“ともだち”というもの



「ふぇえぇぇ…」 



四時間目、体育後。間の抜けた声で脱力した渫奈たち一行は、果てしない教室への道のりへと着き、一歩一歩、歩みを進める。



「なーにーしーてーるーのー!!」



その後ろで、せかせかと渫奈の背中を押す玲。その顔には焦りが見えていた。

何あろう、購買ダッシュだ。はらぺこ食いしん坊な少女は、いつもすぐ食べられる学食へ行くのだが、今日は違う。先日ヒカリに分けてもらった金平糖パンに一目惚れした。そこで、初めての購買ダッシュデビュー戦、その決行日が今日だと言うのに…体育のせいであの乱闘には間に合わない。



…どうしてもっと計画を立てて決行しなかったのか、と言うことには触れないでおこう。



「歩くの遅いよぉ〜!!もう、お姫様抱っこで運ぼうか?!」



「いやだよ!!さっ流石に恥ずかしいもん!!だいたい玲ちゃんが体力おばけなんだよ!」



「本トにねー…地獄のサーキット走八周からマットで柔軟なんて馬鹿げてる」



息を切らした瑠花は、もはや若干苛ついている。無理もないが。



「いいから早くいこーよー!」



「…だれかーこの体力捕獲してー」



「…おばか?」



瑠花は呆れ気味に音を上げる。

そこにたった一人、狩人が現れた。そう、幼稚園児ならお任せ、熟練の透海だ。

素早く玲を捕まえ渫奈から引き剥がす。



「ひへっ?!」



「よし、捕獲。ほら、僕が相手してあげるからさ。」



透海は玲の手を引き、購買へと走る。

その後ろ姿を「おぉ…」と言う目でみる瑠花たちは、安堵のため息をつく。


これで落ち着いて歩ける…



透海は…本当は、自分も購買に急ぎたかっただけなんて、言うはずもないが。




****



「せーーっふ!ありがと透海!」


「ん。」


にこにこと、嬉しそうにこんぺいとうパン、を抱え、中庭へと向かう。デビュー戦は大成功だった。二人とも、お目当てのパンは買えて、大満足だった。


玲はお目当てのパンにありつけ、瑠花たちも玲から解放して、おまけに透海も購買に間に合う。

まさにWin-Win-Winだ。頭のいい透海は、そこまで計算して、実行している。



……それに比べて。



昼休み、昼食中。

ひとけのない中庭。購買で買った梅パンを食べながら、不意に透海は言った。



「…ねぇ、もし夢を叶えられるのはひとりだけですって言われたらどうする?」



少女は一瞬面食らった。普段はクールで大人しい透海が、突然そんなことを言い出すのだ。どう答えていいかわからず、目を閉じる。




「え?急に?ん〜…どうするって…」



「死んでも譲らないとか、夢なんか捨てて諦める、とかさ」



あまりに極端な質問に、内心戸惑う。

いや、戸惑いを隠しきれなかった。

透海は一年生らしくはしゃいだかと思えば、突然大人びた価値観で物を言う、そんな子だった。稀にこう言う質問もあるものの、それぞれの“夢”に関する核心をついた質問は今まで一度もなかった。この前のレポートの影響もあるのかも知れない。



