孤独な蠱毒 - アイロニー・コロニー - その14


 ムカデのチカラが緩んだ。

 私はそれをふりほどいて、何とか立ち上がると玄関へ向かう。


 ドアの僅かな隙間から漏れる光を頼って、ドアに飛びついた。


「開かない……! そうだ、カギ!」


 虫たちがたかっているけど、気にせず内カギのつまみに触れる。

 だけど――


「回らない……なんで!? どうして!?」


 どうしよう!?

 そうだ! スマホ!


 取り出して明かりを付けて、室内を照らす。

 小さい虫たちは、それだけで怯んで逃げ出していく。


 つまみも照らして改めて回そうとするけど回らない。

 カギの中にでも虫が詰まってるのかもしれない。


 舌打ちして、改めて周囲を見回す。


 すると、さっき私を捕まえていたムカデはピクピクしながら、ゆっくりと赤黒い液体へと溶けていくというか戻っていくのが見えた。


 しかも、微妙に燃えながら溶けてるけど……。


「……文字? 過去の文字を押しつけると、現象が再現される?」


 ハッキリとしたことは分からないけど、ムカデに火を付けたのはたぶん私だ。


「いや、今は能力のコトはいいから脱出を……」


 玄関がダメだなら、窓だ!

 二階でやったように、窓を開ける。

 この部屋は雨戸でなくてカーテンだったから……リビングからならッ!


 部屋の構造は上の階と同じっぽいから――


 リビングの扉を開くと、ゴミ袋がピラミッドになっている。


「窓まで遠いなーッ!」


 思わず声を上げてしまう。


 六畳の部屋がこんなに狭く、窓までこんなに遠く感じるとか!

 片づけておきなさいよ、ここの元住人も!!


 文句を抱きながらも、私はリビングを進もうとして――


「……!」


 背後からガサガサと大きめな音が聞こえてきて振り向いた。


「大きいサソリ……」


 私なんて簡単に組み伏せられちゃいそうなサイズのサソリだ。

 シルエットみたいな真っ黒だからまだマシだけど、リアルだったらもっとパニクってたかもしれない。


 いや、さっきも十分パニクってたけど……!


「スマホの光に怯まない……」


 サソリ、サソリかぁ……あの尻尾の毒、どうなってるんだろう。


 あんまり考えたくないので、リビングのゴミ袋の山へと向かっていく。


 あちこちに落ちているタバコのパッケージ。

 小さなテーブルの上には灰皿と大量の吸い殻で作られたオブジェがある。


 それなら――


 過去の音を視る。

 カチ、カチ、シュポ――という音を見つけた!


 たぶんライターだ! タバコ吸ってたならやっぱりあるよね!


 この音なら武器になるはず!


 さっきと同じようにこの音をサソリに押しつければ……押しつければ……押し、つければ……えーっと、どうやって?


 格好良くサソリを返り討ちにしようと思ってたけど、あれに近づいて音を押しつけてくるって、ちょっと難しいような……怖いような……。


 どうしたモノかとサソリの様子を伺っていると、尻尾が私に襲いかかってくる。


「ひぃッ!?」


 咄嗟に動いて躱せたけど、小さなテーブルがひっくり返った。


 ゴミ袋の山にダイブしながら、私は思わずむせる。


「けほっけほっ」


 元々埃っぽかったところにタバコの灰が飛び散ったからなぁ……。

 

 でも窓を背にしてあの尻尾を躱せば割ってもらえそうでは?

 いや、それを出来るほど私の運動神経は良くないな……?


 ともあれ、ゴミ袋の山から脱出しないと。

 変に身体が埋もれてしまっているから――


「あ」


 サソリの尻尾が目の前にある。

 その先端の尖った部分から、ぬらぬらと赤黒い液が滴っている。


「え? あ。ちょっとストップ! 待て! 待ってってば! タンマ! 止まって! ウェイトウェイト!!」


 言って止まるなら苦労はしないんだけどさッ!

