第27話 交差する思惑

「持ち主以外が外すと、魔法が発動する仕掛けになっていてね。だから、勝手に外そうとすれば魔法に貫かれて命を落とすことになる」


 まるで脅しをかけるような笑みに、イネスはごくりと唾を飲み込む。


 これも指輪を外させないための嘘なのかもしれない。

 しかし、もし本当だったらと思うと、指輪に触れるのが恐ろしくなってしまった。


「……他人様の指輪を勝手に外したりなんてしませんわ」

「もちろん信じているとも」


 皇帝の赤い瞳がイネスを見下ろす。

 ミレイユの瞳と同じ色なのに、彼に見つめられると闇に取り込まれてしまいそうに感じる。


 イネスはパッと目を逸らすと、明るい声で話題を変えた。


「そういえば、先ほどわたしに渡したいものがあるとおっしゃっていましたね。何を持ってきてくださったのですか?」

「ああ、これだよ。この髪飾りをそなたに贈りたくて」


 皇帝が懐から金色の髪飾りを取り出す。

 凝った意匠の中央には大きなルビーがはめ込まれ、鮮やかな赤い輝きを放っていた。


「これをわたしに……?」

「そなたに似合うと思ってな」


 皇帝は余裕の表情で微笑むと、イネスの髪からサファイアのついた髪飾りをするりと抜き取り、代わりにルビーの髪飾りを差した。


「思ったとおりだ。こちらのほうがずっといい」


 皇帝の口元が愉快そうに歪む。

 イネスは彼の意図を悟った。


(わたしがアルベリク様に髪飾りを頂いたと言ったから、わざわざ別の髪飾りを贈ろうとしているのね)


 何が狙いかは不明だが、おそらく皇帝はアルベリクからイネスを奪おうとしている。


 両親を奪っただけでは飽き足らず、「恋人」にまで手を出そうとするなど、やはり皇帝は人の心を持ち合わせていないようだ。


(でも、そっちがその気なら、わたしもそれを利用するまでだわ)


 皇帝ともっと近い存在になれれば、彼の狙いや、ミレイユ救出の鍵が掴めるかもしれない。


 イネスはアルベリクに謝罪するようにサファイアの髪飾りを一瞥すると、ルビーの髪飾りを大切そうにひと撫でした。


「ありがとうございます。大事に使わせていただきますね」




◇◇◇




 それからしばらくお茶と会話の時間を過ごし、いよいよ帰りの予定時刻となった。


 皇帝とともに部屋を出ようとしたイネスは、扉の前で、あることを思い出して立ち止まった。


「すみません、陛下。実はミレイユ様に贈り物をと思って、栞を持ってきたのを忘れていました。今、お渡ししてきてもよろしいですか?」


 警戒されないよう、ポケットから手作りの押し花の栞を出して見せると、皇帝は大したものではないと思ったのか、快く許可してくれた。


 イネスは急ぎ足でミレイユのもとへ向かい、ミレイユの前で栞を見せた。


「ミレイユ様のために作ってきました。カーネーションの押し花の栞です」


 赤い瞳は栞を映しているが、彼女の心にまで届いているのかは分からない。


「こちらのテーブルに置いておきますね」


 近くのテーブルの上にそっと置き、皇帝には聞かれないように小声で囁く。


「お庭のアカシアの葉も入れてありますからね」


 この鳥籠のような皇宮で、せめてエドガールとミレイユが一緒にいられるようにと思いを込め、アカシアの葉を忍ばせた。


 今のミレイユには気づいてもらえないかもしれないけれどと思いつつ、最後に別れの挨拶をしようとした、そのとき。


 ミレイユの乾いた唇がわずかに動いた。


「ジュ……リ……」


 その隙間から、吐息のように小さく掠れた声が漏れる。

 

(ミレイユ様、わたしのことが……!?)


