第6話 復讐の覚悟

 ジュリエットの視界に、意識を失った様子で皇帝の腕に抱かれているミレイユの姿が映る。


(そんな……まさかミレイユ様まで……?)


 不都合なことを知られた皇帝が、口封じのために実の妹さえも手にかけたのだろうか。


 ミレイユの腕の中で目を開けることなく力尽きたエドガールの姿と重なり、ジュリエットの心臓がどくんと大きな音を立てる。


(ミレイユ様も失ってしまったら、わたしは……)


 エドガールに続いて、ミレイユまでも死なせるわけにはいかない。


 ジュリエットのいる場所からでは、ミレイユが息をしているのかどうかがよく分からないが、もし気を失っているだけなら、一刻も早く救出したい。


(でも、わたしひとりで立ち向かうには相手が悪すぎるわ……)


 最悪、自分も皇帝の手にかかり、ミレイユを助けられずに殺されてしまうかもしれない。


(……まずは外に出て助けを求めよう。騎士や貴族の方が一緒だったら、皇帝も好き勝手にはできないはずよ)

 

 ジュリエットは足音を立てないよう、そうっと柱の陰から身を移した。


 しかし、焦っていたせいか、手にしていたストールが扉の取っ手に引っ掛かったことに気づかなかった。



 ギイッ……



 ストールで引っ張られて動いた扉が、礼拝堂に大きな音を響かせる。


 しまった、と思った瞬間、背後から麗しくも嫌悪を感じる声が聞こえた。


「まさか、鼠が入り込んでいたとはな」


 皇帝がミレイユを抱いたまま、ジュリエットのほうへと歩き出す。


「そなたはミレイユの侍女だったかな? 名前までは覚えていないが……」


 コツ、コツ、と規則正しい靴音が近づいてくる。


 逃げなくてはと思うのに、足がすくんで動けない。


 恐怖でうつむきながら、最後の審判を待つかのように立ち尽くしていると、数歩先で靴音が止まり、物憂げな溜息が聞こえた。


「……もっと美人だったら殺すのを躊躇ためらったかもしれないが──すまない、地味な女は好みじゃないんだ」


 そう言い終わると同時に、皇帝の手から赤い短剣の形をした魔法が放たれ、ジュリエットの胸に鋭い痛みが走った。

 口から生温なまぬるい血があふれ、黒いドレスの上に濃いシミを作る。


「あ……」


 全身からみるみる力が抜け、ジュリエットは冷たい床の上に倒れ込んだ。


(今、こんなところで死ぬわけにはいかないのに……)


 生きて、ミレイユを助けなければならないのに──。


(ミレイユ、さま……)


 必死に伸ばした手は、ミレイユに届くことなく、血塗ちまみれの床に落ちて動かなくなった。


「邪魔な鼠を駆除するのは当然のことだろう? あの世で辺境伯によろしく伝えてくれ」


 なんの感慨もないような皇帝の言葉を聞いた直後、ジュリエットの意識は完全に途絶えたのだった。




◇◇◇




「──これが、今の私に思い出せるすべてです」


 ジュリエットが静かに回想を終える。

 アルベリクは考えを整理するためか、しばらく無言のまま俯いたあと、顔を上げ低い声で呟いた。


「……つまり、皇帝が計画の邪魔になる父上を不慮の事故として魔物に殺させ、母上の意識も奪ったということか」


 ジュリエットが首肯しゅこうする。


「アルベリク様は、これからどうなさるのですか?」


 エドガール亡き今、おそらくアルベリクが跡を継ぎ、オリヴィエ辺境伯家の当主となっているのだろう。

 皇家には及ばないまでも、一介の侍女には持ち得ない権力をアルベリクは持っている。


 ジュリエットは意を決してアルベリクに告げた。


「わたしはミレイユ様をお救いしたいと思っています。もしアルベリク様もまだ諦めていないのでしたら、わたしにもミレイユ様の救出を手伝わせていただけませんか?」


 アルベリクの青く暗い瞳がジュリエットを真っ直ぐに見据える。

 互いに絡んだ視線を外すことなく、アルベリクが口を開いた。


「元々そのつもりだった。君こそ、いいのか? 俺は父を殺した皇帝に復讐するつもりだ。君に皇帝を殺す覚悟はあるか?」



 皇帝を殺す覚悟──。



 ジュリエットの脳裏に、決して消えない悪夢のような光景が再び浮かび上がる。


 魔物に身体を貫かれ、苦しそうに顔を歪めるエドガール。


 真っ白な顔で目を伏せ、死んだように動かなくなったミレイユ。


 覚悟なら、自分が息絶え、魂だけの存在となったときに決まっていた。


「エドガール様とミレイユ様のためなら、この手を汚すこともいといません」


 ジュリエットの返事に、アルベリクは満足したようにわずかに口角を上げた。


「では、これから俺たちは運命共同体だ。途中で逃げることは許さない」

「私は一度死んだ身です。命など惜しくありません。必ずミレイユ様をお救いして、皇帝への復讐を果たします」

「そうか。今の言葉を忘れるな」

「はい」


 神妙な面持ちでうなずくと、アルベリクがジュリエットのすぐ目の前に近づき、銀色の髪の毛を掬い取った。


「それから、君はもうジュリエット・エベールではない。イネス・コルネーユと名乗れ」

「イネス・コルネーユ……」


 たしかに、ジュリエットはすでに死亡しているし、姿も変わってしまったから名前も変える必要があるだろう。


(素性を変えて、また辺境伯家の侍女として雇っていただくことになるのかしら?)


 そんな風に考えたジュリエット改めイネスは、続くアルベリクの言葉を聞いて耳を疑った。


「では、イネス。今日から君には、俺の恋人になってもらう」

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