくても仕方がないが……。

 その意味、名前を手に入れるリスク……怪異そのものであるお前は自分でも分かっているはずだよな?」


 え? リスク? 意味?

 気軽に応じちゃったけど、もしかしてなんかマズいことしちゃった?


「……名はていを縛る。

 名前を得たコトで拡張する能力もあれば、縮小する能力もある。

 名を得たコトによって名を持つモノを対象とする能力を無効化できなくなる。怪異として能力舎として弱くなる可能性だってある。消滅もしやすくなるかもしれない。

 他にも色々あるけど、そのくらい承知の上よ!」

「名前を得たところで怪異が人間になるコトはできない。できて寄せるコトまでだ。それでも君は人間に寄りたいのか」

「分かってる。分かってるわ……。

 だけど、それでも……先生がこのビルワタシを買う前からずっと人間を見てきたから……。

 人間になれなくても、人間には近づきたいたかったの……! 

 ワタシは人間に寄りたいんじゃない、人間に寄り添いたいのッ!」

「…………」


 探偵さんの問いに、リスハちゃんが叫ぶ。

 両目からポロポロと涙を流しながら。


 それを見ながら、探偵さんはさらに厳しい顔をしてそれを指さした。


「名前を得て人間に寄り、涙を――強い感情を得たか。

 無機物らしく役目を果たすための冷たさが薄れているぞ? それでもお前は名前を受け入れ、名前を持つモノとしてりたいか?」


 いつになく、探偵さんが冷たい。

 無表情というのとは違う。冷徹に冷酷に、何かを指摘しているような気がする。


「先生がこのビルワタシを買い取ってくれた時にも言ったわ。先生に協力する、先生に寄り添うって。その言葉に嘘偽りはないの。約束はたがえない。

 だけど……それでも、それでも名前が欲しかった……! 自分の根幹を揺るがすコトになっても!」


 ああ――そうか。そういうことか。

 もしかしなくても、リスハちゃんは恋する乙女か。


 リスハちゃんは探偵さんに恋をしている。

 その為も、姿形だけでなく、自分の存在を揺るがすことになろうとも、リスク承知で名前を求めた。


 逆に探偵さんは、名前を得ることのリスクの方が大きいと思って、わざと変な名付けをしていたのかもしれない。


 このままだと二人はきっと平行線だ。

 だけど、お互いがお互いのことを思い合った結果の平行線で終わっちゃうのはなんだかダメな気がする。


 ……まぁそれはそれとして――


「あ、あの~……」


 ――白熱する二人に割り込むのは申し訳ないんだけど、私はおずおずと手を挙げながら声を掛けた。


 とりあえず、もうちょっと詳しいことを聞こう。うん。


「どうしたの、存歌?」

「名は体を縛るってどういうコトなの?」

「む」


 私の質問に、リスハちゃんはハッとした顔をして、探偵さんはそこからか――という顔をした。


「そうだな。名前がないあやふやなモノに、名前を付けるコトでハッキリさせるという意味がある」

「柳の枝に幽霊を見たり――ってお話知らない?」


 二人は息ぴったりに説明をしてくれる。

 これを見る限り、リスハちゃんに名前が付いても問題ないように思えるけど……。


「そのお話は知らないかな」


 私が打った相づちに、リスハちゃんが応える。


「簡単に説明すると、夜になるとその足下に幽霊がでるっていう柳の木があったの。

 その木の下を通る人はみんな幽霊に会った。触られたっていうわけよ。

 怖いし、なんか呪われたかも……なんて言う人まででてきて――で、ある日、調査をする人が現れる。

 実際に事件とかあったものの、みんなが騒ぐそれは幽霊とかじゃなくて、風に揺れた柳の枝と葉っぱだったワケね。

 当時は街灯とかがなくて真っ暗だったからね。見えない分からない何かに触られると、勝手に怖がって勝手に幽霊を作り出しちゃってたワケ」


 なんとなく分かる気がする。

 夜道に帰る方向が同じなだけの人が、後ろにいると、なんかストーキングされているようでドキドキしちゃうしね。

 恐らくそういうのと似たような感じだろう。


「怖がってみなが口々に『幽霊』と呼び、それが定着した。

 定着してしまえば名付けと同じだ。その時点で、恐らく実際に幽霊のような存在になったのだろう。

 元々は名前のないあやふやな、怪異未満の不思議現象。それが『幽霊』であると名付けられ、人を怖がらせる存在に至った。

 そのままもっと恐怖が広まり、別の名前が付けられたなら、別の怪異へと進化して、人死にまで発生していた可能性がある。

 だが『幽霊』の時点ではまだ、犬や猫と同じ種類の名前だ。ここに個別の名前が与えられたなら、危なかったがな。

 だが、人々が恐怖に駆られ名付けを行う前に、その正体が具体的にされたことで怪異そのものが消え失せたんだ」