 今、ジュリエットの名を呼んでいた気がする。


 もしかすると、何か伝えたいことがあるのかもしれない。

 皇帝に見つからないよう注意しながら、ミレイユが紡ぐ声に全神経を集中する。


「せいたん……おうごんの、いし……」


 その二つの言葉を呟くと、ミレイユはまた虚ろな世界へと沈んでいってしまった。


「さあ、そろそろ行こうか」


 扉の前で待っていた皇帝に呼びかけられ、イネスはミレイユのもとを離れる。


「ミレイユは喜んでいそうだったかな?」


 皇帝に問われ、イネスが曖昧に微笑む。

 一瞬ミレイユの意識が戻ったことを悟られてはならない。


「何も反応はありませんでしたが、喜んでいただけていたら嬉しいです」

「そうだな……ところで」


 皇帝が恭しくイネスの手を取る。


「今日でそなたとは随分親しくなれた気がする。これからは『イネス』と呼んでも構わないだろうか」

「……ええ、もちろんですわ、陛下」


 嫌だ、とは言えるはずもない。

 内心で嫌悪を感じながらも、喜びの表情を浮かべて返事する。


「ありがとう。そなたも、私のことは名前で呼んでほしい。そなたと私が親密なのだと周りの者たちに分かるように」


 穏やかな口調とは裏腹に、優しく細められた赤い目からは、拒否を許さない威圧が感じられる。


「……分かりましたわ、クロヴィス陛下」


 イネスに名を呼ばれた皇帝は満足そうに口角を上げると、イネスをぐっとそばに引き寄せた。


「実は一週間後に私の生誕祭がある。アルベリクの皇宮への立ち入り禁止もその日は解くから、二人で祝いに来てくれないか?」

「生誕祭……」


 何か引っかかりを覚えたイネスだったが、それが何かすぐに気がつくと、皇帝に向かって嬉しそうにうなずいた。


「ええ、喜んで。おめでたい日ですから、ぜひお祝いさせてください」

「そなたに祝ってもらえたら嬉しい。今日贈った髪飾りをつけておいで」


 皇帝がイネスの手に唇を寄せ、音を立てて口づける。


「では、次に会えるのを楽しみにしているよ、イネス」

「はい、クロヴィス陛下」


 イネスは優雅にお辞儀をし、裾を翻して皇帝に背を向けた。


(ミレイユ様がおっしゃっていた「せいたん」という言葉……きっと皇帝の生誕祭のことだわ。そこで何か秘密が分かるかもしれない)


 それに、その日はアルベリクの立ち入り禁止も解いてくれると言っていた。

 一緒に生誕祭に参加して、自分が皇帝の目を引きつけておけば、アルベリクは自由に動いて皇宮内を探れるかもしれない。


(早くアルベリク様に報告しないと)




◇◇◇




 イネスが帰った後、皇帝は満足そうに顔つきでミレイユの部屋へと戻った。


「イネス・コルネーユ……」


 初めはアルベリクのスパイの可能性も考えた。

 しかし、彼女は紅茶の産地の罠にも引っ掛からなかったし、間諜にしては心が純粋すぎる。

 

 それに何より、アルベリクもイネスも互いに想い合っているのは明らかだ。

 普通は、愛する者を危険な目に遭わせるようなことはしないだろう。


 アルベリクがミレイユを取り戻そうと躍起になっていたときは面倒だったが、今は恋人に慰めてもらっているせいか大人しくしてくれている。


 皇宮への立ち入り禁止を解くことにしたのも、イネスを奪われることへの警戒心を煽れば、ミレイユから気を逸らせると考えたからだ。


 そして……。


「生誕祭で用が済めば、ミレイユはもう要らなくなるしな」


 物言わぬ妹を労うように、彼女の黄金色の髪を皇帝がさらりと撫でる。


(次の贄も見つかったし、すべて私の思い通りに事が運んでいる)


 脳裏にイネスを思い浮かべ、皇帝の口から笑いが漏れる。


 彼女の手に口づけたとき、魔力の気配を感じた。

 美しく、力強い魔力。

 彼女こそ、次の贄となるに相応しい。


 アルベリクが邪魔になりそうだが、いざとなれば父親のように殺してしまえばいいし、イネスが皇帝の子を身籠ったことにして引き離すという手もある。


「イネスなら、私のための美しい人形となってくれるだろう。なぁ、ミレイユ?」


 歪んだ笑顔を浮かべる兄に、妹からの返事は返ってこなかった。

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