第45話 二つ目の願い

「ここはどこなの……?」


 気がつけば、そこは先ほどまでいた部屋とは全く違う場所だった。


 床も壁も石造りで、神殿のような雰囲気だ。

 魔力の灯りで照らされた部屋の中央には、透き通るような黄金色の巨石が宙に浮かんで鮮やかに輝いていた。


「邪魔者が入ってしまったが仕方ない」


 皇帝が横目でアルベリクを見ながら嘆息する。

 アルベリクは皇帝を睨むように一瞥いちべつしたあと、巨大な黄金の石を仰ぎ見た。


「あの石が……女神の涙か?」

「そうだ、これが皇家の秘宝『女神の涙』。お前たちは初めて見るだろう」


 皇帝も秘宝を見上げて愉快そうに笑う。


「この石には、我が皇家の祖先である女神の力の一部が宿っている。代々の皇帝だけに許された、魔力と引き換えに願いを叶える力だ」

「貴方は、すでに自分の魔力を引き換えにして若さを手に入れた。これ以上、何を望むというの?」


 魔力が最も高まる誕生日の深夜を待つほどだ。

 若返りよりも大きな願いなのかもしれない。


 皇帝が、女神の涙を背にしてイネスとアルベリクに問いかけた。


「そなたたちは、ラングロワ帝国の建国神話を知っているか?」

「建国神話──。邪気をき散らし、この土地一帯を根城にしていた魔竜を女神が封印して、ラングロワ帝国を建国したという言い伝えだろう? 幼子でも知っている話だ」


 アルベリクが即答したように、帝国民なら誰もが幼い頃から親に聞かされて、物心つく前から覚えているような話だ。


 この神話のとおり、ラングロワ帝国は女神あってこその国であり、国民の誰もが女神を信仰していた。


 皇帝がアルベリクにさらに問う。


「女神が施した封印を解くには、女神の力が必要だ。さて、どうすればいいと思う?」


 まるで子供になぞなぞでも出すかのような気軽な問いかけ。

 しかし、皇帝の真意に気づいたアルベリクが一気に表情を険しくした。


「まさか、秘宝の力で魔竜の封印を解く気か……!?」

「ご名答。しかし、それだけではない」


 皇帝が大袈裟に肩をすくめる。


「女神も勿体ないことをしたものだ。魔竜は封印ではなく、使役するべきだったのだ。そうすれば、簡単に他国を攻め滅ぼして、帝国の領土を拡大できたというのに」


 イネスが驚いて顔を青褪めさせた。


「貴方……魔竜を使役して、他国を滅ぼすつもりなの!?」


 皇帝が表情を変えずに返事する。


「昔から、欲しいものは我慢ができないものでね。さあミレイユ、私のために役立っておくれ」

「そうはさせない!」


 ミレイユへと近づく皇帝に、アルベリクが魔力の矢を放つ。

 しかし、標的へ届く前にすべて跳ね返されてしまった。


「どうした、魔力不足か? そんな力で私は倒せないぞ」

「くっ……」


 悔しげに拳を握りしめるアルベリクに、イネスの胸も苦しくなる。

 きっと毎日イネスに多くの魔力を与えてくれていたせいで、魔力の回復が追いついていないのだろう。


「魔法が駄目でも剣がある!」


 アルベリクがおそらく途中で騎士から奪った剣を抜く。

 すると、皇帝は一瞬でイネスの背後に移動して、その細い腕を掴んだ。


「それでは私は、盾を手に入れないとな」


 挑発するように笑う皇帝にアルベリクが怒鳴る。


「イネスを離せ!」

「離せと言われて素直に聞く者がいるか? イネスは私のものだ」


 皇帝がイネスを拘束したまま、女神の涙へと近づく。


「待て! なぜイネスに執着する? 彼女がお前に近づいたのは復讐のためだと分かったはずだろう!?」


 アルベリクの問いかけに、皇帝は足を止めて一度だけ振り返った。


「イネスに執着しているのはお前だろう? 女一人くらい諦めて、次を探せばいい。私には彼女が必要なのだ。ミレイユを使った後の魔力源になってもらわなくてはならないからな」


 皇帝がまた前を向いて歩き始める。

 アルベリクが皇帝のあとを追いかけたが、魔力の盾に阻まれてしまった。


「やめろっ! イネスから魔力を奪ったら、彼女は──」


(わたしはこの身体を保てなくなる……)


 イネスの胸がずきりと痛む。


 しかし、どうせミレイユを救い出した後は、そうなる運命だったのだ。


(それに、皇帝を殺せなかったのも、アルベリク様の魔力が不足しているのも、全部わたしのせい。だから、わたしが責任を取らなくては)


 イネスはごくりと唾を飲み込んで、覚悟を決めた。


 最後に、その瞳にアルベリクの姿を焼きつける。



(アルベリク様、さようなら……)



 皇帝が女神の涙の前に立ち、片手を掲げた。


「さあ、女神の涙よ。魔力と引き換えに我が願いを叶え給え──」


 願いに集中しているせいか、イネスへの注意がわずかに緩んだ。

 イネスが皇帝の手に掴みかかり、指輪に手をかける。


「イネス! 馬鹿なことを……!」


 気づいた皇帝がイネスの手を振り解こうとしたが、イネスは渾身の力を込めてしがみついた。


(皇帝の指輪を外せば、ミレイユ様の魔力は奪われなくなるはず……!)



 ── 持ち主以外が外すと、魔法が発動する仕掛けになっていてね。だから、勝手に外そうとすれば魔法に貫かれて命を落とすことになる



 皇帝の言葉を思い出したが、もうそんなことはどうでもいい。


 イネスが怯むことなく指先の力を強める。


(絶対に指輪を外してみせる……!)


 あと少しで指輪を完全に抜き取れると思ったとき──指輪の魔法が発動し、赤黒い幾つもの光が鞭のようにしなってイネスの胸を貫いた。

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