第21話 待ち望んだ繋がり

「イネス様は、我が国の皇帝陛下についてご存知でいらっしゃいますか?」

「皇帝、陛下……?」


 ついに皇帝の話題が出てきたと思うものの、彼の姿を思い浮かべた途端、怒りが込み上げてきて声が震えそうになる。


(だめよ、イネス! しっかりしなさい!)


 心の中で自分を叱咤して、なんとか淑やかな令嬢の微笑みを浮かべる。


「ええ、アルベリク様の伯父上でいらっしゃいますね。今は実妹であられるミレイユ様を心配して保護なさっているとか……。とても慈しみ深いお方なのだと思っておりますわ」


 心にもない言葉を返すと、オドラン伯爵令嬢がにこりと意味深に口角を上げた。

 

「実は、イネス様の美しさが社交界で話題になっておりまして、皇帝陛下もイネス様に興味を持っていらっしゃるようなのです」

「皇帝陛下が、わたしにご興味を……?」

「はい。陛下は美しいものがお好きなようですから。『白銀の女神』と呼ばれているイネス様のことが気になられるのでしょう」


(白銀の女神……!?)


 そんな恥ずかしい呼び名がついていたのは初耳だが、それで皇帝が興味を持ってくれたのなら何よりだ。


「今度のベイロン侯爵邸での夜会に皇帝陛下がお出ましになるらしいので、よろしければイネス様も参加なさいませんか? わたくしから話を通してご招待することができます」


 オドラン伯爵令嬢の瞳がぎらりと光る。


 オドラン伯爵家はたしか代々文官として仕えているが、出世には今ひとつ遠い家柄。

 もしかすると、皇帝にイネスを引き合わせてあげれば家門への覚えがめでたくなるはず……などと画策しているのかもしれない。


 しかし、こちらとしても渡りに船だ。


(でも、アルベリク様の恋人という立場で、すぐに食いつくのも不自然かもしれないわね)


 あまり、こちらが接触したがっているという風には見られたくない。


 イネスは後ろめたそうに遠慮するような態度を取ってみせる。

 

「……それは大変光栄ですが、アルベリク様はお父様を亡くしたばかりですし、夜会に参加される気分ではないかもしれません。わたしも今はアルベリク様に寄り添って差し上げたいですし……」


 興味はあるものの、参加は難しそうだという雰囲気を醸し出すと、オドラン伯爵令嬢が焦り始めた。


「でも、屋敷に閉じこもってばかりもよくありませんわ。途中で帰られても誰も悪く思わないでしょうし、少しだけでもいらっしゃっては……」

「…………分かりました。アルベリク様にも相談してみようと思います」

「ええ、ぜひそうなさってください!」


 上手く会話が落ち着いたところで、ちょうどアルベリクも迎えにやって来た。


 その場の令嬢たちの期待に応えるかのように、アルベリクがイネスの手を取り、大切そうにキスを落とす。


「お茶会は楽しかったようだな」

「ええ、とても楽しくて有意義・・・でしたわ。ルモニエ伯爵令嬢、素敵なお茶会にご招待くださり、ありがとうございました。皆様のおかげで素晴らしいひと時を過ごせましたわ。それではご機嫌よう」


 イネスは、令嬢たちが憧れの眼差しを向ける中、レッスンの賜物である優雅なお辞儀を披露して、お茶会を後にしたのだった。




◇◇◇




「もしかして、今回は何か情報が得られたのか?」


 帰りの馬車の中で、アルベリクが尋ねる。

 先ほどのイネスの返事でピンときたのだろう。


 良い報告ができるのが嬉しくて、イネスが勢いよくうなずく。


「はい、やっといい伝手つてが得られました。これで皇帝に近づくことができそうです」

「そうか、よくやってくれた。それで、どんな伝手だ?」

「今度ベイロン侯爵邸で開催される夜会に皇帝が出席するらしいのです。わたしとアルベリク様も参加できるようオドラン伯爵令嬢が仲介してくださるそうで……。返事は保留にしていますが、皇帝に近づける好機だと思います」

