産怪
七海 司
本文
河原の石を持ち帰っては行けない。悪いものが憑いているのだから。そんな話を遠い昔にばあちゃんがしてくれた気がする。だから川の石を持ち帰った時に、憑いていた怪異を家に招き入れてしまったのだろう。
けれど、動かなくなったこれは本当に怪異だったのだろうか。
手の中にある生々しい感触を消したくてぐっと握り込んだ。
※※※
深夜二時。
じじじザザざ。
聞こえるはずがないラジオのノイズ音が気になって目が覚めてしまった。
寝返りを打ち、無視して寝ようとするがどうにも寝つけない。体を渋々と起こして音源を探すために目を凝らすと、常夜灯の薄ぼんやりとしたオレンジ色の光が四角い部屋を円状に照らしている。仄かな橙色に染まらなかった四隅の一角である黒から音がでている様だ。
あそこには鉱物ラジオがあった気がする。けど何で勝手に?
じじじざーざーざざーざざざー。
荒ぶる川を水が流れている様な音のそれは次第に周波数があっていくのか明瞭な言葉に変わって行く。そして男の声で優しく眠気を誘う様に語りだす。
「妊婦から生まれる怪異というのは古くから各地で語られていますね。今の時代調べればオケツやケッケなどは簡単に情報を得る事ができますね。オケツとケッケは姿形は違いますが、共通点があるのです。生まれたら逃げられる前に殺さないと妊婦を殺してしまうと言うものなのですが……」
じじじじじじ。
アラームがけたたましく鳴いて目が覚めてしまった。夢見が悪く布団から出たくない。じじじと煩いスマホを止めた流れで頭にこびり着いている産怪を検索する。
そんなものはヒットし無いと信じて。
「縁の下や火の中に入りたがる……槐の薪で殴り倒した……殺さないと妊婦の命が危うくなる……」
文字を読むほど眉間に刻まれた皺が深くなっていく。
知らない妖怪の話なのに夢で見たものと同じ情報があった事に困惑を隠せない。
「生まれたら逃げられる前に殺さなければならない……」
つぶやき声だけを部屋に閉じ込めてリビングへと向かった。
自分の目を疑った。纏わり憑いているのだ。母さんの大きく膨らんだ臨月間近のお腹に、小さな胚の様な有形無形の有象無象が群がっている。あんなモノ今まで見たことも無いのに、ハッキリと見えてしまう。
驚きと戸惑いで眼を見開いてしまっていたのだろう。母さんが声をかけてくれる。
「どうしたの怖い顔をして」
聞こえていたけれどもそれよりも先に払い落としたかった。だから、お腹を撫でるふりをして全部祓い落としてやった。
「ううん。何でもない」
ぶっきらぼうな物言いになってしまった事をちょっとだけ後悔して言葉を続ける。けれど、なんて言っていいのか分からなかったから、「無理しないでね」と無難な言葉を選び、誤魔化すために、湯気を上げている出来立ての味噌汁を啜った。お出汁の香りが鼻から口腔へ抜けてくる。熱い汁を一気に嚥下してさっきとは別な理由で後悔した。
「不思議ね。お腹を撫でてもらったらさっきまでの辛さが和らいだわ」
やっぱり、あの変なやつらは良くないモノなんだ。
※※※
深夜。
じじじざーざーざざーざざざー。
また、ラジオのノイズが聞こえてきた。昨夜と違って今日はどこから音が出ているかはっきりと分かった。河原で拾った鉱物を使って作った鉱物ラジオだ。
「朝方は、払い落とされてしまいましたが彼の目を盗んで産怪の子供達は何とか母胎へ入る事ができたようですね」
入れたと言う言葉に心臓が大きく急に脈打ち頭へ血が上る。跳ね起きようと腹筋に力を込めるも動く事ができない。肩を揺すろうとしても縫い付けられている様に動けない。ラジオを止めたいのに止められない。このラジオはきっとあの世の電波を受信しているに違いない。
そんなモノ聞きたくも無い。
