第23話 薄暗い馬車の中で

 夜会から帰る馬車の中。

 ミレイユとの面会の約束を取りつけて喜んでいるイネスとは対照的に、アルベリクは沈んだ表情で窓の外の真っ暗な景色を眺めていた。


「アルベリク様、これでミレイユ様がどのようにされているか確かめられますよ」

「…………」


 イネスが話しかけても、アルベリクから返事はない。


「あ、それから……皇宮の様子も探ってまいります!」

「…………」


 やはりアルベリクからの返事はなく、イネスはしょんぼりと肩をすぼめる。


(少し勝手が過ぎたかしら……)


 あれが最善手だったとは思うが、アルベリクにも計画があったかもしれないし、何も相談せずに実行してしまったのは良くなかったかもしれない。


 けれど、もうやり直すことはできない。


 何と言って謝れば許してもらえるだろうかと悩んでいると、道が悪かったのか、突然馬車が大きく揺れた。


「きゃっ!」

「イネス!」


 座席から転げ落ちそうになったイネスを、アルベリクが間一髪で抱きとめてくれた。


「ア、アルベリク様、申し訳ございません……」

「いや……」


 アルベリクの腕に包まれ、彼の鼓動を感じる。

 その音が少し速く思えるのは、急に飛び出して驚かせてしまったせいかもしれない。


「もう大丈夫ですから……。今度はちゃんとどこかに掴まって座ります」


 そう言って腕の中から抜け出そうとしたイネスだったが、アルベリクはそれを許さず、イネスを覆う腕をさらにせばめた。


「アルベリク様……?」

「……君の安全も大切だと言ったじゃないか」


 すぐ耳元でアルベリクが呟く。


「なぜひとりで敵のもとに飛び込むようなことを……」

「申し訳ありません……ミレイユ様のご無事を一刻も早くこの目で確認したくて」

「それは俺も同じ気持ちだが、君を危険にさらしてまで急ぎたいとは思ってない」


 イネスを抱くアルベリクの腕に力がこもる。

 狭く薄暗い馬車の中で彼の匂いと体温に包まれ、イネスはどうしたらいいか分からなくなってしまう。


「……やはり、君を巻き込むべきではなかったのかもしれない。イネスまで失う羽目になったらと思うと、怖いんだ」


 アルベリクが弱音を吐く姿など初めて見た。


 ずっと、彼は自分よりもはるかに強くて、何にも負けない人なのだと思っていた。


 けれど今はイネスのことを心配し、失うことを恐れている。


(やっぱり本当はすごく優しくて、繊細な方なんだわ……)


 自分など、元々ただの侍女に過ぎないのに。

 今だって、アルベリクからの魔力がなくなれば、すぐに動けなくなってしまう人形なのに。


(わたしなんて、そんな風に思ってもらえるような存在じゃない──)


 なのに、アルベリクから大切に思ってもらえることが、こんなにも嬉しい。


 この気持ちは、主人への忠誠心なのだろうか?

 それとも、協力者としての親愛の情だろうか?


 でも、エドガールやミレイユに抱いていた感情とは、似ているようで違う気もする。


(よく分からないけど、アルベリク様もわたしにとって大切な人だというのは確かだわ)


 だからこそ、彼の力になりたい。


「アルベリク様、安心してください。わたしはあなたを残していなくなったりいたしません。あなたがわたしを必要としてくださる限り」


 アルベリクが魔力の供給をやめてしまえば、自分はまた魂だけとなり、今度は消滅してしまうかもしれない。


 しかし、アルベリクがそばにいてほしいと願ってくれる限りは、それに応えたいと思う。


 すると、ふいに彼の腕の力が緩んだ。


 どうしたのかと彼の顔を見上げれば、綺麗な青色の瞳と視線が絡み、やがて彼の唇が優しく額に触れた。


「アルベリク様……?」


 なぜ今、魔力の供給なんて……と考えていると、アルベリクが眉尻を下げて笑った。


「今のはただの口づけだ」

「な、なぜ……」

「嫌だったか?」

「嫌では、ありませんでしたが……」

「それならよかった」


 今までにない彼の行動に驚いて固まっていると、馬車が止まり、屋敷へと到着した。


「……疲れただろう。今日は早く休もう」


 アルベリクの身体が離れ、御者が馬車の扉を開ける。


 魔力を供給されたわけではないのに、なぜか熱くなる額を恥ずかしく思いながら、イネスはゆっくりと馬車を降りた。

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