第20話 人の心理は複雑

「いい? この世界では、古典のトリックでも画期的なの。そんな重要なことを、『それは良いとして』、ですって?」

 それを聞いて、秀明があわてて止める。


「おっおい。慶子。まずい。色々と台詞がまずい」

「何がよ」

「この世界も、古典も駄目だろう。あっ」

 あわてて自分の口を押さえて、アルトゥロを見る。


 当然、アルトゥロはその言葉を聞いた、だが荒唐無稽な意味を含む、その言葉をすぐには理解できなかった。


「この世界とは? 古典の仕掛け(トリック)と言うことは?」

 アルトゥロは疑問に感じ、つい口に出してしまう。


 脇では兵が、秘密を知られたから切るとか、そんな様子ではなく、頭を抱えている。


「あーその。聞かなかったことにして?」

 さっきまでの態度とは違い、いきなり佐々木慶子は小動物のようになってしまった。元々は、本を読むのが好きな、おとなしい少女。

 それがこの世界に飛ばされ、楽しみが消失をした。


 悲しんで、何も出来ないで、だらだらしていると、山本秀明達が見つけてくれた。


 山本秀明達は、本物のミステリー研。

 題材として、本を読み。

 そのトリックや、人の動きを読み解く。

 そんな事を繰り返してきた猛者達。


「ほら此処で、読者をミスリードしている」

「素晴らしいな。違和感のない会話で、嘘は書いていない」

「ああ。だけど、第三者視点で見ている読者は引っかかる」

「この布石が痺れるな」

「後に有効だが、ストーリーがどの方向へ変わっても使える」

 等々。熱中をしすぎて、下校時間を守らず。

 幾度もお小言を貰ってきた面々。


 当然彼らも、この世界に来て失望をした。

 だが、無ければ書けば良い。

 そう思い、執筆を始める。

 だが、読むのと書くのは違う。


「このメンバーでは、話自体がつくれない」

「むうう。あっそうだ」

 武田彩が思い出す。


「佐々木さん、本が好きみたいよ」

「そう言えば、見たなあ」

 佐藤秀夫もその光景を、思いだしたようだ。


 彼女の席は、暗い廊下側の後部。

 その影に、溶け込むように机に座る彼女。

 セミロングの黒髪に、キラリと光る楕円形の銀縁メガネ。むろん長手が横向き。

 奇をてらった、縦に長いレンズではない。

 彼女は目立つのを嫌う。


 そのレンズは、マルチコーティングをしていないのか、白く光って彼女の表情を隠す。各種フィルターをコートしていれば、レンズは緑に光る。

 そう。本と光るメガネが、教室の隅。暗闇にただ存在をしていた。


 その光景を思いだした秀夫の背筋に、冷たいものが流れる。


「彼女おとなしいけれど、昔班行動したときに、ものすごく知識の幅が広かったわよ。研究会に誘って断られたけれど」

 渡邉洋子が、補足情報をくれる。


「彼女がいれば、五人になるな」

 五人にこだわるのは、部としての承認人数。

 むろんこの世界では関係ないが、同好会と部では違いは大きい。いや大きかった。

 部になると、予算が付くのだ。


「なあ。もう少し部員を増やして、部として活動しろよ。先生は安月給なんだよ」

 そんなぼやきを聞くこともなくなる。

 だが、基本の本好きは、文芸部に所属をしている。


「ミステリー研は、そのトリックを読み解くのが本懐」

 とまあ、妙なこだわりでやって来た。


「でだ、誰もまともな文章が書けないと言うことで、入ってくれないか? 我らがミステリー研へ」

 そうして、お城の片隅で腐っていた私は、誘われるままに研究会へ入った。


「こんな感じで、大枠のストーリーを書いて、次はキャラね。性格とか口癖は決めておかないと駄目ね。それに合わせてプロットを書くの」

「おお。素晴らしい」

 ここに居ると、承認欲求が刺激される。


 一人でいるのが好きだけれど、話はー。まあ合うし。何も出来ずにぼーっとするよりは良い。


「じゃあ、総合能力で副部長は佐々木さんね。ミステリーの知識量でミステリー研としては部長は山本君のまま。それで良いかな?」

 そうして、あっという間に副部長となった。


 後は、わいわいと言いながら、本を作っていたのだけれど、ある日呼び出される。

 捕虜から情報を引き出したい。それに使える良い知恵は無いかと聞かれた。

 神野君が、私たちを指名したようだ。

 相手はプロなので、拷問をしても情報はしゃべらないらしい。


「こういうときこそ、人の心理を突く。心理誘導だね」

 そう言って古典的だが、動機付けによる誘導を行った。

 『今なら』『あなただけに』対象や期間を限定することで、心理的誘導をうながす。


 某通販番組の手だ。


 そう。心理誘導は、ビジネスにも使える。

「ダブルバインドとか、対比効果、バンドワゴン効果やカリギュラ効果が有名よね」

 そう説明をすると、彩が聞いてくる。


「ダブルバインドって、Aの方が高品質で、Bよりもお高いですが、絶対的にお得ですよって進めて、買わないという選択肢を出さないって言うあれね」

「そうそう。拒否や否定は選択肢として出さない」


 一応、捕虜達がじれるまでに、部員達と手法のおさらいをする。


「対比効果はぼったくりね」

「そうだね。東南アジアとかで昔在った奴。最初高い金額を提示して、買ってくれればもうけ。値切られたら段階的に下げていくけれど、儲けは出す。買った人は負けさせたから、お得感を感じるけれど、実際はそれでも、相場より高かったりする」

 佐藤君が嫌そうな顔で答える。何かあったのかしら?


「バンドワゴン効果は口コミね。みんなが良いって言っているから。そう言って、盲目的に追従する真理」

「ああ。有名なのは、飲食店とか環境保護だな」

 これまた、佐藤君が嫌そうな顔で答える。


「そうね。この手に引っ張られる人って、一様に思考を放棄するから」

「あー分かる。みんなが持っていないのはおかしいとか、買って貰っていないのはおかしい。みんなにそう言われる。小学校の時って、親に無理を言って買って貰って、あとで悩む奴ね」

「そうそう、親にみんなって何人? という返しまでがセットね」

 洋子ちゃんが腕組みをして、うんうんと頷くけれど…… わざとなのね。下から持ち上げるように。ほら男子達、顔はそのままで、目だけが胸へと向いているわ。


「そうそう、カードやデッキを買って、でも友達がいなくてさ……」

 そんな中で一人。とうとう、佐藤君が涙をこぼし始める。


「えーと最後。カリギュラ効果は説明するまでもない。人は見ちゃ駄目やしちゃ駄目というものに心理的にひかれる。退廃的な世界を描いた『カリギュラ』という映画が、禁止されたことで人が詰めかけたのよね」


「そうそう、最近は何でもないものにモザイクを掛けて、コマーシャル明けまで視聴者を引っ張ったりするのよね」

「そう、それに、あれはするな、これはするなは逆効果だから、禁止するなら明確な説明をしないと駄目なんだよね。好奇心って、かなり強い感情だから」

「エッチとかねぇ」

 彩が嬉しそうな顔をして、私と秀明を交互に見る。


「えっ。なんで。私たち、べっべちゅに……」

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