第39話 生誕祭のはじまり

 生誕祭の会場となる広間は、隅々に至るまで美しく豪華に飾り立てられ、さすが帝国皇帝の生誕を祝う宴と言うほかなかった。


 令嬢たちもみな華やかに着飾っており、皇帝の気を引くためか、胸元まで露わになった衣装が目立っていた。


 イネスがそっとドレスの胸元に手を当てる。


(この衣装、失敗だったかしら……)


 今夜のイネスのドレスは、胸元がしっかりと隠れている。


 それでもイネスの髪や瞳の色に合った素敵な衣装だと思っていたが、こうして他の令嬢たちの装いと比べると、だいぶ地味だったのではないかと思えてくる。


「……わたしももっと胸元があいたドレスにしたほうがよかったでしょうか」


 何気なくアルベリクに尋ねてみると、グラスの水を口にしようとしていたアルベリクが勢いよく咳き込んだ。


「な、何を言っているんだ……!」

「ですが、これでは皇帝の気を引くのに足りなかったかと思いまして」

「奴のためにそこまでしてやる必要はない!」

「でも、もし注意を引きつけられなかったらと思うと不安で……」


 自分のせいで計画が上手くいかないかもしれない。

 そう考えると、他の令嬢たちの衣装もあらかじめ把握しておくのだったと後悔が押し寄せてくる。


 今からでも着替えるべきかと悩んでいると、アルベリクにつんと眉間を押された。


「大丈夫だ。この会場で君が一番魅力的だ。俺が保証する」

「本当ですか……?」

「もちろんだ。誰も彼もが過剰に肌を出している中で、慎ましいドレスをまとったイネスはかえって引き立って見えると思う。…………それも困りものだが」


 アルベリクは何かを想像して一瞬顔をしかめたあと、イネスの手を取ってキスをした。


「──だから、君は自信を持ってくれ。他の令嬢など目じゃない」

「ありがとうございます。おかげで、大丈夫な気がしてきました」


 自信を取り戻したイネスが頬を染めて微笑むと、アルベリクが額を押さえて溜息をついた。


「……今夜だけだ、あと数時間だけ耐えるんだ。一刻も早く母を助け出し、イネスを連れ帰る……」


 何やらぶつぶつと呟いているが、おそらくミレイユ奪還の決意を新たにしているのだろう。

 そう思いながらアルベリクを見つめていると、広間の奥の階段のほうから、ラッパを吹き鳴らすような音が聞こえてきた。



「ラングロワ帝国皇帝、クロヴィス陛下のご入場でございます!」



 参加者たちの視線が一気に集まる中、分厚い扉が開き、奥から皇帝が姿を現す。


 赤と金を基調とした煌びやかな衣装に身を包み、実年齢にそぐわない若々しい顔には余裕の笑みが浮かんでいる。


「今宵は私のためにつどってくれて感謝する。ぜひ宴を楽しんでくれ」


 皇帝が簡単な挨拶を述べると、周囲の令嬢たちから溜息混じりの黄色い声があがった。


「なんて美しいお方なの……」

「神々しくて、自信に溢れていて……」

「ああ、陛下がわたくしを選んでくださったら──」


 何も知らない令嬢たちからすれば、皇帝は見目麗しく堂々とした、この国の最高権力者という魅力的な男性でしかないのだろう。


 その中身は、冷酷で欲望にまみれた、身勝手な男でしかないのに。


 イネスが狙いを定めるように階段上の皇帝を見つめていると、すぐにその赤い瞳が向けられるのを感じた。

 そうして、イネスを映した紅玉のような瞳が親しげに細められる。


「……やはり、奴は君に興味があるようだな」


 アルベリクが不快そうに呟く。


「そのようですね。ですが、こちらにとっては好都合です」


 イネスに興味を持ってくれているのなら、それを上手く利用するだけだ。


 イネスは皇帝に向かってしとやかに微笑み返す。


「たしかに、奴の注意を引きつけることが計画のかなめだが、危険を感じたらすぐに身を引くんだ。君に何かあったら、たとえ母を助けられたとしても喜べない」

「分かりました。無理をして踏み込みすぎないようにします」

「ああ、そうしてほしい。……では、祝う気など全くないが、奴に挨拶しに行くか」


 アルベリクは手にしていたグラスを給仕に下げさせると、イネスをエスコートして皇帝の元へと向かった。




◇◇◇




「伯父上、本日はおめでとうございます」

「陛下、おめでとうございます」


 アルベリクとイネスが揃って祝いの言葉を伝えると、皇帝は人のよさそうな笑みを返して歓迎した。


「アルベリク、イネス、よく来てくれた」

「いえ、ご招待いただきありがとうございます」

「なに、お前は甥なのだから当然だろう。イネスにも祝ってもらえて嬉しいよ」


 皇帝がイネスに視線を移す。


「こちらこそ、今日というき日をお祝いできて嬉しく思います」


 心にもない台詞を吐きながら、一番上品に見える笑顔を作ってみせる。


 どうしてだろう。アルベリク相手だと嘘をひとつ吐こうとするだけで胸が苦しくなるのに、皇帝に対しては何の罪悪感も抱かずに嘘ばかりを並べられる。


 優美な笑顔を保ちながら皇帝を見つめていると、彼が「そうだ」と何か思いついたように口にした。


「このあとのダンスで、イネスに私の相手を務めてもらえるだろうか。これまでは令嬢たちに下手な期待をさせないためにもダンスは遠慮していたのだが、イネスなら身内のようなものだしいいだろう? 久しぶりに踊ってみたい」


 イネスにとっては想定内の展開だが、戸惑うふりをしてアルベリクを見上げる。


 アルベリクは少し悩むふりをしながらも快諾かいだくして……という予定だったが、その眉間には明らかに深いしわが寄っている。


「アルベリク、今宵だけは伯父を立ててくれないか?」


 皇帝がどこか愉快そうにアルベリクに問いかける。

 アルベリクは何かを我慢するように一度嘆息すると、含みのある笑みを浮かべて了承した。


「もちろんです。伯父上が踊られれば、生誕祭も盛り上がるでしょう」

「ありがとう、お前は出来た甥だ」

「……いえ。では伯父上、挨拶をしたがっている貴族たちが大勢待っているようなので、俺たちは失礼します」

「ああ。ではイネス、またダンスの時間に」

「ええ、陛下。楽しみにしております」


 皇帝のもとを去ったあと、柱の陰でアルベリクが悔しそうにイネスに謝った。


「すまない、自分はもっと冷静な性格だと思っていたのに、想像以上に我慢がきかなかった」


 おそらく、先ほどの皇帝への態度のことを言っているのだろう。


 たしかに計画とは違ってやや反抗的だったことに驚いたが、皇帝の反応は案外悪くはなかった。悪趣味な皇帝のことだから、苛立つアルベリクを見て楽しんでいるのかもしれない。


「でも、もしかすると、さっきの方向性のほうが効果的かもしれません」

「なら、あえて不快感を隠す必要もないということだな」

「えっと、程度次第だとは思いますが……」


 広間の様子をうかがいながらひそひそと話していると、貴族たちの視線が集まるのを感じ、イネスは口もとを押さえた。


(あの人たち、陛下側の見張りかしら……)


 小声で話しているし、ミレイユのことは口にしていないから大丈夫だとは思うが、用心するに越したことはない。


 すると、アルベリクが突然イネスの手を引いた。


「行こう。ここは危険が多すぎる」

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