「入ったオケツへインタビューしてみましょう」
『れたハイレタハイれたはイれたはいれたハイレタハイれたはイれたはいれたハイレタハイれたはイれたレたれたれた」
「大変喜んでいることが伝わってきます。産まれることは慶事ですからね。大変喜ばしいです」
「ウレシイ、ウレシイ、うれしい」
壁に立てかけていた木刀が、カタリと音を立てて風もないのに倒れた。その音で身を縛っていた恐怖の鎖が断ち切れた気がする。
何がオケツだ。蹴飛ばしてやる。待てよ。対策ならある。
気づいた瞬間、頭の芯が冷えて冴え渡る。すると見えていなかったものがくっきりと見えてきたではないか。このラジオは産怪への対処は隠す様に何一つとして話してはいない。産怪が産まれることを喜ぶこのラジオは言えるはずもないのだ。
産怪を殺すことのできる槐の木については。
気づきは得た。
幸いなことに槐の木は部活で使っていた木刀がここにある。
「これで母さんを守れる」
待ってろよオケツ。生まれた瞬間に叩き潰してくれる。縁の下も火の中も入れるもんか。
※※※
それからと言うもの妹が生まれてくるのを楽しみにしながら、母さんのお腹に纏わりついている悪いモノを頻繁に払い落としては、庭で木刀の素振りをする毎日になった。
妹の名前候補が絞られるにつれて有形無形だった産怪の輪郭がはっきりと人の様な形になってきた。名前の候補が挙げられるたびに嬉しそうにはしゃぐ産怪に苛立ちすら覚える。その名はお前の名じゃない。妹のものだ。
※※※
庭で木刀を振っていると家の中が慌ただしくなってきた。断片的に聞こえた会話から予定日よりも早い陣痛がきたらしい。すぐさま産院へついて行く準備を手伝う。事前に父さんと役割分担をしていたから連携はスムーズだった。
産院へ向かう車の中で母さんのお腹に群がる有象無象を必死に払い落とした。何度も何度も登ってくるそいつらを負けじと何度も何度も何度も払い落とす。
守らなきゃ。
母さんを守らなきゃ。
妹を守らなきゃ。
払い落とす度に使命感で頭がいっぱいになる。
逃すもんか。
決して逃すもんか。
母さんに寄せつけない様にする度に槐の木刀を握る手に力が籠る。
有形無形の有象無象は、まるで命乞いをしているように手を振り止めようとしてくる。白々しい。隙を作って逃げ出すに決まっている。
産院に着く頃には頭の中は真っ白になっていた。
父さんが抱き抱えていた妹の顔は猿の様で人の子には到底見えなかった。
だから、自然と体が動いてしまった。
人と違う顔ならそれは産怪だ。
生まれたモノに渾身の力をこめて木刀を振り下ろした。
産声と断末魔は同じだった。
「これで母さんも妹も守れた」
※※※
母さんと父さんは、産声を聞いて安心したのか呆然としている。何故か外の空気を吸いたくなり、駐車場横のベンチへ向かった。
警察車両と報道陣で産院の小さな駐車場がごった返している。一体何があったのだろうか。
夕暮れ時の赤色光で手が染まって見える。
フラッシュの白色光とシャッターを切る音が喝采のように聞こえる。
警察官にガッチリと押さえ付けられ手にしていた槐の木刀が、からん。と乾いた音を立てて落ちた。
その音を聞いて憑き物が落ちたかの様に頭の中のモヤが晴れた。
晴れてしまった。ラジオのノイズが脳内に走り、あの男の声が微かに頭蓋骨の中で反響する。
「分かりきっていたじゃないか。この世にオケツなんていないことくらい」
何を叩き伏せたのか。誰に木刀を振り下ろしたのかを理解してしまった。
慟哭を背に淡々とリポーターが言葉を発する。
「私はいま、事件の現場に来ています」
産怪 七海 司 @7namamitukasa3
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