孤独な蠱毒 - アイロニー・コロニー - その16


 探偵さんのチョップで、壷が砕ける。


 その瞬間から、蛇もムカデ女も動きを止めて――呆然としているというよりも、まるで機能停止した機械のよう。


 ビシャっと音がして、液体が地面にぶちまけられる。

 やがてその液体が別の形に変わっていき――大きめのパッケージに裸の女の子が描かれた箱と、虫が一匹、浮かび上がってきた。


「えっちなゲームと、虫?」

「様々な偶然とこれらが結びついて、怪異の核となっていたんだろう」


 上に乗っていた虫の死骸を払って、探偵さんはゲームを手に取った。


 不思議と、ゲームのパッケージは汚れていない。

 いや、何度か遊んだりしているからこその――生活の中でついた傷や汚れみたいのはあるけど、赤黒い液体が染み込んだりしているワケじゃない。


 日常の中にある、ふつうのパッケージ状態って感じ。


「裏面のあらすじを見る限り、蠱毒こどくをモチーフにしたモノか」


 それから、探偵さんは周囲を見回した。

 壊れた棚からバラ撒かれたパッケージを見て、苦笑する。


「触手などの異形姦フェチか。虫モノも多そうだが」

「……探偵さん詳しいの?」

「職業柄、色んなジャンルに詳しくないといけなくてな」

「だからアブノーマルな性癖にも詳しいと」

「その生温かい眼差しはやめてくれないか」


 コホンと探偵さんは咳払いをして、手にしているゲームのパッケージを示す。


「蠱毒の話。気にはなっているのだろう?」

「……分かりました。誤魔化されます」

「誤魔化しじゃあないんだが……まぁいい」


 やれやれといった様子で、先ほどまで壷があったところを指した。


「蠱毒とは壷の中に、無数の毒を持つ生き物を閉じこめる中国発祥の呪いだ」


 赤黒い液体はすでにない。

 部屋中から感じていた虫の気配も、消え失せてしまっている。


「最後まで生き残った存在は、本来よりも強力な毒を持つ。

 その生き残りを生け贄に使ったり、その生き残りの毒を利用して、呪いを行うんだ。

 今回の怪異は、どういう経緯かはともかく、その類のモノだった」

「孤独な人を集めて、より強い孤独な人を作る的なコトですよね?」

「ああ。君と怪異とのやりとりからして、そうだったんだろう。孤独な蠱毒アイロニー・コロニーとでも名付けようか」

「このアパートって孤独な人を最終的にどうするつもりだったんですか?

 本来の蠱毒っていうのは、それでより強いのを手に入れるのが目的なんですよね?」

孤独な蠱毒アイロニー・コロニーに最終系なんてないさ。だたただ孤独を抱える人を集めて、溶かし飲み込み混ざり合い、より強い孤独を持つ者を長へと作り替え、また集める。孤独な蠱毒アイロニー・コロニーとはそのサイクルだけで完結しているシステムのようなモノだったんだ」


