第5話 仕組まれた罠

 数日後。暗く重い曇り空の下、皇宮でエドガールの葬儀が執り行われた。


 人々を守ろうと奮闘した英雄の悲劇に、参列者たちはみな涙を流した。


「──ミレイユ様、ここは冷えます。そろそろお部屋に戻られては……」


 礼拝堂の中。最愛の夫の棺の前で茫然と佇むミレイユに、ジュリエットが声をかける。

 しかし、ミレイユは力無くゆるゆると首を振った。


「できるだけこの人と一緒にいたいの。あなたは先に部屋に戻っていて」


 まるでエドガールが息を吹き返すのを待っているかのように、棺から目を離すことのないミレイユ。


 二人だけの最後の時間を邪魔するのがはばかられて、ジュリエットは「承知いたしました」とだけ返事をすると、深く一礼して礼拝堂を出た。




◇◇◇




 夫婦二人だけの礼拝堂で、ミレイユが棺の蓋を愛おしそうに撫でる。


「あなた、きっと痛かったわよね……。本当にごめんなさい……私がもっと早く戻っていたら……」


 棺の中の夫は何も答えてくれない。

 いつものように「君のせいじゃないよ」と優しく肩を抱いてほしい。

 いや、「どうしてもっと早く来てくれなかったんだ」となじられたっていい。


 何でもいいから、生きている彼に会いたい。


「どうして、あなたが死ななければならなかったの──」


 堪えきれずにこぼれた涙を拭っていると、背後からコツ、コツ、と足音が聞こえてきた。


「優秀な臣下を失い、私も残念だ」

「……陛下」


 振り返った先には、ラングロワ帝国皇帝であり、ミレイユの双子の兄でもあるクロヴィス・ラングロワがいた。


 逆光のせいで表情はよく見えないながらも、その声には英雄の死をいたみ同情するような響きが感じられる。

 しかし、ミレイユは兄に鋭い眼差しを向けた。


「夫は王国一の騎士でした。それなのに、あの程度の魔物に負けるわけがありません」


 ミレイユの強い視線から目を逸らすことなく、クロヴィスが穏やかな声音で答える。


「夫を尊敬しているのは分かるが、誰にでも隙はあるものだ、ミレイユ」


 現実を受け入れられない妹をなだめるかのような兄の物言いに、ミレイユはふっと歪んだ笑みを浮かべた。


「隙……ですか。そうですね、無理やり隙を作られたということなのでしょう」

「何が言いたい?」


 一段低くなった兄の声とは対照的に、ミレイユの声が上擦る。


「夫は魔物と対峙したとき、急に体が動かなくなったと言っていました」

「……歴戦の猛者にもそういうことはあるだろう。酒に酔っていたのかもしれない」

「夫はお酒をたしなみません。それに、彼から魔力の気配を感じました」


 ミレイユの瞳が怒りと後悔に揺れる。

 

「陛下の……お兄様の魔力でした。双子の妹である私には分かります。私の魔力と似ているようで、怖気おぞけが走るほど不快な魔力──。それが、彼の身体に残っていました」


 確信に満ちたミレイユの言葉に、クロヴィスが小さく溜息をついた。


「……なんだ、気づかれないと思ったんだがな」


 失敗したか、とでも言うように、クロヴィスが肩をすくめる。

 ミレイユが激昂して声を荒らげた。


「やっぱり、お兄様のせいだったのね……! お兄様が結界に綻びを作って魔物を放ち、エドガールを襲わせたのでしょう!? そして彼の動きを封じた……!」


 頬を紅潮させて睨みつける妹に、クロヴィスは冷めた視線を返す。


「彼は私の計画の邪魔だったからな。だが、せめてもの情けとして、これまでの功績に勲章を与えてやったし、魔物の襲撃から人々を守って散る感動的な英雄譚に仕立ててやったではないか」

「なんですって……!?」


 ミレイユが棺から離れ、薄ら笑いを浮かべたクロヴィスの胸ぐらに掴みかかる。

 しかし、すぐ目の前に迫った兄の顔を見て、ミレイユは目を疑った。


「……一体、どういうこと?」

「どう、とは?」


 クロヴィスの口元が楽しげに歪む。

 その顔を凝視しながら、ミレイユが何かを呟いた。


「……姿……がう……まるで…………だわ」




◇◇◇




 礼拝堂の柱の陰。

 一度部屋に戻ったものの、ミレイユのためにストールを持って戻ってきたジュリエットは、二人の会話を耳にして息を呑んだ。


(そんな……! エドガール様が亡くなったのは、陛下のせいだったということ……?)


 一国の皇帝が大勢の人々を危険にさらし、実の妹の伴侶でもある忠臣をほうむろうとしただなんて、とても信じられることではない。


 しかし、皇帝は愉快そうに自ら企みを明かしていた。

 そして事実、エドガールは命を落とし、ミレイユは最愛の伴侶を失った。


(許せない……)


 心の奥底から怒りと憎しみが湧き上がり、身体が震える。

 ジュリエットは溢れそうになる涙を堪えて、拳を強く握った。




◇◇◇




 ──ここまで回想したところで、ジュリエットは「うっ……」と小さくうめき声をあげながら頭を押さえると、辛そうに目を細めた。


「どうした? 頭が痛むのか?」


 アルベリクから気遣うように声をかけられ、ジュリエットは申し訳なさそうにうなずいた。


「すみません……ミレイユ様と皇帝が何か会話をされていたのですが、思い出そうとすると頭が割れそうに痛んで……」


 その後のことを考えると、きっとここで重要なやり取りがなされていたはずなのに、どうしても思い出せない。


「二人の会話をもっと知りたかったが……まあ、仕方ない。おそらく、魂と身体の定着がまだ不十分なのだろう。器に魂が馴染めば、抜け落ちた記憶も戻るかもしれない」

「そうだといいのですが……。思い出したらすぐにお伝えします」

「ああ、頼む。では、次に覚えていることは?」


 アルベリクに問われ、ジュリエットは再び記憶を辿った。


 そして、嫌な光景を思い出して、ぶるりと震える。


「次に覚えているのは……皇帝の腕の中でぐったりとしているミレイユ様のお姿です……」

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