第54話 神樹の里エンブロシア

 エルフ族の本拠地である〝しんじゅさとエンブロシア〟に入るため、僕はリセリアに連れられて〝リーゼルタ王立魔法学校〟へとやってきた。


 しかし校門の前に辿たどくなり、彼女の手によって僕に〝目隠し〟が装着される。


「あの……。これは?」


「王立魔法学校への観光客の立ち入りは、本来禁止されておりますので。これも重要機密を保護するためでございます。それに学校ここには、女生徒しかりませんし」


 さっきは〝勇者〟扱いをしてくれたというのに。やはりリセリアの中では、僕の評価は〝観光客〟止まりなのか。


 僕はリセリアに手を引かれながら、石で出来ていると思われるろうの上を歩いてゆく。周囲からは時おりクスクスという笑い声や、少女の甘いにおいが漂ってくる。なるほど、確かに彼女の言うとおり、ここは女生徒ばかりがるようだ。


             *


「さあ、到着しましたよ。いたいな生徒が無事でなによりでした」


 リセリアは言いながら、僕の顔から〝目隠し〟を外す。さきほどから彼女の言動に関しては、不本意な誤解が非常に多く感じられる。


「ありがとうございます。――って、これは桜?」


 僕が連れて来られた場所は、石垣で円形に囲まれた、小さな中庭らしき場所だった。まるで井戸の中のような中庭の中心には、一本の大きな桜の樹が生えている。



「ええ、見てのとおり桜でございます。詳しい解説をお望みですか?」


「いえ。今はエンブロシアへ行くことが先ですから、可能ならば簡潔に」


 リセリアの話によると、この〝桜〟がエンブロシアへの入口らしい。


 彼女にうながされるままに僕が手を伸ばしてみると、わずかに空間にらぎが生まれ、根元に大人のサイズほどの、白いうずが現れた。


「それでは、いってらっしゃいませ。ルゥラン様は非常にげんかくな方であると聞き及んでおります。くれぐれもリーゼルタの品格を疑われぬよう、そうのないように」


「リセリアさんは、ついて来てくれないんですか?」


わたくしは招待を受けておりません。心配なさらずとも、あちらで担当者が待機しておられるかと。里の中で、人間ヒュレインを自由にさせるとは思えませんので」



 僕はリセリアに礼を言い、軽く身だしなみを整えたあと、渦の中へと静かに足を踏み入れた。内部はミストリアの空間のように白い世界が広がっており、あたかも上下の感覚がなくなってしまったかのような、不思議な浮遊感がおそってくる。


 あの空間エントランスとの違いがあるとすれば、ここでの視界は真っ白ながら、手足はしっかりと見えていることだろう。金色の髪や赤いマントが大きくれていないことから、空間そのものではなく僕自身の感覚だけが狂わされているだけなのかもしれない。


 僕は〝前へ進む〟という意志を持ち、しっかりと足を踏み出してゆく。すると視界の先がまばゆく輝き、視界が一気に〝みどり〟に染まった――。



             *



 神樹の里・エンブロシア。

 僕の視界に飛び込んだのは、まさにイメージどおりの光景だった。


 足元の地面は大きな樹木の太い幹のようであり、迷路のように伸びた枝の先に、樹をくり抜いて造られた家々が点在している。


 さらにはどうやって建てられたのか、空中に生えた石造りの建物にはりょっこうを放つ橋が架かり、この中心となるたいぼくと、それらの施設を結んでいる。


 現在いまは夕方だったはずなのだが、ここで空を見上げてみても、桃色がかった陽光ひかりが木漏れ日のように差し込んでいるだけだった。


 本当に、このエンブロシアそのものが、異空間の内部に存在しているらしい。


             *


「ようこそ、勇者アインス様。マナリエンたちの国、しんじゅさと・エンブロシアへ」


 僕がキョロキョロと辺りを観察していると、長い金髪をなびかせたエルフ族の若い女性が、前方から近づいてきた。


 彼女にあいさつを返そうと姿勢を正した時、僕は不意にに気づく――。


「あれっ、もしかしてレクシィさん?」


「えっ!? どうしてわたくしの名を」


 目の前にいる彼女はヴァルナスの大切な人であり、僕が〝ようへい〟の世界で最期の瞬間に見かけた、〝レクシィ〟その人だったのだ。



「あっ、すみません。実は昔、ヴァルナスさんから聞いたことがありまして」


「ヴァ――! ヴァルをご存知だったのですか!?」


 レクシィは急に大声になったかと思うと冷静さを取り戻し、やおら周囲へ視線を巡らせる。そういえばヴァルナスは、ここを追放されていたのだった。それに〝この世界〟では、すでにリーランドさんの手によって――。


 僕はかつな話題だったことをび、レクシィに対して頭を下げた。


「いっ、いえ……。そんな……。わたくしの方こそ、取り乱してしまいまして……。ともかく、まずはルゥラン様の所へご案内いたします」


 レクシィは小さく咳払いをした後に、僕と共に樹木の道を歩きはじめた。



 どうやらエンブロシアには政治を司る評議会の他、裁判所や大学といった施設も存在しているらしい。それらはエンブロシアが〝外〟にった頃からの伝統的なものらしく、後にガルマニアやネーデルタールなどにも広く継承されたそうだ。