 孤独な人を取り込み、より強い孤独を抱かせ、次の獲物を探させる。

 次の獲物が自分よりも孤独が強かろうが、孤独が弱かろうが、結局は取り込んでしまうワケで――


「どっちにしろ孤独なままじゃないですか、それ」

「そうだな。君自身が突きつけた通り、孤独からの解放を望みながらも孤独にしかならない。孤独な蠱毒アイロニー・コロニーとは、そういう矛盾した能力舎システムだ」


 可哀想というのは、すこし違うかもしれないけど。

 でも、何ともやりきれない話だ。


 私は小さく嘆息し、窓へと向かう。

 探偵さんの開けた穴から光は射し込んでいるけど、それだけじゃあ足りない。


 私は窓を覆う重くて分厚いカーテンを開け放ち、その先にある窓も開いた。

 長年熟成されたような澱んだ空気が外へと流れて、霧散していく。代わりに新鮮な空気がゆっくりと入って来る。


 淀んだ空気が外の綺麗な空気と入れ替わるのを感じて、私は小さく安堵する。生き延びたって実感がわいてくる。


 それはそれとして――


「でもどうして蠱毒だったんですか?」


 窓の縁に腰をかけて、探偵さんに問いかける。

 スカートが汚れちゃうかもしれないけど、今更だ。


「どう、とは?」

「えっちなゲームはいっぱいあったじゃないですか。

 媒介――でしたっけ? 探偵さんの持っているゲーム以外のモノも、ソレにできたんじゃないかなって」

「ああ」


 私の疑問に探偵さんは小さくうなずく。


「一つは、このアパートの立地そのものが結界の中だったというのがある」

「結界?」

「結界と呼ぶには大げさかもしれないがな。人目に付きづらく、周囲を囲む塀は高い。ある意味で隔絶された空間だった。

 往々にしてそういう場所との境目に門がある。壊れてはいたが、あの門は領域の境界線として正しく機能していたのだろう」


 確かに。それは、綺興ちゃんと一緒に来た時にも感じたことだ。

 門を乗り越えた時、まるで別の世界に来たような奇妙な錯覚があった。


「その上で、このアパートは天涯孤独やそれに近い境遇の者が集まりやすかった。

 つまり、隔絶された空間の中に同じ属性を持つ者が集まってたワケだ」


 言われて、頭を抱えたくなる。

 そんな理由で、この怪異は生まれたの?


「毒を持つ生き物を集めて作る蠱毒と同等の条件は揃っていたワケだな」

「怪異ってそんな簡単に生まれるモノなんですか?」

「まさか」


 探偵さんは肩を竦めて苦笑する。

 良かった。条件が揃ったくらいでは簡単に生まれないモノらしい。


「そこが俺にも疑問でね。

 生まれる余地はあった。だがキッカケがない。生まれる為の爆発的なエネルギーが必要だったはずだ。

 それこそ、宇宙が生まれたというビックバンのような、キッカケが」


 爆発……爆発かー……。


「そういう意味では、この美少女ゲームそのものはキッカケとして悪くはないんだ」

「どういうコトですか?」

「性的な絶頂は、それだけでエネルギーを生む。

 キッカケとしては悪くない。ただ、片方だけだとバランスが悪くて、ビックバンにはならない」


 まぁ確かに、この部屋の主も一人遊びはしてるようだったけど。


「バランスが悪いっていうのは?」

「房中術と呼ばれる魔術があるんだ。

 男と女はそれぞれ別々のエネルギーを持っている。なので双方が粘膜的接触を用いて交わり女性の体内でそのエネルギーを混ぜあう。それによってより強力なエネルギーに変換するという技術だ」

「だから、この部屋の男性だけじゃバランスが悪いっていう話なんですね」


 探偵さんがうなずいた。

 その上で、付け加える。


「そうだ。

 だがそれ以上に、発散されたエネルギーは基本的に留まらず拡散して空気に混ざる。だからどれだけやろうとも、怪異が生まれるほど溜まるコトはありえないとも言える」


 なるほど――と、納得すると同時に何かが微妙に引っかかる。

 拡散する前に、何らかの形で混ざり合ったりしたらどうなるのかな?


 私が首を傾げていると、探偵さんは何かに気づいたような顔をする。


「いや待て、結界に……壷か。

 本来は発生しても拡散するだけだったエネルギーが、このアパートの中に溜まっていた可能性はあるかもしれないな」


 それなら、バランスが悪くても可能性としてはありえるらしい。


「しかしそうなると、ムカデ女の説明が付かないな。

 壷の方は男性のエネルギーから生まれたんだろうが、あのムカデ女は女性からのエネルギーがなければ発生しなさそうなモノだが……」


 あー……。

 分かった。分かってしまった。


「この上の階の女性。一人遊びが大好きだったみたいです。私の能力で、それが視えました」


 すると、合点がいったような顔をした。


「そうか。それでか。

 この結界の中にただエネルギーが集まっているだけでなく、上の階と下の階が重なり合って、さらなる壷を構成してたのか。

 だから、上の階の女性の放つエネルギーは、この部屋に流れ落ちてくる。そしてこの部屋で男性がエネルギーを放つ。

 房中術ほど変換効率が良いワケではないが、この部屋を中心に男女それぞれのエネルギーが混ざり合ったんだな」


 男性がエネルギーを発散した時に使っていたイメージ。

 それが、怪異のモチーフに影響されたそうだ。


 だからこそ、先ほどのゲームに繋がってくるらしい。


「そしてこのゴミ屋敷だ。エネルギーとイメージを含む生命の残滓が豊富だったんだろう。ゴキブリやハエがそれを食えば、それだけでパワーアップするコトもあるだろうな」


 チラリと探偵さんがゴミ箱らしきモノを見やる。転がるティッシュ。


「じゃあ、寄生して悪夢を見せて呼び寄せるっていう流れだったのは……」

「媒介となったゲームと、エネルギーを得た虫が結びついた結果だな。

 しかも、おあつらえ向きなコトに、このアパートは孤独な者たちの巣窟だった。

 加えて、このアパートは何度か孤独死案件もあったようだしな。

 怪異が発生するのに必要な様々な要素が、かなり結びつきやすい条件が揃っていたようだ」

 

