第45話 勇者の旅立ち
農園を旅立つことに決めた僕は、最後の野良仕事に出た。僕が育てきった野菜は、生長の早い〝サラム
エレナとゼニスさんの二人になれば、さらに作地は減ってしまうだろう。野菜を収穫した僕は、農家に近い部分にのみ、新たな種を
*
収穫と農地の整備を終え、今度は西の森へと入る。
夕闇に染まりつつある森では数名のアルティリア戦士団員が魔物討伐を行なっており、いたる所に
僕は戦士の中にカタラの姿を見つけ、彼女の元へと近づいてゆく。
「オッス、アインスじゃん。今日は珍しく遅かったね」
カタラは愛用のクロスボウに
僕は明日、農園を旅立つことを告げ、カタラに戦士団長アダンの所在を
「団長なら北の方へ回ってるよ。ワーウルフどもが減ってきたんで、代わりにハイコボルドが幅を利かせはじめたんだってさ。――そっか、ついに行っちゃうんだ」
カタラは僕に応対しながらも、正確に魔物を射抜き続けている。僕は厚かましいとは思いつつ、彼女に〝農園〟とエレナの警護を願い出た。
「イイよ。こっちは任せて、アンタのやるべきことをやんなよ。シルヴァンだっけ? そいつが妙な真似したら、バッチリ
「はは、心強いよ。うん、できれば
「アハハッ! ジョーダンだよ。……まっ、アタシも〝殺し〟からは足を洗ったつもりだし、拾ってくれた団長にも悪いからさ」
明確な確証はないものの、おそらくカタラはランベルトスの〝裏の部分〟との繋がりがあったのだろう。それは身のこなしや戦い方、そして彼女が時おり見せる、悲しみを
「そんじゃ、団長にはアタシから言っとくから。しっかりやってきなよ!」
「うん、ありがとう。
僕はカタラと別れの挨拶を交わし、西の森を
これで僕も安心して、エレナの元を去ることができる。
魔王という絶対的な
*
すっかり
あの星の一つ一つが〝世界〟であり、ミストリアスも〝その一つ〟にすぎないのだとすると――神々にとっては世界を一つ消し去ることなど、虫食いの麦を
それでもミストリアスの人々は生きている。
そして僕も、この世界で生きてゆく。絶対に
僕はいつものように靴と
「おかえり、アインスっ! ちょうど
エレナの料理はいつでも〝御馳走〟なのだが、今夜は一層豪華だった。
定番のスープやパンと野菜炒めの他、肉を使った料理も多く並んでいる。肉は街まで買い付けに行かなければならないため、僕のために消費させるのは気が引けてしまうのだが。
「いいの、特別なんだからっ! さぁ、冷めないうちにどうぞ!」
「うむ。いただくとしよう。アインスさん、乾杯じゃ!」
僕とエレナとゼニスさんと。
掛けがえのない三人でテーブルを囲み、僕らは素晴らしい料理を
*
最後の
このベッドで眠れるのも今夜が最後。魔王に勝利しても敗北しても、僕が〝アインス〟になれるのは、もはや今回限りなのだ。
僕は使い慣れた剣をポーチに入れ、代わりに〝
新たな
僕は寝巻きに着替えたあと、柔らかなベッドで横になった。
*
翌日。僕がミストリアスで迎える七日目の朝。
――ついに旅立ちの時がきた。
僕はベッドから起き上がり、青い戦闘服に袖を通す。エレナの父の形見ということだが、彼女が仕立て直してくれたこともあり、まるで着心地に違和感はない。
服の上に赤いマントを
部屋の
この装備に恥じぬためにも僕は勇者となり、世界を平和にしなければならない。
*
「おはよっ、アインス!……うわっ!? すごくかっこいいっ!」
「おはようエレナ。あはは、似合ってるかな?」
面と向かってエレナに
リビングには朝食が用意され、こうして彼女が迎えてくれる。しかし当たり前になりつつあった日常も今日で終わり。僕は
僕はエレナに礼を言い、最後の朝食を平らげた。
「おはよう、アインスさん。ほっほっ、よく似合っておるの」
「おはようございます、ゼニスさん。ありがとうございます」
部屋から出てきたゼニスさんに、僕は深く頭を下げる。ゼニスさんは毎日生き生きとしており、〝農夫〟の世界の彼のような、弱々しい老人らしさは感じなかった。
「そうじゃエレナ、わしの部屋から〝アレ〟を取ってきておくれ。アインスさんの
「アレって……? あっ、おじいちゃんのカメラね! わかったっ!」
エレナは小さく手を叩き、小走りで奥の部屋へと向かう。
その後ほどなくして、四角い木箱を手にした彼女が戻ってきた。
「おまたせっ! これは昔の旅人さんが発明した、なんか錬金術で絵を描いてくれる
あまり使っていなかったのか、箱から金属製のカメラを取り出しながら、エレナが状態を確かめる。
「いや、僕も見るのは初めてだよ。へぇ、そんな形をしてたんだ」
両手で
僕の世界ではカメラといえば、主に監視や調査に使われるものだ。こうして〝絵〟として記録するタイプのものは、とうの昔に規制されてしまっている。
個人が記録を保持するためには、自身の脳に記憶させる以外の方法は無いのだ。
*
まるで僕の門出を祝福してくれるかのように、空は晴れ渡っていた。
屋外へ出た僕は台座代わりの木箱を積み、ちょうど良い高さにカメラを置く。
「うむ、素晴らしい天気じゃ。さあ、そこに三人で並ぼうぞ」
ゼニスさんの指示で、僕らは家を背にして並ぶ。
僕を中心に、エレナとゼニスさんが両サイドに立つ。
「さて、準備は良いかな? しばしの間だけ、じっとしておるのじゃぞ?」
「うんっ。なんだか緊張するね」
「では
彼の言葉に反応し、カメラが小さな作動音が鳴らす。今ので撮影は完了したのか、ゼニスさんが大きく深呼吸をした。
「……ふう、完了じゃ! あとはわしが魔力を流し、しかと転写しておくからの」
「すぐには見られないんだ? 残念だなぁ」
「これでもすごい技術なんじゃぞ? なに、わしの腕にかかれば、軽く千年は
僕は二人に礼を言い、別れの挨拶をしようとすると――エレナが手に下げていた、
「アインス。はいっ、お弁当! ちゃんと
「ありがとう。――うん。早めに、大切に食べさせてもらうよ」
エレナは僕の
「それじゃ、どうか気をつけて……」
「アインスさん、この世界を頼んだぞ」
エレナもゼニスさんも、僕の旅が非常に困難なものになると察してくれているのだろう。短い別れの言葉の中に、二人からの思いやりを深く感じる。
「はい。二人とも、どうか元気で」
僕は深々と頭を下げ、大地を踏みしめながら東へと向かって進む。
当然、移動には
ふと後ろを振り返ると、エレナとゼニスさんがこちらへ向かって手を振っていた。
僕も大きく腕を振り――。ここですべての未練を断ち切らんとばかりに、アルティリア王都までの道のりを全速力で駆け抜けていった。
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