「うん〜…うん〜…」



首を捻ってみたけれど、もやもやと白い煙が頭の中で立ち込めるばかりで答えを少しも導き出せない。…残念ながら、もともと万能な頭ではないが。



「透海は?」



「私?私はどっちでも良いけどさー自分から夢を捨てて諦める、とかはしたくない」



まっすぐ前を見つめて透海は言った。自分にまっすぐ生きるその生き様はかっこよくて、自分よりいくつもの経験が積み重なっているようで、時折尊敬する。

でも、透海にはどこか深くで自分に卑屈な態度をとるところがあって――。



「…そんなことより玲だよ。玲に聞いてるの」



「…あたし…は…」



もしできることなら、みんなを笑顔にしたい。したいけど、もし自分が譲ることで誰かが幸せになるならそれでいい。

私の願いは、みんなを笑顔にすること。

結局自分の願いは、叶えばみんなを幸せにできるが、叶わなくても誰か一人の夢が叶うなら、それでもいい。自分の願望よりも、周りが笑顔でいてくれるなら――



「もしそれで誰かの夢が叶うなら、諦める」



軽く俯き、そう言った直後だった。



「…ねぇ。前々から思ってたんだけどさ、玲は自分の優先順位が低すぎるよね。なんでわかんないのかなぁ…玲にも幸せになる権利、当たり前にあるんだからね?」



ぴしゃり、と故郷の友と似た言葉を、透海は言った。少し怒っているようにも思えて――その言葉に少女の口は考えるよりも遥かに先に声を出してしまった。



「別にあたしは良いんだよ。みんなが幸せならそれで――」



「だから、そう言う考えがダメなんだって。

ご丁寧に人のことばっかり考えてなくていいから」



「人のことって…あたしはみんなが幸せならそれでいいんだよ!」



「そんなこと言うなら、玲の幸せは?」



静かに言い放たれたその言葉に、固まってしまった。言葉に詰まって、即答できなかった。“自分”と言う現実を目の当たりにして、反射的に身体は怯えてしまったのかも知れない。


だって、あたしの幸せはみんなが幸せなことでしょう?


それ以外を考えたこともなく、自分の幸せなんて二の次だから。透海は、その現実を当たり前に否定した。そのことも相まってまた衝撃だった。



「もうちょっと自分のこと大切にする努力、しようよ」



「…なにそれ。分かってるもんそんなこと!!…じゃあ透海もちょっと卑屈な自分から変わるの、一緒に頑張ろうよ!!」



玲がそういうと、透海は目を見開き俯く。行き場のなくなり胸に溜まった空気を吐き捨てる。



「…もういいよ。玲はもうちょっと自分のこと、考えたほうがいいよ」



呆れた感情と、怒りの感情の入り混じった複雑な顔をしたまま、透海は教室へと戻って行く。玲は、その背中をただただ見つめることしかできなかった。



* * *



「「…」」


気まずい空気が流れる二人の間に挟まれた瑠花は、冷や汗をかく。しんとした寮内に、ひえた空気が流れる。


いつものムードメーカーとツッコミが居なければ、会話など成立しない。

この状況から察するに、揉めたのか、喧嘩でもしたのだろうか。だが、玲がすぐに謝らないのは只事ではない。

とにかくこの状況をどうにか打開しなければ…。



「ね、ねぇ玲ちゃん…なにか不機嫌?」



「…ううん。べつに」



「そっか…なんでもないです…」



終始弱々しい声で瑠花は俯いた。




無理だ。間を取り持つなんて、到底私にはできない!!



