第40話 君じゃなければ
「アルベリク様、どちらへ……」
イネスの手を引きながら足早に突き進むアルベリクについていくと、大きな窓から外へと抜け、庭園の噴水の前に出た。
美しい造形の彫刻から噴き出す水が、月明かりを浴びてきらきらと輝いている。
「ここなら会話も聞かれないだろうし、ちょうどいいだろう」
アルベリクが言うのを聞いて、イネスがハッと辺りをうかがう。
「では、やっぱりさっきの貴族たちは皇帝側の監視だったのですね」
「監視?」
アルベリクから不思議そうに聞き返され、イネスもきょとんとした表情を浮かべる。
「えっ……先ほど広間でわたしたちの様子を探られていたから、監視を撒くためにこちらへ来たのではないのですか?」
「いや、違う。奴らは監視役ではない」
アルベリクにきっぱりと否定され、イネスが驚く。
では、彼らは一体何者だったのだろう。
首を傾げるイネスを、アルベリクが心配そうに見つめる。
「あれはどう見ても、イネスにアプローチしようとする不届者たちだっただろう」
「えっ」
「全員、のぼせ上がったような顔をして君を見ていた」
「そ、そうだったのですか……?」
まったく気づいていなかったイネスが目を丸くする。
やたらと
「では、特に見張りはついていないということですか?」
「今のところはそのようだな。ただ、本人が見ているみたいだが」
アルベリクに教えられ、目の端で広間を確認すると、たしかに皇帝がこちらに顔を向けているようだった。
「本当はもう少し警備の状況も確かめたかったんだが、まあここに来るまでに多少は確認できたからいいだろう」
「あ、その目的もあったのですね」
「俺も嫉妬ばかりしているわけじゃない」
アルベリクが苦笑した。
「だが、本当に君を変な目で見てくる奴らが多すぎて
アルベリクが不満げに吐き捨てる。
「……アルベリク様は、わたしの中身を気に入ってくださっているということですか?」
今の言葉はイネスにはそう聞こえたが、本当だろうか。
自分には
緊張しながら返事を待つイネスに、アルベリクが優しく答えた。
「そうに決まっているだろう。君がジュリエットのときにもっと話がしたかったし、この身体に入っているのが君じゃなければ、こんなに葛藤することもなかった」
アルベリクの言葉がすっと胸に沁み込んできて、嬉しさが込み上げてくる。
つい甘えてしまいたい気持ちになって、質問を重ねる。
「では、わたしの容姿が地味になってしまっても、嫌わないでいてくれますか?」
「もちろん。むしろそのほうが余計な虫が湧いてこなくて安心できそうだ」
「では、わたしが男の人の姿になってしまったら?」
「男……それは……なかなか難しいが……中身が君なら……」
ひどく悩んでいるアルベリクの様子を見て、イネスが楽しそうに笑った。
「すみません、困らせるようなことを言ってしまいました。そろそろ広間へ戻りましょう。ダンスの時間が始まる前に戻らないと」
「そうだな、計画どおりに進めなければ」
アルベリクがイネスの手を取り、口づけを落とした。
「さあ、行こうか」
◇◇◇
広間に戻ると、まもなくダンスの時間の始まりを告げる前奏曲が聞こえてきた。
皇帝が広間の中央に進み出ると、貴族たち──特に令嬢たちが
「えっ、陛下がダンスをなさるの!?」
「今年も誰とも踊られないと思っていたのに……」
「パートナーは誰かしら。まだ決まっていないならわたくしが……!」
もしかしたら自分がパートナーに選ばれるかもしれないと一様に色めき立つが、皇帝は彼女たちに視線を向けることはなく、真っ直ぐイネスのもとへとやって来た。
「さあ、イネス。私のパートナーをお願いできるかな」
「もちろんでございます、皇帝陛下」
イネスが皇帝の手を取り、エスコートされるまま広間の中央へと向かう。
広間にいる全員の視線が注がれる中、互いにゆっくりと向かい合うと、皇宮の楽団がファーストダンスの曲を奏で始めた。
アルベリクと何度も練習を重ねた曲だから、自信を持って踊ることができる。
音楽に身を委ね、優雅に、軽やかにステップを踏むと、ダンスを見守る貴族たちから溜息が漏れるのが聞こえた。
皇帝が赤い瞳を細める。
「イネス。そなたは本当に女神のような美しさだな」
「もったいないお言葉です、皇帝陛下」
イネスが恥じらうように瞳を伏せ、口もとに美しい弧を描いてみせると、皇帝が耳元で囁くように言った。
「名前で呼んでほしいと言ったではないか」
アルベリクに囁かれたら、きっとまた胸が高鳴るのだろうが、今は気分の悪さに倒れてしまいそうだ。
しかし、そんな様子はおくびにも出さず、はにかむような笑みを浮かべて囁き返す。
「今は二人きりではありませんので……」
皇帝はイネスの返事を聞くと、愉快そうに薄い唇を引き上げた。
「そうだな。では、二人きりになったら名を呼んでくれるか?」
「はい、そのときは……」
思わせぶりに返事をし、微笑みながらダンスを続ける。
やがて曲が終わりを迎え、互いにステップを踏んでいた足を止めると、皇帝がイネスの手に口づけを落とした。
「では、またあとで」
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