第38話 そういうことにしておこう
瞬く間に時は過ぎ、いよいよ生誕祭当日となった。
イネスが生誕祭のためのドレスにちょうど着替え終わった頃、アルベリクが迎えにやって来た。
「──イネス、綺麗だ」
アルベリクの瞳が、何か眩しいものを見るかのように細められる。
金糸の刺繍で彩られた純白のドレスをまとったイネスは、まさに女神のように美しかった。
「……ありがとうございます。アルベリク様もよくお似合いです」
イネス同様、生誕祭に相応しい装いに着飾ったアルベリクの姿は凛々しく、イネスの瞳も思わず釘付けになってしまう。
(今夜はミレイユ様救出のための大事な夜なのだから、浮かれていたらいけないわ……!)
そう自分を
「イネス……」
アルベリクがイネスの手を絡めとり、もう片方の手でイネスの頬に触れる。
「皇帝の元へなど連れて行きたくないな。このまま屋敷に閉じ込めておきたい」
「アルベリク様……。お気持ちは嬉しいですが、それでは本末転倒です」
「ああ、分かってはいるんだが……やはりイネスを危険に
アルベリクの言葉は素直に嬉しい。
気遣われ、大切に扱ってもらえることを幸せに感じるし、彼と平穏に過ごせたらどれだけいいだろうと思う。
でも、それはやはりミレイユの無事があってこそなのだ。
ミレイユを救出し、皇帝に罪を償わせなければ、本当の幸せは得られない。
それに、そもそも自分が人形として蘇ったのは、二度目の人生を楽しむためではない。
ジュリエットとして果たせなかったことを果たすためだ。
イネスがアルベリクの手を握り返す。
「危険があっても、必ず回避してみせます。それに、わたしだってアルベリク様が危険な目に遭わないか心配です。あと、綺麗なご令嬢が近づいてきてしまうのだろうなというのも……」
「イネス以外の令嬢など何とも思わない。俺にとっては、君だけが特別だ」
「……わたしも、この胸が高鳴るのはアルベリク様だけです」
そう本心を伝えると、アルベリクが苦しげに吐息をこぼした。
「イネスは危険だな」
「えっ?」
「男心を煽りすぎる」
「ええっ?」
アルベリクの涼しげな青い瞳から、じりじりとした熱を感じる。
「口づけてもいいだろうか、君の唇に」
「そ、それは、魔力の供給でしょうか……?」
「そうだな、そういうことにしておこう」
アルベリクの整った顔がゆっくりと近づき、鼻先が触れ合った。
「イネス……」
名前を呼ぶ甘い声。顔にかかる吐息。
恥ずかしくなって思わず目を瞑ると、唇が優しく塞がれるのを感じた。
(アルベリク様……)
触れ合っている場所から、温かな魔力が入ってくるのを感じる。
手にキスされていたときよりも、もっと速く、身体中に魔力が満たされていく。
でも、こんなに身体が熱くなるのは、魔力の熱のせいだけなのだろうか。
頭までのぼせてしまうようで、今にも倒れそうなのに、魔力が絶え間なく流れてくるおかげで意識が途切れることはない。
足に少し力が入らないが、アルベリクがしっかりと支えてくれている。
(口づけって、こんなに幸せなのね……)
そうして、互いに触れ合ったまま、どれくらいの時が経っただろうか。
やがて、二人の唇が名残惜しげに離れると、アルベリクがイネスの身体を抱きしめた。
「君が好きだ、イネス。今夜、母を助け出したら、必ず君を生かす方法を見つけ出す。たとえ俺の寿命を差し出してでも」
「アルベリク様……」
彼に寿命を差し出す真似などさせるわけにはいかない。
けれど、そこまで思ってくれることが、泣きそうなくらいに嬉しかった。
「わたしも、あなたが好きです。アルベリク様……」
アルベリクの広い胸に、イネスが頬を寄せた。
◇◇◇
「さあ、到着だ」
アルベリクが差し伸べた手を取り、イネスが馬車から降り立つ。
見上げた先にそびえるのは白亜の王城。
赤みがかった満月が照らすこの城に、皇帝クロヴィス、そしてミレイユが待っている。
「緊張しているか?」
「いいえ、覚悟を決めてきましたので」
「すまない、本来なら俺がすべきことなのに……」
「いえ、これはわたしの望みでもありますから。お任せください」
にこりと笑って返事をすると、アルベリクがふっと表情を緩めた。
「君は優しいだけじゃなく、強い人だな」
「ふふ、二度目の人生ですもの。さあ行きましょう、アルベリク様」
「……ああ、行こうか、イネス」
カツンとヒールを鳴らし、イネスは決戦の舞台へと足を踏み出した。
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