第16話 恋人らしいこと
「アルベリク様。侍女の方に教えていただいたのですが、この辺りに人気のカフェがあるらしいのです。そこへ行って、恋人らしいことをしてみませんか……?」
イネスが提案すると、アルベリクも異論はないようでうなずいてくれた。
「そうだな。人気のカフェなら人目も多そうだから、俺たちの噂もすぐに広まりそうだ」
「はい。それに、役立ちそうな話も聞こえてくるかもしれません」
「いいところに気がつくじゃないか。丁度昼食の時間だし行ってみよう」
そうして目的のカフェへとやって来たが、店内は若い男女が多く、いかにも流行りのデートスポットという雰囲気だった。
至るところで恋人たちがデートを楽しんでおり、イネスとアルベリクがちょっと仲良さそうにしたくらいでは印象に残りそうにない。
(これは場所を間違えたかもしれないわ……)
ちらりとアルベリクの顔を覗き込めば、彼もどことなく気まずそうな顔をしている。
しかし、もう席に案内され、食事まで注文してしまった。
今さら引き返すことはできない。
(仕方ない、覚悟を決めないと……!)
よく考えたら、周囲には自分と年齢の近い恋人たちがたくさんいるのだ。
ミレイユとエドガールのような夫婦ではなく、恋愛小説の登場人物でもない、本物の恋人たち。
彼らを観察して真似をすれば、偽装の質も上がるに違いない。
料理が運ばれてくるのを待つ間、周りの恋人たちの様子をじっくりと観察する。
(なるほど……見つめ合って楽しそうにお喋りをするのは基本みたいね)
たとえば、隣の席の恋人たちは、お互いにスイーツが好きなようで、タルトならあの店、マカロンならあの店、今度はあのお菓子が食べたいなどとスイーツの話で盛り上がっている。
思い返してみると、アルベリクとはレッスンのことやその日の予定の話ばかりで、他愛のないお喋りというのは、ほとんどしたことがなかったかもしれない。
せっかくの機会であるし、お互いのことをよく知るためにも、色々と話してみるのはよさそうだ。
「あの……アルベリク様は何か趣味はありますか? あ、これは恋人らしく見つめ合って会話をする練習です」
後半の補足を小声で囁くと、アルベリクは分かった、と言うようにうなずいて、微笑みながら視線を絡ませてくれた。
「そうだな……剣術の訓練をするのは好きだ」
「まあ、エドガール様と一緒ですね」
「ああ、父とはよく手合わせしてもらった。結局、一度も勝てないままだったが……」
アルベリクの青い瞳が寂しげに揺らぎ、二人の間に沈黙が漂う。
明らかに返事を間違えた。
(わたしったら、なぜエドガール様のお名前を出してしまったの……!)
社交の場では返事の仕方も重要だと言うのに、これでは先が思いやられる。
受け答えの練習をもっと増やさなければと反省していると、丁度料理が運ばれてきて、イネスは内心ほっとした。
このタイミングで仕切り直して、もう一度、挑戦してみよう。
目の前に並べられた美味しそうな料理を眺めながら、イネスが再び明るく話しかける。
「とっても美味しそうですね! わたしはバターソースのステーキにしたのですが、アルベリク様はマーマレードソースにされたのですよね? そちらのお味も気になります」
他愛のない和やかな会話を意識しつつ、目を合わせてにっこり微笑むと、アルベリクが何かを思いついたようにくすりと口角を上げた。
「なら、君も食べてみるか?」
「えっ、いいのですか? でしたらお言葉に甘えて一口だけ……」
貴族令嬢としては行儀が悪いけれど、今は恋人らしい過ごし方の練習中だし、これくらいならいいだろう。
アルベリクが切り分けてくれた一切れを皿に置いてもらおうとしたイネスだったが……。
アルベリクは寄せられた皿に置くことなく、フォークに刺したままイネスの口元に差し出した。
「ほら、口を開けて」
「…………え?」
きょとんとするイネスに、アルベリクが甘い笑みを浮かべて催促する。
「君の可愛い口に食べさせてやりたいんだ。さあ、召し上がれ」
「……っ!」
たしかに、隣の席の人たちは「あーん」と楽しそうに口を開けて食べさせ合っていた。
自分もチャンスがあったらやってみようと思ってはいたが……まさか自分がされる側になるとは考えもしていなかった。
アルベリクからの突然の試練に、一気に顔が赤くなるのを感じる。
(なんてこと……! でも、これしきのことで怯んでいたらだめだわ)
何も人前でキスをしようというわけではない。
ただ、フォークに刺した食べ物を食べさせてもらうだけだ。
単なる栄養補給。意識するほどのことではない──が、やっぱり恥ずかしい。
(待って、目を瞑れば大丈夫かもしれない……!)
ぎゅっと瞼を閉じ、恐る恐る口を開く。
アルベリクがふっと笑いを漏らしたような気もするが、目を瞑っているのでよく分からない。
そのうち、口の中に柔らかなステーキの感触と、爽やかな甘みのマーマレードソースの味が広がった。
目を閉じたまま、もぐもぐとよく噛んで味わい、ごくんと飲み込む。
そうして、初めて食べた料理の余韻に浸ったあと、イネスは目を開け感動の面持ちで呟いた。
「美味しかった……」
自分もこちらのソースにすればよかったかもしれない。
そんなことを考えていると、アルベリクが口元を押さえて笑いを噛みころしている姿が目に入った。
「すまない、君の反応が予想外というか、食事を待つ雛鳥みたいで……」
そんなに笑わなくても、と思ってしまうが、ついさっきエドガールを思い出させて悲しい気持ちにさせてしまったので、元気になってもらえるならいいか、とも思う。
「いえ、よろしければ、わたしもアルベリク様に食べさせて差し上げましょうか」
「いいのか? じゃあ、俺もお言葉に甘えて食べさせてもらおう」
「えっ、本当に……?」
「どうした? 本当は食べさせたくなかったのか?」
「い、いえ! 今切り分けますから。……さあ、どうぞお召し上がりください」
「手が震えているぞ」
「……ええ、ですから、うっかり落としてしまう前に召し上がってください……!」
イネスと違って、アルベリクは目を瞑ることなく、ぱくりとステーキを口にする。
「バターソースもなかなか旨いな。今度、屋敷の料理人に作らせよう」
「あ、では、マーマレードソースもお願いします」
二人のテーブルには、いつしか穏やかな空気が生まれていた。
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