第18話 イネスの秘密
「アルベリク様、わたしに何か隠していることがあるのではないですか?」
イネスに問われ、アルベリクが一瞬言葉に詰まる。
「……隠していること?」
少しの間を置いて問い返すが、その表情は固い。
イネスの問いに困惑しているというより、思い当たることはあるが、触れてほしくないと考えているように見えた。
「はい。以前にもお伺いしたことがあると思いますが、わたしの──
前に尋ねたときは話を逸らされてしまったし、自分でも聞かないほうがいいのかもしれないと思ったが、今回は必ず答えてもらわなければならない。
「……違法なことはしていないから気にするなと言ったはずだ」
「ええ。ですが、今わたしがお伺いしたいのは、違法かどうかではありません。それに、この身体が本当はどれほど高貴な方のものでも、逆に身分の低い女性のものでも驚きはいたしません」
「──では、何が気になるというんだ」
イネスの思惑が読めず眉間を寄せるアルベリクに、金色の鋭い眼差しが向けられる。
「さっき、お店の入り口で植木鉢が落ちてきました」
「ああ、運良く当たらずに済んで安心──」
「当たったんです」
イネスの返事に、アルベリクが固まる。
「植木鉢は、わたしの足の上に落ちたんです」
イネスがドレスの裾を持ち上げ、白く華奢な足を見せる。
リボンがあしらわれたお洒落な靴は、植木鉢が落ちてきたせいでボロボロだ。
しかし、イネスの足は土で汚れてしまっただけで、打撲の跡も擦り傷も見られない、まったくの無傷だった。
「高い場所から落下した鉢が直撃したのです。骨が折れてもおかしくはありませんし、出血だってするでしょう。ですが、わたしは傷ひとつなく、血の一滴も流れてはいません」
「…………」
「そもそも、痛みすら感じなかったのです。せいぜい、小さな石ころが落ちてきた程度の衝撃でした。明らかに普通ではありません」
「…………」
「ですから、この身体に何かわたしの知らない秘密があるとしか考えられないのです」
ずっと無言だったアルベリクが、目を逸らして返事する。
「……君が危ない目に遭わないよう、保護の魔法をかけていただけだ」
たしかに、アルベリクであれば、そうした魔法をかけることは難しくないだろう。
しかし、それなら初めからそのように伝えるはずだ。ずっと秘密にしておく必要などない。
「アルベリク様。本当のことを教えてください。わたしたちは運命共同体なのでしょう? 隠し事なんてしないでください」
イネスの訴えに、アルベリクは窓の外を見つめたまま、しばらく黙り込む。
そして、悩ましげに目を伏せると、深い溜息をひとつ吐いた。
「……君は、俺を恨むかもしれない」
そうしてアルベリクが語った話は、イネスの予想を超えるものだった。
◇◇◇
「──つまり、わたしの身体は人ではなく、人形だということですか?」
「ああ、正確には魔導人形。そこに君の魂を閉じ込めたんだ」
イネスの身体は、どこかの亡くなった令嬢でも孤児でもなく、精巧な人工物だった。
アルベリクの先祖……百年以上も昔の辺境伯が魔術師に秘密裏に依頼し、
彼にとって、年老いてから授かった娘は何よりも大切な存在で、どんな手を使ってでも、この世から失いたくなかったのだ。
稀代の魔術師が作り上げた魔導人形は、魔力を込めれば、まるで本物の人間のように動いて言葉を発し、辺境伯はこの人形に娘の名前をつけて可愛がったという。
辺境伯の死後は、人形に魔力が注がれることはなく、代々の当主だけがその存在を知る中、宝物庫に安置されていた。
それをアルベリクが引っ張り出し、「ジュリエット」の魂を入れる器にしたのだった。
「……保護魔法のことは俺も知らなかったが、人形が作られた経緯を考えれば思い至って然るべきだったな」
アルベリクが俯きながら言う。
イネスも目を伏せて呟いた。
「わたしは、人間の身体で蘇ったのではなかったのですね……」
「残念ながら、人間の身体に蘇らせる魔法は存在しない。それは女神の領域だからな。人ができるのは、せいぜい魔力で動く人形を作ることくらいだ」
だから、精巧に作られた魔導人形にジュリエットの魂を封じた。
これでジュリエットが目撃した光景について話を聞けるうえ、ミレイユへの忠誠心が高いジュリエットなら、復讐のための駒としても使えると思ったからだ。
そして、人形に魂を閉じ込め続けるには魔力が必要だった。
イネスに恋人を装って触れていたのは、魔力を供給するため。
イネスを動かすものは、赤い血ではなく、皇族の血を引くアルベリクの赤い魔力だった。
(ああ、口づけられて身体に熱を感じたのは、そこから魔力を吸収していたからだったのね)
いくら恋人のふりをするためとはいえ、頻繁にイネスに触れようとしていた理由がやっと分かった。
そして、彼が頑なにイネスの名を呼ぼうとしなかった理由も……。
「アルベリク様がイネスという名をくださったのに、ずっとその名前で呼ばれないことが気になっていました。ですが、きっとわたしに情が湧かないようになさっていたのですね。用が済んだあと、ためらうことなく魔法を解けるように。わたしを生かすために魔力を供給し続けるのは負担が大きいでしょうから──」
「…………」
アルベリクからの返事はない。
しかし、それが答えなのは明らかだった。
イネスは少しだけ黙ったあと、ゆっくりと顔を上げた。
綺麗な口元に、微笑みを添えて。
「心配なさらないでください。事実を知って驚きはしましたが、アルベリク様を恨んだりなどいたしません。だって、わたしは元々死んだ身なのですから」
そうだ。大切な主人を守れず無駄死にしてしまったのに、それを償う機会を与えてもらえた。
それだけで、充分すぎる幸運だ。
「わたしはミレイユ様をお救いして復讐を果たせたら、もう未練はありません。魔法を解くことに抵抗なんていたしませんので、安心なさってください」
イネスの言葉に、アルベリクも顔を上げる。
思いも寄らなかった反応に驚くが、イネスの表情からは、それが本心であることがよく伝わってくる。
「……俺の身勝手を許してくれるのか?」
「許すも許さないもございません。わたしはただ、ミレイユ様とエドガール様のために、使命を果たすのみです」
「……すまない」
それは、礼なのか謝罪なのか。
苦しそうな表情で返事するアルベリクに、イネスが改めてお願いする。
「ですから、これからはわたしのことを『イネス』と呼んでいただけませんか? ずっと『君』としか呼ばれないのは、少し寂しいですから」
「分かった。これからは名前で呼ぼう──イネス」
初めての名前での呼びかけは、少々ぎこちなかった。
けれど、やっと一人のパートナーとして認めてもらえたような気がして、イネスは嬉しく思った。
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