第5話 「そういうところだな、お前」

 ジンが大通りに戻ろうと路地を出たところ、大音量のクラクションが鳴った。


「うわっ!」


 反射的に一歩後ずさったジンの鼻先をフロート・バイクが通り過ぎ、ビュンと風が吹き抜ける。自前と思しきキャスケット帽を被った中年警備兵が、「ごめんよ!」とバイクから言って走り去っていった。

 間一髪で避けたが、ほぼ轢かれかけた。よろめいた拍子に、抱えていた紙袋から残り少ない朧柘榴おぼろざくろがこぼれそうになるも、ギリギリで持ちこたえる。


「なんだろ……さっきから」


 街中ではチラホラと警ら中らしき監察官や兵士がうろちょろしていた。司法局と監察局が合同で治安維持にあたることはザラだが、今日は心なしか数が多いようにも感じられた。

 ……とは言っても、任務を終えたばかりの非番であり、声をかけられる相手もそういない今のジンには関心の薄い話ではあったのだが。


 出かけついでにバーバラから頼まれていた買い出しのこともあって、気持ち急ぎ足でジンが向かった先は質素な店構えの薬店だった。

 店内に入って早々、慣れた足取りでカラフルな液体入りのガラス瓶、顆粒や丸薬の詰まった小袋といった店のメイン商品の棚にザッと目を通す。めぼしい新商品が無いのを確認して、まずは手早く割安価格の砂糖と酢などの調味料類を押さえておく。

 他の食品店でも調味料の取り扱いはあるのだが、比較的安価に買える点がジンお気に入りの理由である。歴史を感じさせる古めかしい個人商店とはいえ、内装はキレイで店主の愛想もよく、客足もそれなり。どこぞの駄菓子屋とは雲泥の差だ。

 

「いつもありがとねジンちゃん。これ一本、オマケしとくよ」

「えっ、そんな、おばさんいいですよ。もともと後で買うつもりだったんですから」

「いいから、いいから。あの御仁への恩を考えたら、これでも足りないくらいさ」

「あ……そう、ですか……」


 一旦頼まれ物の会計を済ませようとすると、店主のおばさんが治療薬の小瓶を一本、差し出してきた。押しの強さに負け、礼を言って受け取る。

 この店には養成校時代から、ウィルとカミンの同期組三人でよくお世話になっていた。特にウィルとジンの二人は訓練中に負傷しがちで、体力も追いつかないことがままあったので、たまにマケてくれて質も良いここの薬は必需品であった。

 カミンは四年次で神学校に転学し、ウィルもだんだんと薬を必要とはしなくなったが、〈案内人〉の道を選んだジンは勉強も兼ねて今でも足しげく通い詰めていた。


「すいません、もう学生じゃないのに……」

「水くさいこと言わないの。頑張ってね、ジンちゃん」


 別途に薬品類の個人的な買い物も終え、余裕のあった紙袋をパンパンにして店を出る。

 最後にミントへのお土産を買うために辺りの適当な店を探していると、うす汚れ、やつれて足取りのおぼつかない様子の子犬を遠くに見つけた。


(野良犬かな……? でも、首輪はしてるな。捨てられたのか)


 不憫には思ったが、かまってやれる余裕がなかった。ジン家の経済状況はジンとバーバラの稼ぎを合わせても、ミントの学費と治療費に圧迫されてカツカツだ。ミントの持病は未だ根治の難しい病であるがために、今後の出費の見通しも立たない。

 残り一個ある好物の朧柘榴おぼろざくろとて、毎月ヘソクリをこつこつと貯めてやっと買える、たまの贅沢だ。そもそも、目についた野良犬や野良猫を可哀想がって、いちいち餌をあげていたらキリがない。そんなものは場当たり的な格好だけの自己満足でしかないし、どうせ餌をやるならば最後まで責任をキッチリ取るべきなのだ。

 薬店にてバックパックの損失を自費で多少なりとも一時補填した分、自由になる金はもはや無い。お土産を買えばもう正真正銘カラッケツのスカンピンだ。

 ジンはそう言い訳をするように頭の中で理屈をこねくり回し、葛藤の末に野良犬から目線を逸らした。


 隣接する雑貨店の店頭では、文具に小さな木彫りの人形、ハンドメイドのアクセサリーなどが値引きされて売られていた。先客の年若い(とはいえ同年代くらいの)カップルが、あれがどうこれがどうと盛り上がっている。

 惚気る男女を邪魔しないように距離を取りつつ、ジンも品定めをスタートする。人目をはばからず公然とイチャコラだのなんだのというのは、ジンにとって縁遠い世界だ。しかし、ウィルとは違って配慮するだけのゆとりと分別はあった。

 文具などの小物を中心に漁っている最中、雑多に図書が積まれた一角から古びれた一冊の絵本が出てきた。


(“ネフェル冒険譚”、か……)


 使い古されてなお上等な装丁のその絵本の表紙には、剣を掲げる男の後ろ姿と白銀の翼の天使が、子供向けながらに神々しく重厚な画風で描かれていた。

 ある一人の男に焦点を当てて戦争の歴史を紐解いた、今や定番の教育向け絵本だ。

 しばし表紙を見つめた後、鼻で笑って、元々あったであろうブックスタンドに戻した。


「おっ、これいいな」


 薄い財布と相談しながら、最終的にミントへのプレゼントは羽根がぶら下がった輪っかのような装飾品に決めた。さわさわと風にたゆたう羽根が風鈴を彷彿とさせて、涼しげで可愛らしい。

