孤独な蠱毒 - アイロニー・コロニー - その13
「ん?」
探偵さんの脳筋疑惑に
ポケットから先ほどのコンクリ片のようなモノを取り出し、周囲を見回す。
「そこの部屋? ああ、カーテンの……怪しい?」
誰かと話すような調子で独り言を口にしてから、カーテンの掛かっている部屋を見た。私も釣られてそちらを見る。
綺興ちゃんと見て回った時に、何となく能力を使って覗いた部屋だ。
今思うと、あのときに視た音って、虫たちが動いていた音なのかもしれない。
「……さっきまで居た部屋の真下の部屋か」
「上って女の人の部屋でしたよね? ここって、もう一人の男性の部屋だったりします?」
「…………」
私の言葉に、探偵さんが難しい顔をする。
「窓を壊して入ります?」
訊ねると、探偵さんは少し難しいかをしてから小さく首を横に振った。
「いや……一応、玄関へ回ろう。
人間相手ならともかく、今回のような怪異相手の場合だと、その手の裏技じみた方法はかえって危険なパターンも少なくない」
虫が光を苦手としているなら窓というか壁ごと割って入ると有効そうかなと思ったんだけど。
経験者である探偵さんがそう言うのであれば、それに従おう。
そうして一階の一〇四号室の前にやってきた。
「上と違って僅かに開いているってワケでもないんですね」
「……案外、上の部屋が口で、この部屋が胃だったりするのかもな」
「二階で液状化すると、この部屋に流れ落ちてくる……みたいな?」
「ああ」
思わず想像して、悲鳴をあげそうになる。
だとしたら、この玄関を開けたら……。
「鍵が掛かってるのか? 開かないか」
ガチャガチャとドアノブをひねりながら、探偵さんは首を傾げる。
案外、開拓能力で壊そうかどうか――なんて考えいるのかもしれない。
探偵さんはドアノブから手を離すと、玄関から少し離れて周囲を見回す。
それから、左の一〇五号室の玄関に手を掛けた。
「こちらは回るな。反対側はどうだ?」
今度は右の一〇三号室。こちらもドアノブは回るようだ。
「放置されているとはいえカギが掛かってないのはどうなんだと思うが……以前の大家が行方不明になる際に、スペアキーも行方不明になってるらしいしな」
「それってもしかしなくても……」
「虫が使ってるんだろうな」
どれほどのモノかわからないけど、知恵があるかもしれないってやだなぁ……。
「鍵かぁ……」
なんとなく一〇四号室のドアノブを私も試す。
ガチャリ――と、ふつうに回った。
「……探偵さん、開いてますよ。これ」
「なんだと?」
不可解そうに目を眇める探偵さん。
まぁ開いているなら好都合だし、開けちゃおう。
そうして私がドアを引くと――
「え?」
隙間から、ムカデのような平たく長細い影がドアノブを握る腕に巻き付いた。
「
咄嗟に、探偵さんが背後霊さんを呼び出す。
だけど――
「うわわわわわ……ッ!?」
ムカデは勢いよく私を部屋の中へと引きずり込む。
背後霊さんが手を伸ばすけど、一手遅く――私を掴むことなく空を切る。
まずいまずいまずいッ!
ムカデは私の右手に巻き付き引っ張る。
玄関の段差に
チカラ、強ッ!?
半開きの玄関から差し込む光以外に明かりの入らない部屋は当然真っ暗で何も見えない。
ギチギチと腕に巻き付くムカデ。
うぞうぞ動く足が腕に引っかかってめっちゃ痛いッ!
だけど、まだ玄関が開いているッ!
耐え続ければ、探偵さんが助けてくれるはず……!
それまで踏ん張ろうと咄嗟に手を掛けたところは、ガスコンロだった。
無意識に能力を使っていたのか、シュポ、ボボボボボウという音が視える。
何か使えそうなモノはないかと周囲を見回す。
玄関から入ってくる明かりが照らす室内をみれば、いわゆる汚部屋のようなところだった。
ゴミの入ったゴミ袋が大量に積んであったり、テーブルや流しとかにも、ゴミや洗い物が放置されてたり――
キッチンでこれなら、リビングも和室もにたようなモノだろう。
手の届く範囲にはゴミくらいしかない。
やむなく、私はガスコンロの周囲に漂う音に手を伸ばした。
触れることが出来るんだから、握れるかもしれない。基本的に過去の音はそこから動かないから、捕まれば踏ん張るのに使えるかも――なんて、思っただけだ。
根拠はなく、確信もなく、ダメもとの一手。
そうしてコンロの音に触れるかどうかという瞬間――
「無事かッ!」
閉じそうな玄関のドアに身体を割り込ませ、背後霊さんが現れた。
光を避けながら虫たちがドアを閉じようとしている為、完全に挟まれている。
背後霊さんでも通り抜けたりとかはできないらしい。
窓ガラスとかも殴って割ってたんだから、不思議ではないんだけど。
「ぐ……掴めるか……?」
苦しそうな探偵さんの声とともに、背後霊さんが手を伸ばしてくる。
一瞬迷うけど、あの手を掴むほうが、ガスコンロの文字よりも確実だ。
私はすぐにガスコンロから背後霊さんの方へと手を伸ばす方向を変えるも――
「ダメです、届かない……!」
拳一つ分くらい届かない。
ムカデの引っ張るチカラも増しているようで、徐々にその距離も開いていく。
痛い痛い痛い!
