第46話 決着

 イネスの胸に、何本もの魔法の刃が突き刺さる。

 しかし、イネスの手は止まることなく、皇帝の指輪を抜き取った。


「なぜだ……なぜ落命の魔法が効かない?」


 信じられない出来事を目にして呆然と立ち尽くす皇帝に、イネスが苦しげに微笑む。


「それは、わたしには最初から命が無い・・・・からかもしれないわね」


 "イネス" は人形の身体にジュリエットの魂が宿った存在。

 命を持った人間ではないから、「落命」の魔法も効かなかったのだろう。


 とはいえ、保護魔法をも打ち破るほどの魔法の衝撃に、さすがに平然とはしていられない。

 崩れ落ちるようにして膝をつくと、アルベリクが駆け寄って身体を支えた。


「イネス! 大丈夫か!?」

「はい、なんとか……アルベリク様もご無事でよかったです」

「俺のことなんてどうだっていい。守ってやれなくてすまない……!」


 アルベリクが今にも泣きそうな顔でイネスを抱きしめる。


 目の前で恋人の身体が貫かれたのだ。きっと深い絶望を与えてしまったに違いない。

 申し訳ないと思うものの、今はそれより優先すべきことがある。


「アルベリク様、わたしは死んだりしませんから、今のうちに皇帝を──」


 皇帝を逃がさないよう確保を頼もうとしていると、アルベリクの背後に、懐かしく優美なシルエットが浮かんで見えた。


 その美しい人は、秘宝と同じ黄金色の髪をなびかせながら、一歩一歩たしかな足取りでこちらへと近づいてくる。


(ああ、あのお姿は……)


 ずっと待ち望んでいた大切な人。

 皇帝の指輪を外したことで魔力の収奪が止まり、皇帝が魔力を失ったために眠りの魔法も解けたのだ。


 イネスの瞳に喜びの涙があふれる。


「ミレイユ様……!」


 イネスの声に、アルベリクと皇帝も反応する。


「母上!」

「ミレイユ……!」


 ミレイユは裸足のまま堂々と歩み寄って皇帝に対峙すると、手の平に燃え盛る炎のような魔力を練り上げてみせた。


「クロヴィスお兄様。今までお兄様には大切なものを奪われ続けてきました。ですが、魔力のない貴方などもう恐れる必要はありませんね」

「待て、やめろミレイユ──」


 ミレイユはにこりと微笑むと、もはやなす術のない皇帝に向かって魔法を放った。




◇◇◇




 数日後、イネスは皇都にある辺境伯家の屋敷のベッドで目を覚ました。


 ちょうど近くにいた侍女に、今は何時かと尋ねると、侍女は「お待ちください!」と叫んで部屋から飛び出し、侍女の代わりにアルベリクとミレイユが血相を変えて戻ってきた。


「イネス! 目を覚ましてくれてよかった……」

「イネス……ジュリエット……よく頑張ったわね」


 アルベリクとミレイユがベッドの横にひざまずき、安堵の涙を浮かべている。


「お二人とも、ご心配をおかけして申し訳ありません」

「君が謝る必要なんてない。母を助けられたのも、皇帝の野望を阻止できたのも、すべてイネスのおかげなのだから」

「そうよ、本当にありがとう。ありがとうなんて言葉では足りないくらい、心から感謝しているわ」


 二人から労りと感謝の言葉を贈られて、イネスは恥ずかしそうに微笑んだ。


 それから、あの後どうなったのかを尋ねると、アルベリクがすべてを教えてくれた。


 皇帝はミレイユの魔法によって捕らえられ、今は皇宮の地下牢に拘束されているという。


 イネスは、ミレイユが力を取り戻した後すぐに意識を失ってしまったらしい。

 落命の魔法を受け、魔導人形の身体に穴が空いてしまったせいで、魔力が急激に失われたためだった。


「わたし、よく死にませんでしたね……」

「俺が君を死なせるわけないだろう」


 アルベリクは、皇帝の指輪を使って自分の魔力を常にイネスに流すようにしてくれたらしい。

 穴の空いた身体もすぐに補修してくれ、そのおかげでイネスは無事に目覚めることができたようだった。


「まさかあの指輪に助けられるとは。何が役立つか分からないものだな」

「助けてくださってありがとうございます、アルベリク様」

「君が意識を失ったときは絶望しかなかったが、こうしてまた声が聞けて嬉しい」


 アルベリクが愛おしむようにイネスの手を撫でると、ミレイユがすぐ横で意味深に微笑んだ。


「この子がこんなに愛情表現豊かだとは知らなかったわ。イネスが眠っている間も、ずっと死にそうな顔をしながら看病したり祈りを捧げたりして──」

「……母上、やめてください」

「あら、ごめんなさい、アルベリク」


 親子の仲が垣間見れる会話を聞いて、イネスの顔が綻ぶ。

 そんなイネスの様子に、ミレイユも嬉しそうに目を細めた。


「ねえ、イネス。よかったら貴女も即位式に出席してくれるかしら?」

「即位式、というのは……」


 イネスが金色の瞳をぱちぱちと瞬かせる。


 即位式といえば、新たな皇帝による皇位の継承を宣言する式典。ということは、つまり──。


「ええ、兄クロヴィスは処刑し、私が新たに皇帝として即位するわ」


 ミレイユが落ち着いた表情で返事した。


(クロヴィスが処刑……)


 たしかに、彼には前辺境伯エドガールと侍女ジュリエットを殺害し、前辺境伯夫人ミレイユを監禁した罪がある。それに、私利私欲のために秘宝を悪用し、邪竜の解放を目論んだ罪も。


 皇帝とはいえ、処刑されてもおかしくはない重罪だ。


 自らの手で復讐すると誓ったし、できるならそうしたかった。しかし、法によって裁かれるのが正しい方法なのは間違いない。


(それに……皇帝として暗殺されるより、罪人として処刑されるほうが、おそらく彼にとっては屈辱のはず)


 だからミレイユも、あえて自分で手にかけることなく、処刑という手段を選んだのだろう。今後の治世に混乱をもたらさないよう、正当な方法を取らざるを得なかったということもあるかもしれない。


 イネスがミレイユの目を見つめ返す。


「ミレイユ様なら、きっと素晴らしい皇帝になられると思います。ぜひわたしも即位式に出席させてください」

「ありがとう、イネスが見ていてくれるなら心強いわ」




◇◇◇




 そして、一週間後。


 前皇帝クロヴィスの処刑が執行され、新皇帝の即位式が行われた。

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