「そうだな。この機会を逃すべきではないだろう」


 アルベリクも夜会への参加に賛成する。


「……しかし、オドラン伯爵令嬢はなぜ君を誘ってくれたんだろう。それほど親しくなったのか?」

「あ、いえ。どうやら皇帝がわたし……と言いますか、イネスの容姿に興味を持っているようなのです。それで、わたしと皇帝を引き合わせることで家門の覚えをよくしようとしているのだと──……アルベリク様?」


 急にアルベリクの顔が険しくなり、イネスが何事かと顔を覗き込む。


「あの、何か気になることでもございましたか?」

「……いや」


 アルベリクは否定するが、どう見ても愉快ではなさそうな表情をしている。


 過不足なく説明したつもりだったが、どこか分かりづらいところがあったのだろうか。

 それとも、オドラン伯爵令嬢に頼るのがまずかったのだろうか。


 何がアルベリクの気分を害したのか分からずに首を傾げていると、アルベリクが気持ちを落ち着けようとするかのように、髪をかき上げ溜息をついた。


「……皇帝が、君に興味があると?」

「はい、そのようです。社交界の噂で知ったようで……。驚きましたが、向こうから接触したいと思ってくれるなら好都合かと」

「たしかに都合はいいかもしれないが……」


 アルベリクの返事は歯切れが悪く、あまり手放しで喜んではいないようだ。


「もしかして、あまりいい報告ではありませんでしたか? もっと喜んでいただけると思ったのですが……」


 形のいい眉を下げ、すっかり意気消沈してしまった様子のイネスに、アルベリクが慌てて弁解する。


「いや、君のおかげでやっと皇帝に近づくことができる。それは感謝しているんだ。ただ……皇帝が君に手を出そうとするんじゃないかと心配で……」


 予想外の言葉に、イネスがぱちぱちと瞬く。

 まさか、自分のことを気遣ってくれていたとは。


 アルベリクの優しさに胸が温かくなる。


「お気遣いありがとうございます。ですが、わたしなら大丈夫です。ミレイユ様をお救いするためなら何でもすると覚悟しておりますから。それに当初から、事態の流れによっては色仕掛けもありえると話し合っていたではありませんか」

「それは……!」


 イネスを蘇らせたばかりの頃の話し合いを思い出し、アルベリクが唇を噛む。


(俺はなぜそんな最低なことを──)


 あのときは、イネスに対して情を持たないよう徹底していた。

 彼女は魔力で動けているだけで、実際はただの人形だと思い込むようにしていた。

 母を救い出し、父の仇を討つことが最優先で、イネスはそのための駒でしかなかった。


 だから、そんな非道なことを言えてしまった。


 しかし今、イネスは駒でも人形でもなく、家族と同じようにかけがえのない存在になってしまった。


 もしイネスまで皇帝に弄ばれでもしたら……。


 そう考えるだけで、頭がおかしくなりそうだ。


「──あのときの指示は忘れてくれ。母の救出と同じように、君の安全も大切だ。俺も君が危険な目に遭わないように注意する」


 過去の自分に怒りを覚えながら、最悪の作戦を撤回する。

 イネスはやや驚いたような様子を見せたが、ほっとしたのか綺麗な瞳を潤ませた。


「ありがとうございます。無茶はしないようにいたします」

「ああ、そうしてくれ」


 懇願するような思いでイネスの手に触れると、彼女の滑らかな白い頬に赤みが差した。




◇◇◇




 それから一週間後、ベイロン侯爵邸での夜会当日。


 会場となるホールにイネスとアルベリクが登場すると、会場中の注目が二人のもとに集まった。


「緊張するか?」

「はい、少しだけ……。ですがそれより、期待のほうが大きいです」

「頼もしいな」


 いよいよ、仇である皇帝と相見あいまみえることができる。

 この好機を必ずものにしてみせる。


 固く決意するイネスの前で、豪奢な扉がゆっくりと開き始めた。


「皇帝陛下のご入場です」

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