 ゴミ袋から脱出できないうちに尻尾は目の前まで来て――そして、雫が私の上にポタリと落ちてきた。


 次の瞬間――目の前がバチバチと明滅する。


「あ」


 悪夢の中で植え付けられた卵たちが、一斉に活性化しだしたような感覚に襲われる。


「ああ」


 全身にチカラが入らなくなっていく。

 握っていたライターの点火音は、するりと手の中から抜けて落ちて、消滅していく。


 液体と共鳴する卵たちが、私を内側から別の何かへと塗り替えていく。


「あはっ」


 自分でも狂ってるな――と感じる笑みがこぼれる。


 絶望感と期待感が同じくらいの量になっていく。

 釣り合った天秤が、ゆっくりとだけど確実に、期待感の方へと傾いていく。


 この赤黒い不気味な液体にまみれていることを気持ちよいと思う自分がいる。

 ――吐きそうな自分も確かにいる。


「あはははは」


 抵抗しようだとか、もがこうだとかはどうでもよくなっていく。


 絶望感を期待感が上回る。

 ――悲鳴を上げて泣き叫ぶ無様な私の姿は心の片隅の箱の中。


 恐怖とは別のモノで震える私の身体を、サソリは両手のハサミで丁寧に持ち上げると背中に乗せた。


「あー……」


 逃げなければ取り返しのつかないことになるのは分かっているのに、逃げる気なんて全く涌かない。

 ――悲鳴を上げて泣き叫び探偵さんに助けを求める愚かな私は、心の片隅の箱にしまわれ、出てこれない。


 これから私は虫たちに弄ばれて、言葉通りに溶けていく。

 溶けて混ざって、最後は虫の一部になるか……虫を支配する長になるか。


 寂しくはなくなる。

 ひとりぼっちじゃなくなる。

 虫たち一緒になれば寂しくない。

 それならそれでいいじゃないか。


 サソリが和室に到着する。

 この部屋もゴミ部屋だ。


 パソコン机には、立派なモニターとパソコンと。

 横の棚には本――じゃなくて、ゲームソフトか。大量だ。

 でもなんか分厚いパッケージ。あんまり見たことのない形のも多い。


 パソコンに向かう椅子の近くに、シコシコ、シュッシュッ、という文字が見えた。

 一瞬、訝しむけど、それが何かに気がついたので思わず目を逸ら……さなくてもいいか。


 どうでもいい。

 自分でやるか虫にされるかの違いはあれど、今の私は似たようなモノなのだから。


 涙が流れてくる。

 なんで泣いているんだろう。

 これからいっぱい鳴けるのに。


「あはっ、ふふふ」


 箱に押し込めておいやった絶望がまだ残ってるのかもしれない。


 これから、溶けて混ざって……ふふ、絶望なんて忘れるくらい楽しいだろうに……。


 取り返しがつかないくらい、ぐちゃぐちゃにされて……虫と戯れて、弄ばれて、文字通りどろどろになって……そうすれば助かるから。


 怖いのも、寂しいのも、全部なくなって、大丈夫になるから。


 でも私だけ寂しさを解消してたらダメだよね。

 だから、綺興ちゃんも誘って……一緒に……。


 綺興ちゃんを誘って……?


 ……誘って、どうしようって言うんだ?


 ふざけんなよッ、私ッッ!!


 心の片隅に置かれていた箱が割れる。

 中から怖くて怯えて震えて絶望している、だけど間違いなく本来の私が飛び出してくるのを感じた。


 本来の私が、私を塗り替える何かを拒絶する。


「うああああああッ!!」


 無理矢理絶叫をあげて、自分の身体を無理矢理動かして、サソリの背中を叩く。


 固い。痛い。だけど目は覚めたッ!


 探偵さんの言葉を思い出す。

 偽りの光に縋るな! 正しい光を探し出せ!

 虫に身を委ねれば、怖いのも寂しいのも大丈夫だなんて偽りだ!

 それは大丈夫なんかじゃない! 全部あきらめて、全部捨ててるだけだッ!!


おまえたちなんかに負けてたまるかァッ!!」


 おへその下の辺り熱くてぐるぐる疼いているけど……

 でもッ、そんなのッ、関係ねぇ――ッ!!


 濡れたまま身体にこすれる下着の感覚に舌打ちしながら、立ち上がる。その感触が不快より快の方が強いから、正直影響から脱しきれてないんだろうけど……身体の自由が利くならそれでヨシ!


 私の様子が変わったことに気づいたのか、サソリが尻尾を動かすけれど――


「もう浴びる気はないからッ!」


 サソリの背中から飛び降りる。

 その時、ガゴンという大きな音とともに、パソコン机の辺りの壁にヒビが入るのが見えた。


 それが何かをすぐに私は理解する。


 素早くそこへ移動し、サソリがこちらへとやってくると同時に、パソコン机の前から横へ跳び――


 そして、どうか聞こえますように祈って叫ぶッ!


「探偵さんッ、今ァッ! そのままブチ抜いてッ、全力で!!」

「……任せろッ! ブチ抜くッ!!」


 次の瞬間――

 ドォグォォン……!! という派手な音と共に、パソコン机を吹き飛ばしながら、壁がぶち抜かれる。


 机もパソコンも本棚も吹き飛んで、それらがサソリを押しつぶした。


 レオニダスさんと重なるようにパンチを撃ったっぽい探偵さんが、残心を解いて、壁に開いた穴からこちらの部屋へとやってくる。


「すまん遅くなった。無事か?」

「無事かと問われると微妙ですけ……どふぉッ!?」


 私がそう答えた時、ちょっと血を流しているのが逆にカッコいい探偵さんと、私の目に映るドピュッ、ドクドクという過去の音が、偶然にもかなり良い感じに重なっているのに気がついて、思わず吹き出してしまった。


「急にどうした? 本当に大丈夫か?」

「あ、はい。なんとか」


 めちゃくちゃ心配されててしまった気がする。申し訳ない。


「っていうか、血ィッ! 探偵さん、血を流してる!!」


 そうして、流血カッコいいとか言ってる場合じゃ無いだろうと、ちょっと遅れた内心へのセルフツッコミも入るのだった。


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