第25話 ミレイユとの再会
「さあ、ここがミレイユの部屋だ」
皇宮の奥にある部屋の前で足を止め、皇帝がゆっくりと扉を開けた。
部屋の中は、明るすぎず、暗すぎず、療養中の人には丁度よさそうな陽あたりだ。
早くミレイユに会いたい気持ちを抑えながら、皇帝とともに部屋の中へ入ると、閉め切られた窓のそばに、ひとり椅子に腰かけている女性の姿があった。
(ミレイユ様……!)
思わず泣いてしまいそうになるのを必死に堪え、一歩二歩、彼女のほうへと近づく。
皇帝も落ち着いた足取りで近寄り、いかにも妹思いの兄らしい穏やかな声で呼びかける。
「ミレイユ、アルベリクの恋人がお前に会いに来てくれたよ」
「ミレイユ様、はじめまして。イネス・コルネーユと申します」
淑女の礼をし、精一杯の笑顔を浮かべてミレイユに笑いかける。
しかし。
(……っ!)
目にした主人の姿に、イネスは言葉を失った。
いつもころころと表情を変えていた顔は仮面をつけたかのように無反応で、陽だまりみたいに温かだった瞳は
ミレイユのほうこそ、まるで人形だった。
「すまないな、1日中こんな調子なのだよ」
「いえ……」
呼吸はあるから、生きているというのは分かる。
エドガールのことを考えれば、それだけでも幸運だ。
けれど、大好きなミレイユのこんな姿は見たくなかった。
アルベリクだってショックを受けるはずだ。
(これもみんな、わたしが不甲斐なかったせいだわ。申し訳ございません、ミレイユ様、アルベリク様……)
悲しくて、悔しくてたまらない。
頑張ってとどめていた涙が、堪えきれずにぽろりと溢れた。
「そなた、涙が──」
皇帝が驚いたように呟く。
しまった、と焦ったが、幸いにも皇帝は単に恋人の母親への同情として受け取ったようだった。
「そなたは本当に優しいのだな」
「い、いえ……」
「妹のために泣いてくれて、兄として感謝する」
皇帝が優しい眼差しでイネスを見つめ、指の背で頬の涙を拭き取った。
白々しく、馴れ馴れしい態度に怒りが込み上げてくるが、涙の理由を誤魔化せるならこのくらい我慢しなくては。
「……ミレイユ様が早くご回復なさるよう願っています」
「ああ、そうなればいいだろうな」
皇帝はどこか他人事のような返事をすると、イネスにソファに腰かけるよう勧めた。
「ミレイユとの会話は難しいが、せっかくそなたが訪ねてきてくれたのだから、三人でお茶でもしよう」
皇帝が呼び鈴を鳴らすと、すぐに侍女がやってきてお茶の準備を始めた。
淹れたての温かな紅茶を口に運ぶと、皇帝が柔らかな笑顔を見せた。
「そなたのためにラトゥール王国の紅茶にしてみたのだが、口に合うだろうか」
「まあ、わざわざありがとうございます」
イネスが喜びの表情を浮かべる。
そして、少し困ったように眉を下げた。
「ですが、こちらの紅茶は帝国のレスピナス産の茶葉のようです」
「……それは失礼。侍女が間違えたようだな」
「いえ、こちらもわたしの好きな茶葉ですから、このままで構いませんわ」
にっこりと微笑んで、カップをソーサーに置く。
おそらく、皇帝はイネスを気に入っているものの、アルベリク側の人物ということでスパイの可能性も疑っているのだろう。
だからイネスを試そうとして、わざと帝国産の茶葉をラトゥール王国産だと言ったのだ。
もし、皇帝の言葉を信じて「懐かしい味」だなどと答えていたら、疑惑を深められてしまっていたかもしれない。
(わたしだってミレイユ様の専属侍女だったのだもの。紅茶にはちょっと詳しいんだから)
今ので完全に疑いが晴れたわけではないだろうが、多少は警戒を緩めてもらえたかもしれない。
その後も皇帝からラトゥール王国についていくつか質問をされたが、書物を読み込んで得た知識で答えると、ひとまずは充分と判断されたのか話題は別のことへと移っていった。
「アルベリクはそなたに優しくしてくれるのか? 我が甥ながら堅物でつまらなくはないか?」
「そんな……真面目で誠実なお方ですわ。それにとてもお優しいですよ。つい最近も、こちらの髪飾りを贈ってくださいましたし」
サファイアのついた髪飾りをそっと触って皇帝に見せると、彼は数秒黙って見つめたあと、妙な笑みを浮かべた。
「そうだ。そなたに渡したいものがあるから持ってこよう。すぐに戻るから待っていてくれるか」
「は、はい……」
皇帝が立ち上がり、イネスとミレイユを残して部屋を出ていく。
予想外のチャンスだが、ミレイユを連れて逃げ出せるほどの余裕はないだろう。
けれど、思いがけずミレイユとの二人きりの時間を得ることができた。
「ミレイユ様……」
抜け殻のようになってしまったミレイユをイネスが悲しい眼差しで見つめる。
あれほど綺麗だった黄金色の髪は艶を失い、薔薇色だった頬も今は青ざめている。
「必ず……必ずわたしがお助けいたしますから──」
救出を誓い、ミレイユの痩せた手をぎゅっと握りしめる。
そのとき、ミレイユの指に見慣れない指輪がはまっていることに気がついた。
古い意匠が施された、銀色の指輪。
(この指輪、ミレイユ様のものではないわ。でも、どこかで見覚えがあるような……)
記憶を辿っていたイネスは、すぐにその見覚えの正体に思い至り、あっと声を上げた。
(そうだわ、たしか皇帝も同じ指輪をしていた……)
そのことを思い出した瞬間、イネスの頭に強い痛みが走る。
そして、頭が割れそうなほどの強い痛みとともに、新たな過去の断片が蘇った。
(ああ……すべて思い出したわ──)
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