ムカデの足が食い込んで微妙に血がにじみ出した!
でも限界なのは私だけじゃないっぽい。
「ぐ……これ以上は……!」
虫たちの一部が背後霊さんに噛みついている。背後霊さんから血が出ている。
表情はわからないけど、明らかに苦しそうだ。
どうしよう。どうしたら掴まれる?
どうしたら、脱出できる?
このまま引きずり込まれたら、どうなっちゃうの?
不安が増していく中で、絞り出すような声が聞こえてくる。
「こ、これ以上は……グ、がぁ……っ、戻れ、レオニダス……!」
苦しそうな探偵さんの声。
うめくような戻れという命令。
背後霊さんの名前がレオニダスさんだと分かると同時に、押し寄せる絶望感。
レオニダスさんの姿が半透明から完全な透明に変わっていく。
「あ……」
それにあわせて、玄関がゆっくりと閉じていく。
光がどんどんと消えていく。
「ああああ……」
私の手が空を切る。
玄関が、完全に閉じた。
ガチャリと鍵のかかる音がする。
「あああああああ……!」
探偵さんが近くにいるという安心感が、急に消え失せる。
真っ暗の中、それでも文字だけは視えている。
扉が閉まったことで、探偵さんとの繋がりがたたれてしまった不安感。
急激に、孤独感が増していく。
「あ、ああ……」
文字以外なにも見えない。
でも、感触はある。
右手に絡まるムカデだけじゃない。
ゴキブリやクモ、サソリ……他にもさまざまな形の虫の影が、足から私に這い上がってきている。
それを振り払わないとと思う反面で、それをする気力すら湧かなくなってきている。
うぞ、うぞ、うぞ、うぞ。
もぞ、もぞ、もぞ、もぞ。
虫がたかる。
足から私の身体を登ってくる。
服の上、服の中。
私の全身を擦りながら、両腕に集まっていく。
悍ましい。気色悪い。恐ろしい。
……なのに、どこか何かを期待している自分がいる。
このままたかられ続けてら、間違いなく夢が現実になってしまう……。
「うううう……」
無意識にうめく。
それでも、玄関の近くにいたくて、ガスコンロのところに浮かぶ文字へと左手を伸ばす。
まだ身体は動く。かなしばりにはあってない。
そうして私は、ガスコンロの文字を握りしめた。
「……掴んだ……!」
でも――
「え?」
文字を握ったまま私は引きずられてしまう。
文字は私に握られたままふつうに動く。
テーブルの上に置かれたメモを握りしめるような感じ。
くしゃっと。私の手の中にある。
「あ」
踏ん張るのには使えない。
それを自覚した瞬間、何かが私の中から吹き出した。
「あああああああああ」
さっきまでの冷静な抵抗とは違う。
無意味にあがくように、無力を嘆くように、じたばたと。
「やだやだやだやだ……!」
だけど、ムカデはビクともしない。
身体を這いずる虫たちは飛び散らない。
埃と湿気とカビで滑るフローリングにズルりと足を滑らせて尻餅をつく。
これ幸いとばかりに、虫はさらに集まり――ムカデは私を引きずっていく。
ずる、ずる、ずる、ずる……
冷たくぬめる床を太股が滑っていく。
フローリングだから、爪を立てても滑るだけ。
「いや、やだぁ……」
ずる、ずる、ずる、ずる……
右手が引っ張られる。
痛い。痛い。痛い。
右手が引っ張られる。
雑巾にでもなってしまったかのよう。
右手ごと身体が引っ張られる。
私の服が、身体が、床を磨いていく。
身体が引きずられる。
でも、身体の汚れを気にしている余裕がない。
引きずられる身体にゴミ袋がぶつかる。
だけど虫たちはそんなの関係ない。
私が埃と、黒カビと、ゴミにまみれて引きずられていく。
汚れた私を舐めるように、虫が、虫が、虫が、虫が……。
「う、あぁ……」
濡れる。濡れていく。恐怖で漏らしたかもしれない。
だけどそれだけじゃない。
――この状況に、期待感と歓喜が混ざっている。
「あ、は……?」
絶望している自分とは別の、悪夢を期待している自分がいて。
自分じゃない自分の笑顔が外に漏れ出てくる感じ。
否定しないと。否定し続けないと。
私はこんな虫たちなんて大嫌いだと。
そうしないと、
そいつは、
虫を、
虫を、虫を、
虫を、虫を、虫を……虫たちからの陵辱を、求めていて……。
ほら、気を抜けば。
恐怖に負けちゃえば。
四肢を投げ出し、身体を差しだし、ラクになろうとしてしまう。
「ああああああッ!」
自分でもどうしていいか分からなくて喚く。騒ぐ。もがく。
この抵抗に意味があるとか無いとかはどうでもいい。
だけど、そうしなければ――
抵抗を続けなければ、私は呪い負ける気がして。
死ぬよりも酷い目に遭いそうな気がして。
「放してッ、放してよ、放せよクソったれぇぇぇ……ッ!!」
ただただ闇雲に、左手で握っていたモノを、右手に巻き付くムカデに叩きつける。
シュポ、ボボボボボウ――
すると何故か火のつく音がして、ムカデが声にならない悲鳴をあげて、私に巻き付くチカラを弱まった。
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