第29話 生誕、黄金の石

 皇帝の生誕祭はちょうど一週間後。

 毎年、大勢の貴族たちが招待され、皇宮の大広間で盛大なパーティーが開かれるらしい。


「アルベリク様は皇帝の生誕祭に参加されたことはあるのですか?」

「ああ。とは言っても、かなり昔に一度きりだが」

「一度だけ? 意外です」


 一応、皇帝の甥という立場であるし、毎年とは言わずとももう少し頻繁に参加しているかと思ったが、そうではないらしい。


 でもたしかに、ミレイユの専属侍女だったときのことを思い返すと、ミレイユもエドガールも皇帝の生誕祭に出かけたことはなかった。


「母は皇帝のことがあまり好きではなかったようだから、付き合いもそんなになかったんだ。それに、皇帝の誕生日ということは、母の誕生日でもある。母は皇帝の生誕祭に出席するより、辺境伯領で家族や気心の知れた人たちから誕生日を祝ってもらいたかったんだろう」


 そういえば、皇帝とミレイユは双子の兄妹だから、誕生日が同じだ。


 あの傲慢な皇帝と優しいミレイユが双子というのが、未だに信じられないけれど。


「そういうことでしたか……。もしかしたら、ミレイユ様は皇帝の本性を知っていて、あえて避けていたのかもしれないですね」


 それを悟ってか、皇帝はエドガールへの叙勲を名目にミレイユを呼び出したのだ。

 本当に卑劣な男だ。


「ああ。父への叙勲が理由でなければ、進んで皇都になど行かなかっただろう。俺ももっと早く留学を終えていれば……」


 アルベリクが自責するかのように、唇を噛む。


「アルベリク様は何も悪くなどありません。あまり気に病みすぎないでください」

「……すまない。後悔しても仕方ないな。もっと実のある話をしよう。母の言っていた言葉は『生誕』と『黄金の石』だったな?」

「はい、そうです」


 イネスがうなずく。

 あまりにもか細い声だったが、ミレイユが懸命に伝えようとしてくれた言葉を聞き漏らす訳がない。聞き取った言葉には自信があった。


「黄金の石というのは何かの宝石のことでしょうか」

「宝石か……。可能性は高いが、皇宮には装飾品に宝物に、何かと宝石のついたものが多いだろうから特定が難しそうだな」

「そうですね。それに、宝石ならシトリンだとか宝石の名前を言うはずですよね……。となると、普通の宝石ではない、特別な石なのでしょうか」


 イネスが頭をひねって考えようとすると、アルベリクが「そうか……」と呟いた。


「"特別な黄金の石" があった」


 強い確信があるようで、アルベリクの表情に自信の色が浮かぶ。


「皇宮の秘宝に『女神の涙』があったはずだ。それに違いない」

「女神の涙、ですか?」

「ああ、女神がこぼした涙からできたと言われている金色の結晶石だ。俺は直系ではないから、秘宝について詳しくは知らないが、初代皇帝の頃から皇家の秘宝として代々伝わっているらしい」


 アルベリクの説明を聞いて、イネスも過去の記憶との一致に気がつく。


「たしかミレイユ様が魔力を奪われたときも、皇帝に向かって『皇家の秘宝を使ったのか』とおっしゃっていました」


 あのときは、皇家の秘宝が何なのか分からなかったからピンと来なかったが、秘宝が黄金の石であるなら、ミレイユは『女神の涙』のことを言っていたに違いない。


「もしかすると、皇帝は生誕祭の日にまた秘宝を使うつもりなのかもしれない」


 ミレイユの言葉を思い出すに、女神の涙を使うには、すべての魔力を犠牲にする必要があったはずだ。


「つまり、皇帝はミレイユ様の魔力をすべて使おうと……?」

「おそらくそうだろう。そして、母の言った『生誕』という言葉は、皇帝が女神の涙を使う日を指しているはずだ」

「どういうことですか?」

「生誕祭の夜はちょうど満月だろう。魔力は自身の誕生日と、満月が一番高い位置に来るときに最も高まる。だから、その条件が重なる生誕祭の真夜中に、母の魔力をすべて奪って使おうとしているはずだ」


 アルベリクの説明に、イネスは得心した。

 ミレイユは、皇帝の計画を伝えようとしてくれていたのだ。


「……では、真夜中を迎える前に、ミレイユ様を助け出さなくてはならないということですね」

「そのとおりだ」

 

 救出までに掛けられる時間はかなり限られそうだが、そんなことで怯んではいられない。


 こちらも充分な計画を練り、たとえ状況が急変したとしても対応できるようにしなくては。


「アルベリク様、必ずミレイユ様を助け出しましょう」




◇◇◇




「生誕祭まで、あと一週間……」


 部屋のバルコニーで夜空を見上げながら、イネスがぽつりと呟く。


 ミレイユを救出するための千載一遇の機会だと思うと気持ちが昂ぶるが、その一方で、ほんのわずかに、切ない感傷も覚えてしまう。


 もし、生誕祭で無事にミレイユを助け出し、復讐を果たすことができたら……。


(わたしはもう、「イネス」でいる必要がなくなる──)


 アルベリクには、彼がイネスを必要とする限りそばにいると伝えたが、きっとミレイユが戻ってくれば、イネスを求める気持ちは薄まるはずだ。


 そうなったら、自分はこの身体を手放さなくてはならない。


 イネスの身体が人形だと知ったとき、救出と復讐という二つの願いを叶えられれば、喜んでこの身体と別れられると思っていた。


 イネスの身体は、いわば魂の借りの宿。

 ジュリエットとしての未練や後悔を解消できたら、留まっている理由もないと。



 ……でも今は、そうできる自信があまりない。


 このまま「人形イネス」としては生きられないし、今度こそ天に還るべきだと分かっている。

 なのに、後ろ髪を引かれるような、新たな未練が生まれてしまった気がする。


 それは、これからもアルベリクをそばで支えたいという、忠誠心に似た気持ち。


 しかし、イネスでいるためには魔力が必要になるため、かえって彼に負担をかけることになってしまう。それは本意ではない。


 二つの矛盾した気持ちが、互いに譲らず、いつまでも頭の中をぐるぐると回っているのを感じる。


(わたし、いつのまにか欲張りになってしまったのかしら……)


 綺麗な女性の姿に変わって、見目麗しいアルベリクが優しく接してくれる。

 ジュリエットのときには経験しえなかった幸運に、たぶんどこか浮かれている。


 本来なら、今のこの立場は、自分に相応しいものではないというのに。

 すべてを終えたあとも、この生活を続けられたらと思ってしまっている。


(アルベリク様のためを思うなら、当初の予定どおり、すべてが済んだら消えるべき。それは分かっているわ。だけど……)


 少しだけ、夢見てもいいだろうか。


 ミレイユを助け出し、復讐を終えたあとも、大切なアルベリクともう少しだけ一緒に過ごしたい。


 自分は復讐のために蘇らせられた存在。

 そのこと以外に我儘を言えるような立場ではない。

 でも、少しだけでいい。ほんのわずかでも構わないから……。


(どうか、人形のわたしにも夢を見させてください──)


 薄雲の陰から上弦の月が顔をのぞかせる。

 ひっそりと夜空を照らすその月に、イネスは両手を組んで祈りを捧げた。

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