第34話 唯一の手がかり
アルベリクの仕事が終わって、約束どおり一緒に庭園を散歩していたときのこと。
急に倒れたら大変だからと手を繋ぐアルベリクに密かに胸を高鳴らせていると、また魔力切れのふらつきを起こし、アルベリクが慌ててイネスを抱きとめた。
「イネス、大丈夫か!? 今、魔力をわける」
「すみません……」
アルベリクに抱えられ、近くの東屋へと連れていかれる。ベンチにそっと横たえられ、朦朧とする意識の中で、左の手の平に柔らかく温かな感触を覚えた。
それからしばらくして、ようやく頭がはっきりしてきたイネスがベンチから身体を起こす。
「アルベリク様、ありがとうございました。もう大丈夫です」
「本当か? 無理はしていないだろうな」
「本当に大丈夫です。ほら、きっと顔色も戻っているでしょう?」
アルベリクはイネスの顔色を確かめ、頬に熱が戻っているのを認めると、額を押さえて深い溜息をついた。
「……無事でよかったが、もう君が意識を失いそうになる姿は見たくない」
イネスの意識は回復したというのに、アルベリクの顔は浮かない。
先ほど口づけたイネスの左手を自らの両手に閉じ込め、苦しげに呟いた。
「──魔力の消費が早すぎる」
たしかに、アルベリクの仕事が終わったあとに一度、魔力を供給してもらったはずだ。
それなのに庭を歩いただけで倒れそうになってしまうのは、いくらなんでも早すぎるように思えた。
「もうわずかな時間さえ、君から目を離すのが恐ろしい」
アルベリクが握る手に力がこもる。
せっかくアルベリクに笑顔が戻ったと思ったのに、また辛そうな顔に逆戻りしてしまった。
(わたしのせいだわ。アルベリク様の不安をなくせるなら、何だってするのに……)
◇◇◇
(──でも、やっぱりこれは無理だったかもしれない……!)
アルベリクの不安をなくせるなら何だってする。
たしかに、そう思った。
しかし、さすがにこれは断るべきだったかもしれないと、イネスは後悔し始めていた。
「どうした、イネス? 俺のことは気にせず眠ってくれ」
「いえ、そう言われましても……」
この状況で気にせずにいるのは無理というものだ。
なぜなら今、深夜の時間に、アルベリクがイネスの寝室を訪れ、このまま一晩を明かすと言うからだ。
やや寛いだ服を着てきた彼は、ベッドの脇に腰掛けて長い足を組み、さっそく持参してきた本を広げている。
(夜中にわたしが意識を失って二度と戻れなくなってしまったらって、アルベリク様があまりに心配なさるから承諾してしまったけれど……)
すぐ横にアルベリクがいるのに、のんきに眠れるはずもない。
いつもなら、とっくに眠気がやってくる時間だったが、今夜はいつまで経っても寝られそうになかった。
「あの……わたしもまだ目が冴えているので、もう少し起きています」
とりあえず、そう言い訳して、眠るのは後回しにすることにした。ベッドから体を起こし、アルベリクが読んでいた本を覗きこむ。
「何の本を読まれているのですか? だいぶ古そうに見えますが……」
ぺらりとめくられる
年代物の書物なのだろうかと思っていると、アルベリクが本の中身を見せてくれた。
「これは百年前の辺境伯家当主の日記だ」
「……と言いますと、この身体──魔導人形を作らせたという例の……?」
「そうだ」
アルベリクは念のため、当時の辺境伯の日記── ちょうど彼が娘に似せて作った魔導人形と暮らし始めた頃の記録を一冊だけ屋敷から持ち出してきたらしい。
そして、イネスにわけた魔力がすぐになくなってしまう問題の手がかりが記されていないか、探しているのだという。
「お忙しいのにそんなことまで……。本当にありがとうございます」
「これくらい、大したことじゃない。君を失わないためなら何でもする」
アルベリクが微笑みながら、イネスの髪に口づける。
また、魔力を供給するわけでもない、ただの口づけ。
イネスのためなら何でもするという言葉。
それはまるで、大切な人のために尽くしたいという愛情の表れのようで……。
「わ、わたしも何か本を持ってまいります……!」
イネスは堪らず、アルベリクから逃げ出してしまった。
(そんなわけないわ。アルベリク様はきっと頻繁に魔力供給してくださるせいで、キスするのが癖になっているのよ)
火照った顔を冷まそうと頬に手を当てながら、本棚にずらりと並ぶ背表紙の文字を目で追いかける。
詩集に花言葉の辞典に、王道の恋物語。
ここにはアルベリクの部屋の蔵書とは違い、イネスの好きな本ばかりが揃っている。
しかし、今は読みたい本がまったく分からなかった。
アルベリクのことで頭がいっぱいになっているせいかもしれない。
(もう、この本でいいわ……!)
すぐ目の前にあった紺色の表紙の本を手に取って踵を返す。
ちらりとアルベリクに目を向けると、真剣な表情で日記の頁をめくっているのが見えた。
毎日多忙なのだから、夜はゆっくり休んでほしい。
自分のために時間を割かせてしまうことが申し訳ない。
そう思うのに、同時に嬉しいとも思ってしまう。
(……わたし、重症だわ)
せっかく冷ました顔がまた熱くなってきてしまった。
本を読むふりをして隠さなくてはと思っていると、アルベリクが日記に走らせていた目を大きく見開いてイネスを呼んだ。
「イネス、手がかりを見つけたかもしれない」
「本当ですか! 一体どんなことが──」
アルベリクに駆け寄ったイネスの腕から、紺色の本が滑り落ちる。
そのままイネスの身体も大きく傾いて、床へと倒れ込んだ。
「イネス!?」
アルベリクの叫び声が聞こえる。
(どうして……わたし、また倒れて……)
薄れゆく視界に、アルベリクの泣きそうな顔が映った気がした。
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