孤独な蠱毒 - アイロニー・コロニー - その後1
探偵さんの事務所はなんと、喫茶店『夢アジサシ』の隣だった。
ヘタしたら嬬月荘よりオンボロな感じのビルである。
三階にある探偵さんの事務所以外はすでにテナントはないらしい。それどころかビル全部が探偵さんの持ち物なんだとか。
中は当然のようにガランとしてるし、一階と二階はもはや柱と床だけみたいになっている。
それどころか、床が剥げてたり、天井や壁が壊れてコンクリ片みたいなモノが転がってたり、鉄筋が飛び出している場所もある。
……事務所として使ってるらしいけど、大丈夫な建物なんだろうか……。
ともあれ、廃ビルじみたその建物の二階にはシャワールームがあった。
元々スポーツジムかなんかがテナントとして入ってたらしい。
トレーニング器具なんかは片づけられてしまっているものの、シャワールームやサウナなんかは、そのまま残っていて使えるらしく、定期的に業者にメンテナンスをしてもらっているそうだ。
オンボロ感は確かにあるけど、探偵さんが日常的に使っているからか、結構キレイなシャワールームだ。大変ありがたく使わせていただく。
シャワーを浴びている時、探偵さんとは違う――なんというか、女性的な視線をずっと感じてたんだけど、なんなんだろ?
まぁこんなオンボロな建物だし、怪異を専門にする探偵さんだって話だし、幽霊の一人や二人いるのかもしれない。
探偵さんが放置しているなら、たぶん無害だろう。うん。
あの虫たちみたいに襲ってこないなら、別に気にしなくていいだなんて思ってしまったけど、間違ってないよね?
そうそう。シャワーを浴びる前に実は
めっちゃ汚れちゃって知り合いのところのシャワーを借りる予定なんだけど、替えの服が欲しいって。
そしたらジャージを持ってきてくれた上に、綺興ちゃんは車で私の家まで送ってくれることとなった。
その車の中で、綺興ちゃんは私に謝ってくる。
何でも、マスターに私のことを教えたのは綺興ちゃんだったらしい。
嬬月荘に入ってから、明らかに様子がおかしい私に気づいて、不安になった綺興ちゃんがマスターに相談して――というのが、ことの経緯。
無理矢理つきあわせた上に、アパートの呪いに掛かって苦しんでるのを見て、そうとう焦ったみたい。
心配してくれるのは大変嬉しい。そういう友達、地元じゃいなかったし。
特に、アパートの中で、私が真剣に帰ろうと提案しているのを、おちゃらけて却下してしまったことを本当に申し訳なく思っているようで……。
その辺は仕方ないっちゃ仕方ないことだし、私はあんまり気にしてなかったので、綺興ちゃんにも気にしないでとは言ったんだけど。
うーん、思い詰めなきゃいんだけどなぁ……。
私も私で半分寝ながら会話してたから、ちゃんと受け答えできてたのか怪しいっちゃ怪しいのもちょっと問題だけど。
ともあれ、綺興ちゃんのおかげで無事に家に帰ってきた私は、安心安全の自室のベッドにダイブする。
疲労と寝不足は限界を越えていたところもあり、私はそのままガッツリと眠りに落ちるのだった。
――そして、完全に寝過ごした。
ベッドに入ったのは夕方だったのに、目が覚めたのは翌日のお昼すぎ。
受けたかった午前中の講義は当然終わってしまっているので、色々と諦める。
元々午後の予定は開いてたので、今日はもうオフのつもりで過ごすことにしよう。
「おなか、へった……」
寝不足と疲労が解消された上に、呪いが解けたという安心感からか結構盛大な音が鳴る。
何を食べようかな――って考えた時に、脳裏に過ぎったのは、マスターの顔だった。
「よし。『夢アジサシ』に行こう」
今日はバイトもお休みだったけど関係ない。
私はささっと支度をすると、自宅を飛び出すのだった。
それはそれとして、買い物メモ。下着。
今日買い忘れたら替えがないから、明日ノーパンだよ私!!