 クマをサメが丸呑みするド迫力木彫り像も候補だったのだが、値札を見て、もう一度見てから、やっぱり見なかったことにした。


「お前……ジンか」

「はっ、はい?」


 地べたの紙袋を抱え直して、お土産の品を片手に店内カウンターに行こうとしたジンの頭上から、女性の声がかかる。


「隊長、ジンいましたよ」

「あー? なに、〈夢無し〉クンが?」


 グルトと、その取り巻きの監察官たちだった。同じチームの見慣れた女性メンバーを二人、見知らぬ男性メンバーも二人引き連れて、だいぶ苛立った顔でジンを見下ろしていた。

 ジンを呼び止めたのは、今朝〈天賦装サイン・メイス〉を振り回していた方の隊員だ。


「ほーう、悠々自適にお買い物ですか。こちとら汗かいて走り回ってるっていうのに、〈夢無し〉クンはずいぶんいいご身分ですなぁ」

 

 通り過ぎようとしたグルトが立ち止まり、嫌味たっぷりにジンの紙袋を眺める。


「えと、その、ボクは野暮用で……グルト先輩は?」

「なんだ、やっぱり聞いてないのか? ……くくっ、まあそれもやむなしだな。役立たずが居ても足しにならないどころか、マイナスだろうからな」

「……? ど、どういう……ことですか?」

「ハハッ、気にしなくていい。単にお前は選ばれなかった、ってことだよ。じゃあな」

「あっ……せ、先輩!」


 グルトは好き放題に言うだけ言って、子分たちと一緒にジンから離れていった。

 ジンはお土産を一度ワゴンに戻し、懐から手のひらサイズの通信機を取り出して、すぐさま画面を見た。

 履歴の確認のしようはない。単純な通信機能しかない簡易的な物だからだ。だが、あれだけ言われれば、すっかり気が弛んでいたジンでもさすがに理解できる。

 グルト以下、同じく非番のはずのチームメンバーたちがああして共だって隊服で行動しているということは、非番の監察官たちに招集が掛けられたということだ。

 そうしなければならないほどの、なんらかの非常事態が起きているのだ。


「ま、まいったなぁ……」


 頭を掻きむしり、途方に暮れる。──おそらくは熟睡していたせいで気付けず、ウィルも間の悪いことに腕輪が不調だったせいで揃いも揃って連絡に気が付かなかったのだ。

 市内の治安維持に監察官が非番の者まで駆り出されるなんてことは、これまでに前例がなかった。二人とも完全に油断していたのである。


(せめて、何があったのかぐらいは誰かに……)

「ふざけるな、こいつっ!」


 今後の行動にジンが悩んでいると、前方からグルトの怒鳴り声が聞こえてきた。騒ぎの元を辿ると、先ほどの野良犬がグルトと対峙して唸り声を上げていた。


「ぐぅるるるる……」

「クソッ、野良犬が……ケダモノ風情が天人様に楯突くなんてな!」


 そう吐き捨てるとグルトは腕輪に力を込め、あろうことか〈天賦装サイン・ブレード〉を展開した。周囲からはどよめきが走り、子分たちも冷や汗をかいている。

 

「隊長、あの、さすがに、それは……」

「こいつは噛みついたんだぞ! このオレの、このグルトの脚に!」


 見かねて女の子分がやんわり止めに入るが、興奮し切ったグルトには焼け石に水だった。

 グルトの右ふくらはぎには、確かに犬の噛み跡がつき血が滴っていた。


「踏んだり蹴ったりだ! 今日も今日とて何時間も歩いて成果はなし、毎日のように愚図な現人のために戦ってやって、その結果がこれか!?」

「その、踏んだり蹴ったりしたのは、隊長すけど……」

「なんだと!?」

「あ、いえ……」


 無駄に根性のある子分がヤブヘビをつつき、グルトの怒りのボルテージが上がる。どうやら話によると、グルトが野良犬を踏むか蹴るかして噛みつかれ、逆ギレしているということのようだった。

 器の小ささとしょうもなさに情けなくなるが、仮にも同じチームの一員として、このまま放置する訳にもいかない。ジンは小さく溜め息をつき、気は進まないまでも震える足で間に割って入った。


「ま、まぁまぁまぁグルト先輩!」

「なんだ。はみ出し者同士、情でも移ったか? えぇ?」

「こ、子犬がしたことですし、ここは、ひ、ひとつ、これよかったらら……」


 緊張のあまり呂律が回ってない噛み噛みで説得し、噛み袋──ではなく紙袋から先刻買った治療薬といくつかの薬瓶をグルトに差し出す。

 この場を穏便に収める方法が、これ以外ジンには思い浮かばなかった。勢いで余計な薬までついでに出してしまった点には、もうこの際なので目を瞑る。

 グルトが目をぱちくりとさせ、フンと鼻息を鳴らして薬瓶を乱暴に奪い取る。

 歯で治療薬の栓が開けられ、脚のケガに緑の液体が垂れる。たちどころに傷が癒えたのを確かめると、グルトは空き瓶を投げ捨て、ジンに笑いかけた。


「そういうところだな、お前」

「い、いえ、ボクは、そんな……ハハハ」

「そういうところが、気に入らないというんだよ!」


 突如、グルトが右手の剣を振り下げ、ジンへ向かって猛烈に斬り上げた。

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