第3話

 あれから三時間程度が経過しただろうか。俺は黙ってスケッチブックを開いていた。今日の出来事を記録するためだ。


 これは探索者としての術でもあり、個人的なライフワークのひとつでもあって、五年間積み重ねてきた量は膨大なものである。

 形式などは気にせず好きに書いてはまとめているから、正確な数は知らないが【No.574】と表紙にあるのですくなくともそれくらいはある。


 まあ……まとめているうちに面倒になってきてしまい、押し入れにぶち込んでからほとんど読み返すことがなくなった現在は、日記の代用に成り下がってしまったのだが。


 書き留めながら、思い出す。


 あのあとも周防さんはマシンガンのような質問を続けようとしていたので、無理やり切り上げてベランダから帰した(これには理由がある。叩き出したワケではけっしてない)。

 

 彼女は「後日お礼を」なんて社交辞令じみたセリフを吐きながら、連絡先を寄越してきた。メモ帳に電話番号を書くなんて、ずいぶん古風なやり口だな……なんて思う。そういうのは嫌いではなく、妙なところで気が合っていたが、あの興味本位の視線からはエネルギーを吸い取られるような気分がして疲れてしまった。


 だからまあ……連絡するのもはばかられるし、まあいっかという感情しか残ってはいなかった。それにどこか、美人だがいわゆる残念美人の臭気が漂っていた。


「はぁ……」


 ため息をつきながら、さきほど狩ったモンスターについて考察しようとして、やめた。悲しかったからだ。


 スキルを解除しなければ【自宅召喚】は継続するらしく、玄関からまたもとの場所へ戻ったのだが、モンスターの影も形もなく、ドロップアイテムもなかったのを見た瞬間、愕然としてしまった。


 たいした労力ではなかったが、それでも過程を考えればこそ許されてしかるべきだ。八時間も……返してくれ。


 ただ働きだった。


 ……周防さんの命が助かっただけでも、儲けたものと思おう。


 『スパゲッティモンスター』と書いてその上に子どものラクガキと相違ないスケッチを付け足した。


「もう書くことがなくなってしまった……」


 日記というのは往々にして書くタネがなかったりするものである。

 べつにそれでも悪いことじゃないんだが、今日の俺は納得ができないといった感じの気持ち悪さを覚えていた。


 なにか忘れているような?


 にしても、そういえば、たしか……と思いつきそうな接続詞を前頭葉のどこからへんに浮かべて、集中してみる。


「あなたは【扉の人】ですか? ……あ~」


 さりげなく口に出てきたものだが、案外ピンときた。


「【扉の人】ねえ……」


 まったく聞き覚えもなく、適当に流したつもりだったが、自分のなかでは咀嚼しきれずけっこう気にしていたのかもしれない。

 誰とも知らぬ人物ではあるが、間違われるにはそれなりの理由がいるし、なんなら有名人であればぜひとも一度拝見したいものだ。


 そう思って……充電コードからスマートフォンを引き抜いた。


 なにげなしに無機質な検索サイトの空欄へ『と』と打ち込めば、妙なことにサジェストの最上位に君臨していた。それどころか、その尾ひれには『実在』とか『素顔』とか『年齢』……『学歴』なんてものもあったのでつい笑ってしまった。


「ふふっ……結構有名人っぽいのか」


 指の先でおしてみる。


「『扉の人、実在していた』再生数……九〇〇万。いや、一時間前?」


 そんな内容の動画が一番上にあった。

 一時間前で九〇〇万なんてあり得るのだろうか?

 

 国内では新気鋭のミュージシャンのMVでも珍しいものだ。

 普通に気になって見てみた。


「あれ……? 周防さんじゃん」


 そこに移っていたのは、ついさっきまでこの部屋にいた彼女。

 ライブのマークがついているので、配信をしていたということを理解した。


 あっ。


 理解してしまった。なにか大変なことを。


 それなりの探索者であれば、死線はくぐるもの。

 危険が迫ればカンがはたらいて、そういうときはイヤな予感がする。

 それと同じものがいままさに……いや。そんなはずは。

 

 ただの動画だろ。なんて頭で視聴を進めるたび、予感が過熱していくのが感じられた。脳みそが茹ってバカになっているのか、なにも考えられない。


 震える手で画面をタッチすると、三時間あったので注目度メーターの高いところのすこしばかり前に進めてみた。

 周防さんは中層あたりで、遺跡のような構造物にはいり、魔法陣を踏んでしまっていた。紫色の妖光が液晶の長方形を激しく照らす。


 それが落ち着いたとき、あたりには青く広い空があり、雲が急速に遠ざかり……いや、周防さんが落下していたことは知っているのだが……。


 コメントが滝のように流れていた。

 心配の声、応援の声、諦めの声。


『マオちゃん……』

『噓でしょ』

『死ぬところなんて見たくないよ』


 そんな感じのコメントが目で追えないくらいには。


 周防さんは配信者だったのか。なるほどなぁ。

 で、今日この配信をしていて……で、おそらく配信が終ってからこのタイトルに変更したんだな……。すっげえバズってるし、よかったな!


 顔は映ってないはず……あ、思いっきりインタビューしてた。

 家のなかも撮影されたのか?

 冗談じゃ……「ポニーテール」が好みとか言ってワンチャン狙いもバレた?

 バレてない。いやバレてる。俺、キモかったか?


 明日からどうなるんだ?


 そこまで考えて、俺は限界だと悟った。


 思考放棄を決断し、明日の俺に託すことにしたからスマートフォンの電源を落とし、代わりにペンを持ってスケッチブックにこう書いた。


「周防マオ……090の……明日連絡……必ず」


 





 

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