第28話 守るべき存在
アルティリアの酒場に入るなり、耳に飛び込んできた信じ難い言葉。
小さな農園が、魔物の群れに
それは、つまり――。
「そっ、その農園は!? まさか、女の子が運営してる――ッ!?」
「おう? なんだ
「アルティリア戦士団が片付けたってよ。チンケな畑はガルヴァンさんとこが引き取るだろうし、あの人にゃ、俺らも〝いい思い〟をさせて貰ってるからな!」
男らは
名状しがたき感情が、渦を巻いて押し寄せる。この男たちを、もういちど斬り殺してやるべきか。……いや、そんなことをしたところで、現状はなにも変わらない。もう、なにも変えられない。もう、なにも――。
顔を伏せたまま不愉快なテーブルから離れ、僕は旅人専用の地下酒場へと向かう。この賑やかな喧騒のどれもこれもが、笑顔のすべてが、酷い悪意に感じてくる。
小娘とジジイだって? 僕にとっては大切な人だ。
エレナがいなくなったのに、なにがそんなに愉しいんだ。
もう、何もわからない。頭の中がいっぱいだ。
とにかく今は、独りになりたい。
◇ ◇ ◇
地下酒場には誰も居らず、前回と同様に丸テーブルが整然と並べられていた。
僕は言葉にならない奇声を
「うわあぁあ゙あ゙っ――ッ! あぅがあぁ――!」
いったい、何をやっているんだろう。
どうして涙が止まらない?
この感情は、いったい何だ?
あの男たちを撃退した時に感じた〝怒り〟とも違う。
ゼニスさんを見送った時の〝悲しみ〟とも違う。
これは、いったい、何なんだ?
僕は休むこともなく、手近なテーブルを次々と投げ飛ばす。
しかし、そんな暴力的な行動とは裏腹に――。
どこか僕は冷静に、冷めきった頭で
◇ ◇ ◇
一通りの破壊衝動を発散させ、僕は倒れた椅子の一つを起こす。
そして燃え尽きた様子で腰を下ろし、荒ぶった呼吸を整えた。
「落ち着かれましたか?」
いつから
ガックリと肩を落としていた僕の背後から、落ち着いた男の声がする。
そちらへ
「……すみま……せん……。荒らし……て……。荒らしてしまって……」
「
彼は壊れたテーブルを奥へ
「どうぞ」
自分への情けなさから目を背けるように僕が顔を伏せていると、目の前に配置されたテーブルに、小さなカクテルグラスが載せられた。
僕は彼に礼を言い、薄青色をした液体に口をつける。
清涼感のある甘みが脳を突き抜け、一気に思考がクリアになったかのような。
そんな不思議な感覚が、僕の全身を包み込んでゆく――。
「そいつは、バルド・ダンディ。
「え……。ええ……。とても美味しかったです。ありがとうございます」
すっかり落ち着いた僕が礼を言うと、彼は紳士的な動作で、丁寧にお
「僕はアインス。旅人です。あなたは……?」
「私は
元・旅人ということは、エレナと子を成したアインスのように、この世界に残された
「じゃあ、あなたも別の世界から?」
「
確かに。異世界に留まることのできる限られた期間を〝産まれたての赤子〟で過ごす旅人なんて、そう滅多には居ないだろうし。僕ら異世界人によって、彼らのような
生きるべき〝この世界〟での記憶は、数十日分しかないというのに。何の役にも立つことのない、〝別の世界〟の記憶ばかりを持たされる。それは、この世界で生きる〝抜け殻〟たちにとっては、あまりにも
ある意味、前回の
「すみません……。僕らの身勝手で、本当になんと言えば良いか……」
「ああ、そんなつもりじゃねえんです。気にしないでくだせえ」
僕らは互いに頭を下げ、まるで慰めあうかのように謝罪の言葉を口にする。
しかし、どうにも居心地が悪くなってしまった。
僕は彼に諸々の礼を言い、地下酒場を出ることにした。
◇ ◇ ◇
地上の酒場には〝あの二人〟の姿はなく、相変わらずの喧騒だけが続いている。なるべく店内を見ないようにテーブルの間を素通りし、僕は一直線に街へ出た。
街には爽やかな風が流れており、朝ということもあって人通りも
そんな中、僕は以前から気になっていた、円柱状の
石で出来た柱には所々に
石柱の部分を確かめてみると、〝MYSTLIA〟や〝ALPTILIA〟といった、アルファベットが刻まれている。これは〝ミストリア〟と〝アルティリア〟――と、読むのだろうか。
なにげなく
《……ポータル登録完了。現在地・拠点アルファ。目標・登録なし。転送プロトコルを実行できません……》
今のは何だ? とても無機質で機械的な、まるで
「これはもしかすると……。
僕は
これは何を意味している? 不明なことは大抵、
そんなことを考えていると――。
ふと目の前に、緑色の髪をした、幼い少女が居ることに気がついた。
汚れてボロボロになった服を着た、孤児らしき女の子。
彼女は不安そうな表情を浮かべ、じっと僕の顔を
この子は確か、二回目の
「……泣いてるの?」
「えっ?」
少女からの思わぬ問いかけに、僕は間抜けな声で反応する。
――ああ、そういえば。
地下の酒場で暴れたあと、僕は汚れた顔を
「大丈夫……?」
「あっ、うん。大丈夫だよ。ありがとう、お嬢ちゃん」
服の袖で顔を
しかし、こうして会話のきっかけができたのは幸いだが――いったい、これからどうすれば良いのか。僕は当然ながら、子供の相手なんて経験がない。
やはり前回と同様に、この子の保護を教会に頼むべきだろうか。とりあえず、今回は逃げられなくて済みはしたが、まだ警戒心は解かれていないようだ。
いきなり教会へ連れていく前に、もう一つほどクッションが欲しい。
「僕はアインス。お嬢ちゃんの名前は?」
「う……? ミチア……」
「ミチアか。――えっと、お腹とか
ミチアはしばらく押し黙っていたが、やがて小さく
こちらから静かに左手を差し出すと、彼女は震える右手で僕の手を握る。
「よし、決まりだ。あー、なにか食べたいものはあるかな?」
「……パン」
「わかった。それじゃパンを探しにいこう」
ミチアの手を優しく握り、静かにベンチから立ち上がる。
そして僕は彼女と共に、商店が並ぶ〝通り〟へと向かうのだった。
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