瑠花は絶望感に浸り、もう知らないとふて寝する。どうしてこういうとき柊雨がいないのだろうか。

そこまで考えて、思考を止める。考えることを諦めたのだ。



普段の玲の性格からしたら、すぐに謝りに行っただろう。だが、今回ばかりは分からなかった。



こんなふうに揉めたことなんて、人生で一度もなかったのだから。



笑麻に怒られた時。あれは喧嘩ではなくて、笑麻の感情の爆発で。それくらいの話で、お互いに言い争ったことなんてなかった。

こんなに真剣に喧嘩したことなんて、一度もなかった。解決策も、分からなかった。



誰も悪くなくて、何にどう謝ればいいのかもわからない。仲がいい“ともだち”とは、こんなにも“仲直り”が難しいものなのか。

世の中の人間は、いとも簡単にやってのけるのだな、と尊敬する。



「ただいま〜!…わぁ」



柊雨は帰ってくるなり間の抜けた「わぁ」を引き気味な表情で発する。そして、不自然なほど隙間を空け座る玲と透海を交互に見つめる。その間には瑠花がふて寝している。

揉める二人にふて寝の瑠花。あまりの情報量に、公明な彼の脳はフル稼働する。




異様な光景




「うわぁ…何があったの…はぁ。どれ、カッコいい世間慣れしたパーフェクトなこの先輩が助言してやろう」



「じゃあ助けてくださいよぉ…帰ってきてからずーっとこの調子なんです〜」



涙目で縋り付く瑠花に、柊雨は優しく頭を撫でる。だがその表情も一瞬で、すぐにコロリと変わってしまう。



「よーしよーし…大変だったね〜!…ほら、瑠花は玲をどうにかしてね」



柊雨はぐいっと玲の腕を引っ張り、瑠花に押し付け、そのまま透海を外へ連れ出した。

有無を言わさず玲を預けたのだ。

突然のことに驚いた瑠花は共に残された玲に目配せし、



「…えっ急に問答無用?!うう…仕方ない」



「ほら、理由教えて」



とこちらに向き直り言った。



****




「あらら〜まぁよくあることさ」



先程までの涙目はどこへやら、ホッとしたため息すら吐く瑠花。そこに、玲は口を開く。



「よくあることなんかじゃないよ!!

あたしだって真剣に悩んでて…」



「分かってる。わかってるよ。だからこそね。」



得意げに微笑む瑠花。淡く染まる空に、軽く視線を動かす。瑠花は「まぶしっ」と言って、カーテンを閉める。くるりと振り向き軽く微笑む。



「謝り方、分からないだけでしょ?」



どくん、と大袈裟でなく心臓が跳ねる。

瑠花は図星をついてくる。まるで何かを見据えたように。



「…うん。どーしたらいいか分かんない」



「そーだねー…どっちも悪くないもんね。

お互いの意見が噛み合わないと言うか…」




「まぁ、玲ちゃんは玲ちゃんなりに謝ったらいいと思うよ。それこそ、自分の良さを活かして、ね」



「分かってるんだけど、何にどう謝ったらいいか分かんないの」



お互い悪くないなら何に謝ったらいいのか。何をするのが最善なのか、少女には分からなかった。訳もわからない違和感が胸を掠め、痛めつける。こう言うところが足りない、とよく父に言われた。


お互いのすれ違い。


それ以外に、互いの悪いところなんて何もなくて――



「うーん…強いて言うならね、透海に『頑張れ』っていったこと。」



「頑張れ?そっそれは応援の気持ちで」



「そうだよね。悪気はないのはじゅうぶん分かってるよ。でもね、『頑張れ』って時に追い打ちをかけて、閉じ込めるの」




「既に頑張ってるひとにね、追い討ちかけるよーに『頑張れ』って言っちゃいけないんだよ。きっと玲は、そんなつもりもないし、本トに心からそう思ってるかもしれない。でもね、透海はもう十分頑張ってるんだから。

そこは分かってあげるべきだったかな」



その言葉に、少女の心は衝撃を受けた。


少女に足りなかったのは、理解力。

瑠花の話は深みがあって、少女はようやく自分の心に巣食う違和感に気がつく。

やっと謝る対象が、自分の間違った考えに気づいた気がして――



瑠花は深みのある言葉を言ったと思えば、そのままベットに倒れ込む。


「ね、ほら。仲直りしておいでよ」


軽く促し、背中を押した。

瑠花の優しい微笑みは聖母のようで――なんて言ったら怒られるかな、と少女は思いつつ、迷いの無くなった晴れやかな顔で玄関の扉を開け、飛び出す。


瑠花はその背中を消えるまで見守り、やっとのことで肩の力を抜いた。



「…素直って、いいねぇ」



しみじみと、一人残された部屋で、瑠花は呟いた。





その頃、柊雨は中庭で、透海の悟りを開かせる――

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