 そういう様々な偶然が重なった結果、今回の怪異『孤独な蠱毒アイロニー・コロニー』が生まれたようである。


「二人とも、一人遊びは寂しさからの現実逃避だったかもしれないことを思うと、何とも言えないですね……」


 そう口にするものの、なんだかしっくりこない。


「ただ――本当の意味で孤独を上書きする何かに出会おうとしなかったのは、怠惰だったんじゃないかなって」


 ああ、そうだ。たぶん私の本心はこれだ。

 もしかしたら、これはとても傲慢な考えなのかもしれないけど。


「君は、そう思えるだけの強さか、あるいはそう思えるようになった出会いがあるのだろう。それは素敵なコトだと思うし、それを血肉にできているのは、君自身の強さによるものだな」


 優しくうなずく探偵さんに嬉しくなる。

 綺興ちゃんと出会ったからこそ、私はこのアパートの怪異に耐えられたと思うから。


 でも、探偵さんはすぐに笑顔を引っ込め、険しい顔を浮かべる。

 その上で、私を諭すように、言い聞かせるように、言った。


「だが、そうではない者たちもいる。ただそれだけのコトだ。

 自分の強さや境遇などを誇るのは良い。嘆くのも良い。強気も弱気も、自分のモノであるうちは持論だろう。好きに抱けばいい。

 だがその持論を自分のモノ以上にしてはダメだ。他者に押しつけたら、それはただ戯れ言の押しつけに堕ちる。それは自分の言葉で口汚く放つ罵詈雑言ばりぞうごんより価値が下だ」


 そっか。

 今の私の視点から見れば、原因の二人が怠惰のように感じるけれど。

 だけど、二人がそれまでに、孤独を癒そうと努力をしていたかどうかを確認する術はないんだ。


 言われてみると、調子に乗った発言だったかもしれない……。


「厳しいコトを言って申し訳ないが、人とは違うチカラを持つ君だからこそ、胸に留めておいて欲しい。

 君のチカラがどういうモノかは分からないが、あのムカデ女を吹き飛ばすコトができるチカラだ。使い方次第では人を傷つけるどころか殺めてしまう。

 だからこそ、様々な物事に対する持論とルールをしっかりと芯に据えておいて欲しい」


 探偵さんはそう〆て小さく笑うと、ゆっくりと歩き出す。


「さて、そろそろ帰ろうか。君はどうする?」


 私は窓の縁から降り、探偵さんを追いかける。


「家に帰りたいんですけど、電車なんですよね。その前にシャワー浴びたい感じです……」

「ふむ。オンボロで良ければ俺の事務所のシャワーを貸そうか?」

「ホントですか!?」


 それは大変助かる。

 全身グチャグチャのドロドロだし、下着の中も結構な洪水だったし……って呪いが解けたせいか、めっちゃ羞恥心が……。

 私……こんな状態で探偵さんと……男性と一緒に歩いてたんだよね……?


「シャワーは貸せるが服はどうする?」


 確かにそうなんだけど、シャワーの魅力には勝てない……。

 綺興ちゃんに頼んでみるかー……。


「ダメもとで友達に頼みます」

「分かった。では帰るとしよう」


 玄関のドアを開け放って外に出る。

 窓を開けた時にも思ったけど、やっぱり外の空気っていいよね。


「ところで、事務所ってどこです?」

「夢アジサシの近くさ」


 などと思っていると、ふと探偵さんの手の中にゲームが掴まれたままだと気づいた。


「ここから近いのは助かるぅ……って、探偵さん、そのゲーム……」

「ん? ああ、報告書に必要でね」

「遊ぶんですか?」

「遊ばない。報告書に必要だと言っただろう」

「と、見せかけて?」

「見せかけでも何でもない。本当に報告に使うだけだ。

 ……まぁその報告書作成も、君のおかげで助かったんだが」

「え?」

「依頼人への報告書には、怪異の詳細や発生理由なども必要でね。

 君が二階の女性について教えてくれたおかげで、久々にちゃんと報告できる」

「……久々?」

「レオニダスで殴って解決してしまうと、詳細が分からなくなるコトが多くてな……」

「……………探偵さん、脳筋?」

「………助手からも良く言われる」

「やっぱり!」


 そんなやりとりをしながら私たちは嬬月荘の門を越えて、結界の外へと出た。


 なにはともあれ、これで一件落着……かな?


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