第43話 作戦の行方
「約束どおり、私が贈った髪飾りをつけてきてくれたのだな」
向かいの椅子に腰掛けた皇帝が、イネスの髪に光る高価な髪飾りに目を留める。ミレイユに会わせてもらった日に無理やり押しつけられた髪飾りだ。
「もちろんです。とても気に入っています」
「イネスには、青より赤が似合う」
あからさまにアルベリクを下げるような言葉に苛立ちを覚えるが、曖昧に微笑んで誤魔化した。
今の自分は、恋人がいながらも皇帝に惹かれている令嬢を演じなければならない。これは皇帝の油断を誘うための作戦だ。
(アルベリク様に罪悪感を抱きながらも、想いを止められない苦しい立場──)
なかなか難しい役どころだが、これはそのままアルベリクへの気持ちに置き換えれば、自然に演じられる気がした。
自分は人形なのだから恋など許されないと思うのに、募る気持ちを抑えられない罪悪感。
アルベリクの姿を想像すれば、恋する乙女の表情など、何の苦労もなく浮かべることができる。
(……アルベリク様のほうは何事もなく順調にいっているかしら)
別行動を取っているアルベリクのことを思い浮かべたとき。
突然、パーン、と何かが破裂するような音が響いた。
「今の音はもしかして……」
「ああ、祝いの花火だ」
皇帝とともに夜空を見上げれば、赤い満月の隣で大輪の花火がいくつも上がっている。
(花火が始まったということは、そろそろね)
生誕祭では毎年、花火が打ち上げられる。
大きな音と美しい彩りで騎士たちの警戒も鈍るその時間帯に、ミレイユの部屋のある棟に忍び込む。
そうアルベリクは言っていた。
(アルベリク様なら、きっとミレイユ様のところへ辿り着けるはず。わたしも上手くやらなくては……)
「クロヴィス陛下」
イネスがワイングラスを片手に小首を傾げ、皇帝を名を呼ぶ。
「どうした、イネス?」
足を組んで花火を見上げていた皇帝が、イネスへと視線を移した。
「せっかくの綺麗な花火ですから、乾杯しませんか? お先に少し頂いてしまいましたが……」
酒精が回ったふりをして艶っぽい微笑みを浮かべてみせれば、皇帝が足を組み替えてイネスのほうへと身体を向けた。
「そんなに飲んでいいのか? 酔いつぶれて歩けなくなっても知らないぞ」
「もしそうなってしまったら、陛下が抱えて運んでくださいませんか?」
「もちろん構わないが……アルベリクの元へ返すとは限らないかもしれんな」
皇帝が意味深に口もとを歪める。
イネスは少しだけ睫毛を伏せて、小さくうなずいた。
「……それでも、構いません」
皇帝が満足そうに笑う。
それからワインボトルを手に取って、二つのグラスに真紅の液体を注いだ。
「では、二人のこれからに乾杯しよう」
「はい、クロヴィス陛下」
イネスがうっとりと目を細めてグラスをかかげる。
待ち望んだ時が、ついにやって来た。
(……さあ、ワインに口をつけるのよ。そうすれば貴方は……)
──ワインに混ぜた毒によって、命を落とす。
ブリジットがイネスを酔わせようとグラスにワインを入れて去ったあと、イネスはボトルのほうに致死性の毒を混ぜておいた。
体力で勝る相手の命を奪うには、毒を使うのが最善の方法だ。
異変に気づいたときには、もう手遅れ。
焼けるような痛みに苦しみながら、死へと向かうことになるだろう。
これはエドガールのため、そしてジュリエットのための復讐であり、ミレイユを助けるための手段だった。
(ミレイユ様と皇帝を繋ぐ指輪は本人以外には外せない。でも、皇帝が命を失えば……)
ミレイユにかけられた眠りの魔法は、魔法陣によるものではなかった。だから、魔法をかけた人物が亡くなれば、魔法は解ける。
つまり、皇帝を殺せばミレイユは眠りから完全に目覚め、魔力を奪う指輪を外すことができる。
(そして、『女神の涙』も使われずに済むわ)
皇家の秘宝だという『女神の涙』。
皇帝は自らの魔力を犠牲にして秘宝を使い、若返りを果たした。
今度はミレイユの魔力を贄にして、再び女神の涙を使おうとしているようだが、皇帝のこれまでの行いを振り返れば、私利私欲にまみれた願いを叶えようとするに決まっている。
一度目の願いの対象は皇帝自身だったが、次もそうとは限らない。
もし、帝国を危険にさらす願いを叶えようとしていたら……?
(皇帝が女神の涙に魔力を捧げる前に、必ずここで亡き者にしなくてはいけないわ──)
皇帝がグラスを傾けて口に運ぶ。
不自然に思われないよう、イネスも同じくグラスを傾け、ひと口飲んだ。
高級ワインの芳醇な香りと味が口の中に広がる。
まさか毒が混ざっているとは思えない味わいだ。
(わたしは人形だから毒を飲んでも効かない。でも、貴方は若返ったとはいえ生身の人間。すぐに毒の効果が現れるはずよ)
イネスが見つめる先で皇帝が口もとに手を当てた。
「──やはりおかしいな」
「どうかなさいましたか?」
何も気づいていないふりをして、イネスが問う。
「イネスはワインを飲んでも何ともないのか?」
「はい、特に何もありませんが……」
毒が効いてきたのかもしれない。
作戦の成功を喜ぶ気持ちを抑えながら、心配そうに皇帝の顔を覗きこむ。
「まさか、ワインに何かおかしなものでも……?」
白々しいとは思いながらもイネスが尋ねると、皇帝が不思議そうに首を傾げた。
「ああ、睡眠薬を入れておいたはずなのだが、効いていないようだな」
「えっ……睡眠薬?」
「そなたのことは気に入っているから、気分良く眠ってもらおうと思ったのだが。薬が足りなかったのかもしれないな」
ワインの入ったグラスを皇帝が揺らしてみせた。
花火の明かりが反射してきらりと光る。
(待って、皇帝もワインに薬を混ぜていたの……? ということは、皇帝はワインを飲むふりをしただけで、口をつけてはいない──?)
焦るイネスの目の前で、皇帝が指輪をつけた手をかざした。
「仕方がない。私がこの手で眠らせてやろう。さあ、おやすみ、イネス」
「いや……っ!」
皇帝の手の平から赤い魔力が放たれる。
そして、あの日、ミレイユの意識が奪われたときと同じように、イネスはたちまち深い眠りへと落とされたのだった。
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