水は方円の器に随う

三鹿ショート

水は方円の器に随う

 私や彼女が住んでいる土地は、単純に腕力が強い人間が尊ばれていた。

 だからこそ、弱者は虫けらのように扱われる。

 私は何度も地面と接吻し、彼女は数え切れないほどに辱められた。

 私は時間による解決に期待していたために、無駄な抵抗をすることはなかったが、彼女は異なっていた。

 彼女は、強者に媚びるようになったのである。

 どのような行為も受け入れることが気に入られたのか、彼女は強者の恋人という地位を得ることができ、強者と同等の権力を手にしたのだった。

 私は、そのような彼女に希望を抱いていた。

 口にすることも憚られるような行為をその身に受けていた仲間として、私に対する暴力行為を止めてくれると思ったのである。

 だが、それが叶うことはなかった。

 それどころか、彼女は虐げられる私を見て、笑みを浮かべていたのだった。

 私は初めて、怒りというものを覚えた。

 しかし、どうすることもできなかった。


***


 成長した私は、これまで虐げてきた人間たちに対する報復行為に及ぶようなことはなく、野蛮な土地から逃げ出すことを選んだ。

 数駅ほど離れただけで、其処は別の世界のようだった。

 道端に傷だらけの人間が倒れていることもなく、怒声や悲鳴が木霊することもない。

 肩と肩がぶっつかったとしても、平和的に謝罪の言葉を吐き、殴り合いに発展することもなかった。

 大多数の人間にとっては、これが尋常なる光景なのだろうが、私は新大陸を発見したかのような気分だったのである。

 私はこのとき初めて、自身が暴力を振るうような人間ではなかったということを誇りに思ったのだった。


***


 仕事は順調であり、恋人とも結婚を考えるようになった頃、私はくだんの土地へと戻る用事が出来てしまった。

 二度と戻ることはないと考えていたのだが、取引先の人間が住んでいるために、一度は挨拶をしなければならなかったのだ。

 貴重品を手にすることなく、育った土地へと戻った私は、驚きを隠すことができなかった。

 其処は、何処にでも存在するかのような場所へと変化していたのである。

 塵や傷だらけの人間が転がっていることもなく、怒声や悲鳴が聞こえてくることもなく、道を行く人々が派手な格好をしているわけでもない。

 取引先の人間に対して、土地の変化について訊ねると、どうやら数年ほど前に現在のような姿と化したらしい。

 いわく、治安の悪さの影響か、地価が安いということに目を付けた会社が数多く現われ、それと同時に、治安を良くしようという動きが活発になったということだった。

 当初は、粗暴な人間たちとの衝突が絶えなかったが、彼らは金銭で雇われた数多くの屈強な人間たちによって段々と排除されていったらしい。

 排除されていった彼らは、今では土地の隅の方で、縮こまりながらの生活をしているということだった。

 私は喜びを覚える一方で、彼女の現在の状況が気になった。

 だが、わざわざ虎口に飛び込むような真似をしたくはない。

 私が彼女について話したところ、取引先の人間は、自身の用心棒を連れて、くだんの場所へと向かってはどうかと言ってくれた。

 思わぬ言葉に、私は感謝の言葉を吐きながら頭を下げた。


***


 くだんの場所は、私の記憶に存在する土地の姿と、それほど変わりが無かった。

 しかし、私が連れている数人の用心棒を恐れているのか、粗暴な人々が接触してくることは無かった。

 だが、私が金銭を渡しながら彼女について訊ねると、喜んで情報を伝えてくれた。

 その情報によれば、彼女はとある店で勤務しているらしい。

 この世に存在していることに喜びを覚えていることを思えば、彼女のことを心から憎んでいたわけではないようだった。

 私の記憶の中には、共に虐げられていた仲間としての彼女が未だに存在しているようである。

 そんなことを考えながらくだんの店へと向かった私は、目を疑った。

 その店は、異常の一言で表現することができる場所だった。

 嬉々として拳や刃物を振るう客と、血液を周囲に飛び散らせ、腕や脚が折られようとも笑みを浮かべる女性たちの姿ばかりだったからだ。

 私と用心棒たちが呆然としていると、一人の女性が近付いてきた。

 女性はぐらついていた歯を掴み、床に放り投げながら、望んでいる人間を訊ねてきた。

 其処で彼女の名前を口にすると、女性は店の隅を指差しながら、

「残念ながら、先客の相手をしています」

 目を向けると、彼女は数人の男性によってその肉体を傷つけられていた。

 激痛による影響か、喜びによるものかは不明だが、彼女は涙を流しながらも笑みを浮かべ、切り落とされた自身の指を食べながら、男性たちの相手をしていたのである。

 用心棒の一人が、その場で嘔吐した。

 その気持ちは、理解することができる。

 我々は踵を返し、異常な土地から脱出した。

 彼女を救うことができるのかなど、私の頭の中には無かった。

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水は方円の器に随う 三鹿ショート @mijikashort

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