「本当にそれが柳の枝のせいだったかどうか――というよりも、怪異の名前が『風に揺れた柳の枝』となったコトで、本来の怪異としてのチカラすら失われちゃったワケね」


 分かるような分からないような……。


「未知が既知になったコトで恐怖が薄れた例の一つでもある。

 名付けとは未知を既知に、あるいは既知を未知にする行為なんだ」


 知らなかったモノが、名付けられたことで知っているモノへと変わったことで安堵する。

 知っていたモノが、名付けられたことで未知なるモノへと変わって恐怖する。


 ……説明されると分かるような、分からないような……。


「そしてそれはワタシも同じ。

 守宮の淑女レディ・ガーディアンというのは、能力舎という怪異の引き起こしている現象の名前にすぎない。

 だけど、存歌からリスハの名前を貰った時点で、ワタシは現象というあやふやな怪異から、明確な個を得たの」

「名付けられたばかりの今は、人のシルエットをしただけの粘土細工だろう。

 だが、これから多くの人から名前を呼ばれ、存在を認識されるにつれて、彼女の存在はどんどん明確な形へと作り変えられていく。

 それが完成した時、彼女がどんな存在になるかが未知数だ。

 コトと次第によっては……彼女が人間に仇なすようになれば、核を壊す必要もでてくる――いや核から独立して壊しても無意味に終わる存在になる可能性だってある。

 俺はそれを恐れている。彼女の核を壊すコトも、彼女と敵対するのも遠慮したい」


 探偵さんに恋愛感情が無かったとしても、思いやりという意味では間違いなくリスハちゃんに向いている。


 だから――


「それなら大丈夫じゃないんですかね」


 話が難しくて、理解しきれているワケじゃないけれど、大丈夫だろうと私は思った。


「リスハちゃんの形というのが、これからねられて形作られていくなら、私たちのような問題のない人が捏ねていけばいいじゃないですか。変な人に捏ねさせたりしないようにしながら」


 そう告げると、探偵さんは少し困った様子を見せる。

 理屈としてはその通りだけど、探偵さんなりの懸念が強いんだろう。


「彼女を認識し名を呼ぶみんなが、彼女の存在を捏ね回すコトになるんだ。そう簡単には――」


 だけど、それでも……私はその懸念を杞憂だと蹴っ飛ばす。


「リスハちゃんはリスハちゃんなりに自分の目指すべき方向を見据えている。

 探偵さんはリスハちゃんには暴走して欲しくないと思っている。

 私はリスハちゃんとはお仕事仲間でお友達でいたいと思っている。

 行き先は違っても同じ方向を見ているんですから、大丈夫ですって」

「楽観視だな。そう簡単な問題では……」


 眉間に皺を寄せる探偵さん。

 私はその眉間の皺に指を突きつけて訊ねる。


「探偵さんは信じてないんですか?」

「何をだ?」

「リスハちゃんのコトです。いつから一緒にお仕事しているか分からないですけど、でもそれなりに一緒に仕事はしてるんですよね?」


 私の言葉に探偵さんが視線を上げた。

 私の顔をしばらくみてから、私の指を優しくどける。


 眉間の皺が取って、彼は小さく息を吐いた。


「やれやれ。信じるだなんて綺麗事だとは思うんだがな」


 口ではそう言うけれど、顔は優しい。さっきまでの懸念と不安の混じった険のある感じは無くなっている。


「だが付き合いも長くなってきたんだ。それも悪くはないか」


 独り言というよりも自分に言い聞かせる為に言葉にしているみたいだけど。


「暴走しようモノなら核を壊す。その覚悟は出来てのコトなんだな?」

「そうよ。望まぬ変質が発生する可能性も覚悟しているわ。それで先生に壊されるなら本望よ」


 真剣な探偵さんの言葉に、リスハちゃんも真剣に返す。

 しばらく見つめ合っていた二人だけど、探偵さんの方から、ふっと気を抜いて、笑みを浮かべた。


「ならば、今後の仕事ぶりでその覚悟をはかっていくとしよう。これからもよろしく頼むぞ、リスハ」


 探偵さんが名前を呼ぶと、リスハちゃんは感極まったように身体を震わせてから、勢いよく飛びつく。


「先生! ありがとう!」


 それを見ながら、私は安堵の息を吐いた。


「いやぁめでたし、めでたしですね」

「ありがとね、存歌ちゃん!」


 探偵さんに抱きつきながらそう笑う。

 あまりにも幸せそうで嬉しそうなリスハちゃんの顔に、私も釣られて笑顔を浮かべた。


 そんな中、相変わらずの調子の探偵さんが抱きつくリスハちゃんを引き剥がす。


「さて、リスハ。現状の変化を確認しておきたい。君の能力を確認させてもらうぞ」

「おっけー! どんとこーい!」


 即座にそういう切り替えができるのはさすが探偵さんというべきか、脳筋の割に行動が合理に寄りすぎているんじゃないかと気にするべきか……。


 

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