 自身の心を落ち着かせるためなのか、レクシィが僕に観光案内をしてくれる。


「ヴァルとは大学時代からの恋人同士だったんです。でも、が切っ掛けで、彼とわたくしは里を追われ……」


 しかしながら、やはり話題はヴァルナスのことに行き着いてしまうのか、レクシィは彼との思い出話を、小声で僕に語りはじめた。


 将来を誓い合い、無事に大学を卒業した二人。その後ヴァルナスは護衛騎士として、レクシィは評議会の一員として迎え入れられるはずだったのだが、それを目前とした時に、ヴァルナスが〝魔の血族〟であることが判明してしまったらしい。


「マナリスタークは大いなる災いをもたらす者。里の掟では、即刻の処刑が絶対でした。しかしわたくしが必死にルゥラン様を説得し、彼と共に里を追放されることで、どうにか命だけは助けてもらうことが出来たのです」


 里を追放され、現実界へ出たレクシィは教師として、ヴァルナスは傭兵としての暮らしを続けることになったのだが――。ヴァルナスの心の内には、深い憎悪の炎が静まることもなく燃え続けていたようだ。


 やがて彼はレクシィからも距離を置き、治まらぬ憎悪のぐちとすべく、過酷な戦場に身を投じ続けていたのだそうだ。


「しかし先日の戦争で、ヴァルが戦死したとの情報が入り……。彼との間に子供も居なかったということで、わたくしは里へ呼び戻されることとなったのです」


「そう……、だったんですね」


 レクシィの話を聞いていると、僕ののうにエレナの姿が浮かんでくる。僕が居なくなった世界。あの世界のエレナや我が子は、幸せになってくれただろうか。



 僕は少し迷ったものの、自身がてんせいしゃであることや、別の世界での体験をレクシィに話してみた。おそらくは彼女も真に世界を救うための、重要な〝鍵〟を握っている。今の僕には、そんな気がしてならないのだ。


「そうですか……。別の平行世界でも、ヴァルは……」


「僕が知っているのは二つだけです。それに、あの世界では、あなたはあきらめてはいませんでした。彼の〝墓〟にすがりついてもなお、彼に会うと誓っていましたよ」


わたくしが……? ええ、そうよ……! そうだわ、きっとルゥラン様が〝とき宝珠オーブ〟の使用を許してくだされば……!」


 レクシィは青い瞳に決意をたたえ、両の拳をにぎりしめる。そして再び周囲を警戒するように、首を左右に動かした。


「またわたくしったら……。ありがとうございます、アインス様。やはり諦めては……。まだ希望を捨ててはいけないのですね」


「ええ、そうですよ。僕だって、絶対に守りたい世界ものがあります。そのために何度も失敗を繰り返し、ようやくエンブロシアまで辿り着いたんです」


 僕の言葉に、レクシィが優しげな笑顔を浮かべてみせる。


 話を続けている間、自然と遅い歩調になっていたせいもあり、ようやく僕らは目的地である、評議会本部へと辿り着いた。


             *


 ひときわ大きな巨木をくり抜かれて造られた議事堂には、布や植物の繊維を用いて織られた、原色のタペストリーが多く飾られている。足元のじゅうたんは動物の毛皮を縫い合わせて作られており、僕らが足を進めるたびに獣のにおいが立ちのぼってくる。


「ルゥラン様がじょうに客人を入れるなど、滅多にないことだと聞いております。もしかすると何か、よからぬ考えをなさっておられるのかもしれませんね……」


「えっ、そうなんですか?」


 僕は冷静さを保つよう、わざとひょうひょうとした言葉を返す。


 大長老ルゥランに関してはレクシィのみならず、アレフやエピファネスやリセリアからも、いくとなく『厳格な人物だ』という評価を聞かされ続けている。


「はい……。もしもルゥラン様と戦うようなことになれば、迷わずお逃げになってください。おそらく彼には……、誰もかなうことはありません」


「うっ……。そうならないことを願います……」


 戦いになることなんて望まないが、世界を救うために必要ならば、黙って引き下がるつもりもない。僕はレクシィから見えないよう、密かに拳を握りしめた。


             *


 円形に続く廊下を進み続けると、やがて光沢のある重厚な木製扉が現れた。どうやら、ここが目的の部屋らしい。レクシィは僕にくばせをし、準備の確認をする。


 そして僕がうなずいてサインを示すと、レクシィが扉を三回ノックした。


「レクシィです。ご命令に従い、勇者アインス様をお連れいたしました」


 議事堂内には僕らの他にひとはなく、しんと静まり返っている。するとレクシィの言葉のしばし後、扉の奥から透き通るような、若い男性の声が響いてきた。


「よろしい。入りなさい。――ろん、覚悟が出来ているのであれば」

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