『夢アジサシ』のドアを開ける。
チリンチリンとベルがなると、中でグラスを磨いていたマスターがこちらを見た。
「やぁ音野くん。もう大丈夫なのかい?」
「はい。呪いも体調もバッチリです。ご心配おかけしました」
「気にする必要はない。精神も体調も万全が一番だからね」
そんなやりとりをしながら、私はカウンター席に腰を掛ける。
「マスター、アジサシカレーの辛口を大盛りで」
お店の名前を冠したマスター特製のカレーは、この店の人気メニューの一つだ。
元々辛口でボリュームもあるカレーだけど、私は量と辛味を上乗せして注文する。
「なるほど。バッチリを証明するような注文だ」
ふふ――と笑うマスター。
渋く、穏やかで、優しい。
本当に良い人だ。
マスターが私の注文に受け付けていると、チリンチリンとドアベルが鳴った。
私とマスターがそちらへと視線を向けると、探偵さんが入ってくる。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませー」
今日の私はお客さんなんだけど、ついついクセで口にしてしまった。
「サボりか?」
お店の制服も着ずに椅子に座っている私を見て、探偵さんが不思議そうに訊ねてくる。
それに、何ともバツの悪い心地で私は答えた。
「いえ、今日はお客さんです」
「完全に従業員な顔してたぞ」
「なんていうか、つい」
苦笑まじりにそう言うと、探偵さんはふっと小さく笑いながら私の横に座る。
「マスター、アジサシカレーの辛口を大盛りで」
「ええ。承りました」
私と探偵さんにお冷やを出してから、マスターは厨房へと引っ込んでいく。
そのまま静かな時間が流れるんだけど、横に探偵さんがいる状態での沈黙に耐えられず、話しかけることにした。
「そう言えば探偵さん、私の能力に付いては聞かないんですか?」
「これは開拓能力者同士の暗黙のルールみたいなモノなんだが……安易に他人の能力を開かしたり、他人の能力を探ったりしないものなのさ」
「でも探偵さんは私に自分の能力を教えてくれましたよね?」
「君の信用を買うためだ。同類だと思ってもらえた方が、仲間意識が芽生えて言うコトを聞いて貰いやすくなるだろうと思ってな」
なるほど。そういう打算込みだったのか。
でも、別に腹が立つモノでもないかな。言われてしまえば納得するし。
「それなら、私からのお礼も兼ねて能力を明かします」
「いいのか?」
「そうじゃないと、なんかフェアな感じがしないんで」
こちらは私の本心。
私は助けてもらってばっかりで、探偵さんばっかりリスクを負ってるのは気が引ける。
「私の能力は――」
過去の音が視えること。
その音を手に取り、相手に押しつけることで、音が起きる現象を再現できることなどを説明した。
「なるほど。俺よりも探偵向きの能力だな」
あれ? 若干、探偵さん暗くない?
実は、自分がパワー系の能力であることにコンプレックスとかあったりするんだろうか?
でもなー……能力で殴って解決するのが一番ラクとか口にしている以上は、あの能力ってとても探偵さんらしい能力だと思うんだけど。
などと、私が探偵さんの心境を推測していると、マスターが厨房から戻ってくる。
「カレー、お待ちどうさま」
私と探偵さんの前に出されたのは、かなりボリューミーなカレーだ。
横長で楕円形の深皿。そこに盛られたご飯の山が二つ。その麓には、なみなみとしたカレーの湖が。
「きたきた。頂きまーす!」
スプーンを手に取り、ご飯とルーを一緒に口に運ぶ。
スパイシーな口当たりに「辛ッ!」となるも、それが引いてくると、強いコクとあと引く甘みがやってくる。
最初の刺激が通り過ぎ、口の中が甘みとコクでいっぱいになり、それを飲み込むと、キレのよい爽やかな辛さが口に残る。
「これこれ、おいしい!」
お腹に染みるというか何というか。
まともな食事だヒャッハー! みたいなテンション。最高。
辛さレベルがふつうの場合は、最初の強烈な辛みが軽い。だけど、後キレの辛さはふつうにある。その後キレが結構刺激的なので、辛いのが苦手な人は、無理らしい。
「気持ちよく食べるな」
「本当に。女性ながら良い食べっぷりだ」
「それ偏見でーす」
カレーを頬張りながら、二人にツッコミを入れる。
「女子だってドカ喰い願望はあるんですよ。
ただ、人目を気にしちゃうというか、女なのに的な視点とか、そもそもドカ喰いできるお店の男性オンリーな雰囲気に二の足踏んじゃったりするだけで」
なるほど――と納得する二人。
そういう意味では、このお店は安心して大食いできるお店だと思う。
雰囲気のレトロ感というか老舗感みたいなのが、初見さんにはちょっと踏み込みづらいんだけど。
お店にお客さん少ない理由もそれだとは思う。
そんな風に雑談をしながら食べていると――
「ああ、そうだ」
探偵さんが何かを思い出したように話しかけてくる。
もぐもぐと、カレーを食べながら。
「音野さんに少し提案があるんだった」
「もぐもぐ。ごっくん。提案?」
「ちゃんと
そう言って探偵さんは自分のカレーを口に運び、飲み下してから、その提案を口にする。
「君、うちの探偵事務所でアルバイトする気はないか?」
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